井形慶子's Room
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井形慶子の最新エッセイ

連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


服をひっくり返す日々

1月某日

 最近、服の買い方が変わってきた。
 気になる服を見つけると、即座にお目当ての服を鏡の前で当ててみるのではなく、裏返す。服の内側に縫い込まれた品質表示で原産国、素材を確認するためだ。
 ここ数年のイギリス取材で、イギリス製のセーターや紡績工場を取材していくうちに、世界的にも評価の高い、「メイド・イン・ジャパン」の実情を知りたいという情熱がムクムクと頭をもたげてきたせいもある。
 折しも年始のセール真っ只中。吉祥寺、代官山、丸の内と片っ端から店を覗いては、服をひっくり返す私。何度も店員さんに、この生地はどこで作られているのですかと尋ねるなど、知りたい願望が爆発。
 友人は「あんたはいつ電話しても服屋にいるよね。電話に出ても服の話しかしない。仕事のストレスで頭がおかしくなったんじゃない」と私の奇行をあざ笑う。
 とんでもないことだ。

 服をひっくり返してご覧なさい。いかにMADE IN CHINA、中国製が多いか分かるはず。ちょっと可愛いブルゾンや、気の利いたセーターも中国製。韓国、ベトナム、インドの比ではない。さすが世界の工場だ。
 ロンドンでも同じ。
 いいなと思う服も裏返してタグを読めば「MADE IN CHINA」の表示。英国らしい重厚なラバーコートや、ツイードジャケットも、人件費の高いイギリスでは作られないのだ。
 ロンドンに行くと必ず立ち寄っていた大好きだったブランドも確認すると中国製ばかり。英国内で作られていると思っていた……かつて自分は一体何を見ていたのか……と愕然とする。
 これまで熱烈に好きだった英国の「J」というブランドも、中国製のものばかり。知らなかった……というか、これまで全く気にしてなかったんだなぁ。特に若い世代、服の品質について分からない人は多いかも。
 こうなってしまった一端は、売る側の商品知識が不足しているせいもある。
 店員さんに原産地や材質を尋ねても「ちょっと、ゴメンナサイ。分かりませんね。多分ウールかなぁ。あ、アクリルだ」と、適当に返されることが多い。

 前に、新潮社のA氏とユニクロ改新について話した際、彼は「結局、中国生産のユニクロがいくら売り上げても中国が儲かるだけ、日本の物作り産業にお金は落ちない」と言っていた。
 中国といえば高速列車事故や食の問題など、常に「大丈夫だろうか」と、危なっかしさがつきまとう。
 アパレルの付属品を扱う会社に務めている友人は、中国から届く付属品からはケミカルな匂いがすると言っていた。
 私も同じ経験がある。ある通販番組でデザインに惹かれ、注文したワンピースは、袋から出すなりガソリンの異臭が部屋に広がり、慌てて返品した。
 そういえば、昔、西安に行った折り、娘に市場で可愛らしい模様のパジャマを買ってあげた。思わぬおみやげに喜んでビニール袋を開ける娘。
 だが次の瞬間、顔が凍り付いた。なんとパジャマを広げると、食べかけのベトベトしたあめ玉がベッタリ貼り付いていたのだ。
 たたみ作業員が口に含んだアメ玉を製品に向かって吐き捨てた?
 考えられない事態に驚愕した。中国の工場で大量に縫製される服の生地や商品はどのように管理されているのか。アメ玉付きパジャマの思い出が警鐘を鳴らす。

 原産国など気にせず、どちらかといえば安さとデザインで服を購入していた私はピンとこなかったが、日英の紡績産業を目の当たりにし、愚直にものを作ることは、相当な手間とコストがかかる。大量生産は効率と儲けの追求だと気づいた。
 確かに、ユニクロのヒートテックには極寒のイギリスで大変世話になったし、ヒートテックのキャミは今も着ている。
 だが、「必要」「かけがえないもの」の間には大きな隔たりがある。

 現在、インナーといえば、三重県の「スマイルコットン」を愛用している。洗って陽に干すたびに、まるで綿花が命をふくむようにふんわり立ち上がる。軽くて吸水性が良く、旅先のバスルームで洗っても乾きが速いのも助かる。
 敏感肌やアトピーの方に良いと「日本アトピー協会推薦品」も認定しているインナー。素肌に直に着用するインナーはどうしても、気持ち良く、肌ざわりの良いものに流れていくのは当然かもしれない。
 日本製の良さを実感したいため、洗濯しては繰り返し着用して、よれ具合なども調べてみる。
 一枚のインナーが伝える日本の物づくり技術。「スマイルコットン」を作り続ける片山メリヤスの社長によると、日本の紡績技術は世界一らしい。
 西洋が発祥の洋服だが、手先が器用で細かな作業を得意とする日本人の作り出すコットン生地は、アメリカやイタリアなど比べものにならない。

 数々の洋服に触れるうち、現在抱えている仕事のスケジュールが首尾よく進めば、服の本を作りたいと思うようになった。そのためにも、日夜セレクトショップの店員のように、まずは日本製の服をとっかえひっかえ着ている。
 ポプラ社の社長は、食べ物に興味のない編集者は伸びない、と言っていた。
 食べ物に限らず、衣食住に興味のない人は会話をしていてもすぐに話が尽きる。政治、経済、どんな分野も「暮らし」で切り込んでみると、案外気付かなかった事実が見えてくるのかも。

1月某日

 昔一緒に仕事をしていた懐かしのボクチンから突然連絡アリ。今回編集者と作家の立場で本作りをする事となった。東京新聞に毎週水曜日連載している「本音のコラム」を春夏秋冬のカテゴリーにまとめ、時事ネタと共に写真も加えて一冊のエッセイに再編集した(「イギリス流 普通にもどる力」は2月25日発売です)。
 この仕事が始まって一年以上、毎週時事ネタを探し、裏付けを取ってはコラムにした。私の机の横には「新聞用」と書いた専用棚もある。水曜日のたび、共感の声、反発のご意見、悲喜こもごもが寄せられ、改めて新聞の力を思い知らされている。
 毎週火曜日午後は入稿作業のためNくんも巻き込み、てんやわんやの大騒動。パソコンが使えない私は、まず原稿をペンで書き、口述筆記で修正、組み立てていく。
 まわりで仕事をする社員も、調べ物の依頼が自分に飛んでこないか、背中を丸めて仕事をしている。
 嬉しいことに、東京新聞は三大紙に比べると、各記者がはっきり自分の意見を主張している。椎名誠さんもエッセイに書かれていたが、東京新聞のコラムはどれも大変読み応えがあり、歯に衣を着せない。遅ればせながらすっかりこの新聞のファンとなった私。
 長いものに巻かれないジャーナリズムの気鋭を感じつつ、のびのびと書ける幸せ。

1月某日

  待ちに待った吉祥寺での「冬の小さな英国展」がスタート。イギリスで見つけた一点物のニットや、本に紹介したリメイクのお洋服まで、様々なものがパネルや雑貨とともに展示される。会場作りをしたスタッフの一人は、こんなお店があればいいとずっと思っていたと、感無量。
 ギャラリーの管理人さんも、一目見るなり「いやぁ本格的、面白そうだ。絶対皆さん喜びますよ」と絶賛してくれた。
 ファストファッション、100円ショップなどの大量生産商品が当たり前のように巷に溢れる昨今、どこにもない作り手のこだわり、何も買わずとも黙って見ていたくなる空間を、大人は求めているのではないか。
 80代のおばあちゃんがせっせと編んだセーター、ピーターラビットの故郷でビアトリクス・ポターが飼っていた羊の末裔で作られたモヘアソックス。どれもうっとり眺めて満腹になる感じが味わえる。
 足を運びその空間にいるだけで満たされた気持ちになってゆく、一週間限定の幻のお店。
 以前、同ギャラリーで「チェブラーシカ展」をやった時は、夜中の11時にやってきたお客さんもいたとか。うまくいくかなと心配するスタッフに、管理人さんは「あの時を思い出す。大丈夫!」と太鼓判を押してくれた。
 果たして「冬の小さな英国展」初日は大勢の方に来ていただいた。その多くはMPや私の本の読者様。遠方より早朝発のバスや新幹線に乗って吉祥寺まで来てくれた。
 ツアー、英国展、講演会と、皆様に支えられてきた20余年を思うと感無量です。

冬の小さな英国展
「冬の小さな英国展」会場。次回はゴールデンウィークに開催します。
尚、5月28日(火)より行われる
「井形慶子と行く 美しいコッツウォルズの家々とカシミア街道・アンティークフェアを巡る旅」
の参加者募集中。
今回は欧州最大、約2,000店出店のアンティークフェアに行きます。




連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


コッツウォルズ  幻の宿

12月某日

 お片付けシリーズ第4弾目となった宝島社刊のフォトエッセイ『暮らすように旅する 英国コッツウォルズ』。アンティークショップや村の小さな工房などを紹介しつつ、英国一見事に保存された美しい村々に暮らす中高年の日常を書いた。
 制作をしている中で、ふと思い出した出来事があった。きっかけはある日、娘の放った一言だった。久しぶりに会った娘は朗らかな顔で
「まとまった休みがとれたから、一人で鎌倉に一泊二日の旅行してきたよ。お寺まわりをしたり、ゆっくり海を眺めたり、楽しかったなー」
という。
 驚愕した。私にとって一人旅の良さなんて逆立ちしても理解できないことだ。夜一人で知らない街を歩き怖くないのか? 不安や淋しさはないのか? 旅で出会った素晴らしい風景や料理を一緒に共感し、感動したことをすぐ伝える相方がいなくてよいのか。世界中飛び回っている私だが、旅は道連れに決まっている。
 ああ、一人で旅なんて絶対に考えられない。一人で海をボーッと眺めて楽しいと思う気持ちも分からない。

 が、そんな私が一人旅をしたことがあった。それがコッツウォルズだった。
 今から約30年前、モスクワまで友人と飛んだ私は、互いに別々のルートでイギリス入りし、ロンドンで落ち合うことにした。
 ラウンジで友人と別れて一人になった途端、恐怖が襲った。
 とりあえずヒースロー空港からバスでチェルトナム→コッツウォルズの村へと向かった。都心のロンドンに一人でいるのは怖いので、ロンドンに近いのどかなコッツウォルズを選んだだけの理由だった。
 チェルトナムからは適当にバスに乗り、終点で下車。陽は沈み、どうしようかと焦った私は、遺跡のような村の外れで、B&Bとホテルの中間の旅籠屋のような宿を見つけた。黄金色のハニーストーン。長屋のような外観に、可愛らしいハンギングバスケットが下がる入口。
 ホテルの名はうろ覚えなので葡萄亭としておこう。1泊2食付きのその宿は1万5千円くらい。貧しい20代の私は、高すぎて到底泊まれなかった。
 だが、当時、宿は値切って泊まるものと思っていた私は、図々しくも感じがいいジェントルマンに
「お金ない、ディスカウントプリーズ」
と手を合わせた。するとあっけなく半額になった。
 閑散期だったのか、あのまけ方はただ事ではない。通路は表からは想像できないほど広いダイニングに続き、重厚な晩餐会の準備がなされていた。
 そこで私も夕食を食べるのだと言われ、テーブルに並んだ純銀のナイフとフォークの数に目まいがした。夜になると、地元の金持ちがドレスアップして訪れる。
 私はというと、一人野暮な姿でフルコースを食べた、半額に値切ったという後ろめたさもあったが、レストランのボーイは、ジャケットを着た金持ちにも旅人の私にも同じように接してくれた。
 運ばれてきたラムの上には緑色のソースがかかっていて、一口食べて「ハッカの味がする!」と衝撃を受けた。サディスティック・ミカ・バンドの旧メンバーミカさんは、ミントソースという言葉を聞くだけで唾が出てくると、何かの本で書いていたが、当時の私には理解ができない代物であった。
 食後のデザートは、ワゴンにてんこ盛りに並べられたケーキ、タルト、ゼリー。好きな物をいくらでも選んで良いと言われた。これで7000円かとムシャムシャ食べた。
 お腹いっぱいになり、部屋に戻った私は、心細さを紛らせようと、当時ロンドンに住んでいた作家の林信吾に電話し
、「ロンドンでカラオケに行こう」
と、早速次の日の予定を決めると、ひと安心して眠りについた。
 朝食のバイキングも色とりどりの果物や焼きたてのパンが並び素晴らしかった。またぜひ訪れたいと思いつつ、その村もホテルの名も思い出せない。
 値切って宿泊したが、私の中でコッツウォルズで5本の指に入る宿は、記憶の闇に葬り去られた。

 コッツウォルズには、そんな得体の知れない、人知れずひっそりと在り続ける店や宿がある。古い建物に佇むアンティークショップのドアを開けると、誰にも心躍る出来事が待ち受けているはず。そんな思いをこの本に込めた。

12月某日

 イギリスでクリスマスを迎える私は、押し寄せる濃厚なクリームやプディングや肉のかたまり、ジャガイモを思うだけで武者震いがする。うれしいのと、怖いのとだ。
 体調管理には、まず日常の食生活をしっかり固めようと、秋頃から娘にお弁当を作ってもらっている。最近のメニューはやたらと豆が多い。
 おかずに入れてと頼んでいるのが、たまねぎやきのこ類。たまねぎは北アジアパレスチナの地で五千年前から栽培されていたらしく、古代エジプトの奴隷はニンニクと一緒に生食し、ピラミッドを建てたとか。たまねぎは血の凝固防止に役立ち、循環器系の病気に効くと考えられている。きのこは高血圧に効くそう。
 娘は栄養をあれこれ考えてくれる反面、金にシビア。小さいタッパーにミニトマトがちょこんと2つのみという副菜にはあきれた。私が食費を出し渋っているのでケチっているのだろうか……? あるいは、幼少の頃、弁当を作らなかった私への仕返しか……。

 私が娘にお弁当を作ったことは、ほぼない。というか皆無に等しい。離婚して、働きつつ子育てしていた私は、スーパーでお弁当やお惣菜を買ってきては、タッパーに詰め込んで持たせたこともある。
 運動会の時など、自分の弁当の中身を蓋で隠しながら食べている娘を見た私の妹は、
「今度は私にお弁当を作らせて!」
と申し出た。
 周りの人間に散々ひどいひどいと言われたので、最近
「あの時はごめんね」
と彼女に謝ったが、娘はあっけらかんとして
「いいよ」
と、あまり気にかけていないようだった。

 そういえば私も、小学校3年生の頃、遠足の前日に母が寝込んだので、家の近くのパン屋で菓子パンを買ってリュックに詰めて出かけた。
母は重大なことを詫びるように、床に座ったまま
「ごめんね、本当にパンでいいの?ごめんね」
と、沈痛な面持ち。
 なぜだろうと思った。
 さて、普段菓子パンなど買ってもらえなかった私は、長崎は稲佐山の頂上でわくわくしつつ、大好きな「焼きリンゴ」「牛乳パン」の菓子パンを食べようと袋を開けた。
 その途端、担任を含め、3〜4人の先生が囲むように、
「お母さん、どうかしたの?」
と聞いてきた。
「母は風邪で寝込んでいます」
というと、皆はまぁーと眉をひそめ、
「先生の食べなさい、全部食べていいから」
とお弁当を差し出すではないか。それを見ていたクラスメイトたちも
「私の玉子焼きもあげる」
と言って、次々おかずを差し出す。
私はみなしごハッチか。なぜ皆が必死になりお弁当をよこすのか、子どもながら困惑した。
 菓子パンを楽しみにしていたのに、わがままといわれようが、ありがた迷惑だった。手作り弁当=愛情という図式になぜ固執するか。
 大人が健康上の理由で弁当にこだわることは理解できる。けれど、雑貨店で売っているキャラクターものの醤油入れなど、弁当アクセサリーの数々に、若いお母さんは子どもの弁当づくりに大変だなぁと思う。
 社会は美味しさより安全性へと移行しているのに。

 さて、私が母に作ってもらった中学時代の弁当は、タッパーにぎゅうぎゅう詰めに肉や卵が詰められたものだった。それをカバンに押し込め、バスに揺られ、1時間の道のりを通学した。冬は弁当が冷えてしまうため、皆競って教室のストーブの上に弁当を乗せていた。
 漁港近くの集落から通ってくる子の弁当は、いつも醤油で煮た竹輪や鮭が入っていて、温めると魚の臭いが教室中充満する。お嬢様学校ゆえか、みんな眉をしかめていた記憶があるが、獲れたて、作りたての魚や竹輪は一口もらうと、おいしかった。

 その後、大人になってからは出張の折り、夫が弁当を作ってくれた。同僚のPと早朝から山梨に出掛けた際も、Pと私の分のお弁当を作ってくれた。
 お弁当の中身は、大根の葉の塩もみ、じゃがいも炒め、卵焼き。白ごはんにはいつも昆布がのっている。おかずはいつも同じもので、夫が独身時代、毎朝母親に作ってもらった旬の野菜を自分なりに真似た、思い出の弁当だ。
 ところが中を見るなりPは一言、
「えーっ、いもじゃないですか!」
と馬鹿にしたように言った。頭にきた。当時、彼女のいなかったPは弁当を作ってもらえる私に嫉妬したのだろうか。
 それにしても、娘に十分お弁当を作ってあげられなかった私が、現在娘にお弁当を作ってもらっている。本当にいいんだろうかと考えさせられる。
 やはりお弁当の力はあなどれない。

1月某日

  今年も予定している「井形慶子と行くイギリスツアー」が着々と進行中。今回は、スコットランドのボーダー地方まで出向き、The Mill――カシミア工場のあるエリアを散策する予定。この地はクリエイターが多いことでも有名だ。先日、阪急英国フェアに来てくれたお客様に
「先生! 今度は買い物ツアーやりましょう!」
と言われた。
 あるツアーコーディネイターの方には、買い物が多いとお客さんからクレームが入るので、あまり入れないほうがいいと言われたが、私のツアーでは一度もクレームはない。女性にとって、店員さんとつたない英語でもやりとりができる買い物こそは、その国の生活文化がとてもよくわかるはず。この号が出る頃には、イギリスの小さな工房で作られたセーターや靴下などを持ち帰っている予定。
 今年も一年、どんなことができるか。緊張とワクワクのスタートです。




連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


もう黙っちゃいられない

12月某日

  私11月下旬に発売された『好きなのに淋しいのはなぜ』(集英社文庫)。恋人のことが好きだけどうまくいかないと嘆く世の女性たちに提言する現代の恋愛指南書だ。不潔な男や浮気癖、ギャンブル癖のある恋人とどう上手く付き合っていくか……。多様な具体例とともに悩める女性にエールを送る恋愛エッセイ! なのだが……。これは、30歳を目の前にした娘に向けて書いた本でもある。
 10代後半で家を出て、一人暮らしを始めた娘とは月に2〜3回お互い時間を見つけては、外でご飯を食べながら近況を話し合う。その話の中心は大体の場合、娘の恋愛話。娘と恋人の喧嘩話やハプニングなど、時には涙を流して笑い転げたり、はたまた、しくしく泣く娘をなだめたり。そんな、友だち同士のように話に夢中になる私たちを見て、隣の席の婦人から、「実に仲が良いですねえ。私は母親とは元々仲が悪くて……うらやましいなと思っていましてね」と、娘がトイレに立った隙を見計らって身の上話まで始める人もいた。
 しかし、恋愛につまずき、感情的になった娘には何を助言しても伝わらず、一方通行な時も多い。その時々に対して、即興で的確なアドバイスをするのも至難の業だ。友人や知人の恋愛の悩みにも首をつっこむ、根っからのおせっかいな私が、あまたの相談された恋愛話なども交えつつ、娘に対して「言葉」として綴ったのが本書なのだ。
 常に、せわしなく仕事に奔走する私には、娘に教えられるのはおふくろの味などではなく、物事の判断や考え方、物の捉え方だと思っている。
 娘がどう思っているのかは知る由もないが、私はそのような事を伝え教えてきたつもりだ。それが一冊の本になった。彼女は読んで何を思うだろうか。

12月某日

 1月に吉祥寺のギャラリーを貸切って行う「英国フェア2012」のため、雑貨や服の展示・販売品集めに四方八方かけずり回っている。販売品は、英国のニット製品、工房のアクセサリーはじめ、私が今一番興味のある国産のお洋服も。週末ともなると、若者に混じり原宿や代官山に出向きリサーチに余念がない。
 毎週末ユニクロに通い、セール品ばかりを手に取っていた一昔前の自分。いつの頃からか、作り手のこだわりが感じられる肌触りの良いオーガニックコットンのカットソーやインナーに夢中になり出した。
 そもそもの発端は2年前の冬、極寒のイギリスでのこと。冬はウールを着込むのが当たり前となっていた私は、それまでどこか綿製品というものを軽くみていた。ところが、零下10度の北イングランドのダウン地方を歩いた折り、たまたま着用していたオーガニックコットンのカットソーが、ウールよりも温かだという事実を痛感し、肉厚でとろけるようなオーガニックコットンの偉大さに気づいたのだった。
 それからというもの、肌触りの良い素材の衣類を扱うお店を見つけると、すぐさまタグをチェック。「オーガニックコットン・日本製」という表示があるやいなや「どこの工場ですか?」「連絡先を教えて下さい」など店員を質問責めにした。
 そんな、地道なリサーチの結果出会った「今城メリヤス」の国産オーガニックコットンのカットソーや、「スマイルコットン」のインナー。(こちらは、小誌のクライアント様でもあり、肌触りの良さと着心地の良い製品はかれこれ5年間愛用している。先日、社長と長々とお電話でお話し、何とふわふわのカットソーを送ってくれるとのこと! 待ち遠しい!)
 最近のお気に入りはミラノ郊外で50年以上にわたりアンダーウェアを作るメーカー「モレッタ」。胸元にレースが施されたシンプルなキャミなのだが、幾度洗濯しても胸元のレースがくたびれずにピンとしている。着心地の良さと丸い襟ぐりを美しく見せるレースの可愛さで、何枚かリピート購入し、毎日のように愛用している。
 年末ということもあり、一年の疲れが出て体調が優れず、社内の雑務や会議ともなると頭痛や目眩を起こし、呂律も回らなくなる。私もいよいよか、と危機感すら感じ、社員も「大丈夫ですか」と心配そうに声をかけてくれるが、服の話ともなると一変して、ぺらぺらぺらぺら止まらなくなる。しまいには、よそ見をする社員を無視して、別件でメモを持ってやってきた社員にも「あなた、ちょっとこの生地触ってみて」と、ぺらぺらぺら……。
 一日の憩いの時間は、毎晩家に帰り、ネットや『ミスター・パートナー』の広告を目を皿のようにして眺めまわし、肌触りの良い、上質なコットンを紡績機で紡ぐ国産の服がないかと探しまわること。  これを読んだ読者の方、紡績機で上質なコットンを紡ぐ、業者を知っているなどの情報がありましたら是非お寄せください。
 1月のギャラリーでの展示・販売は、そんな私の日々の中で見つけたお気に入りの集合体が見られるはず(私の服に対する情熱も垣間見れます)。
 本で紹介したコートのお直し完成品、カーテンで作ったお洋服などもお見せします。是非お越し下さい!(ウェールズ・カーディガン地方のモヘヤセーターも初公開)。

12月某日

 最近、物騒な詐欺が横行している。MPに掲載したお客さんの元に、聞いたことのない会社から一枚のファックスが届く。
「依頼されていた広告ができあがりました」 との事。身に覚えがないと断ると、 「広告もすでにでき上がっているので、今さら困ります。お金払って下さい」
と、まるで借金の取りたてのように、怒鳴りちらすそう。
「福祉キャンペーン」だの「支援」だの、もっともらしいことも書き添えてくるからタチが悪い。他の雑誌、新聞などにも被害が及んでいるようで、いくつも警察に被害届けが出て、当局も動き始めている。
 こういったケースは「契約書を見せて下さい」 の一言が効く。その広告代理店まがい業者(警察の調べではグループの犯行のよう)は「契約書」という言葉を出すと、口頭のみの契約だったと主張するそうだ。
 だが、どんな安い広告でも受注発注の際は契約書を取り交わすもので、なければ契約は成立しない。
 オレオレ詐欺、振り込め詐欺が身内のふりをして電話をしてくるように、彼らは出版社や新聞社の名前を出し、あたかもその関係者のふりをして電話をしてくる。中には「○○出版社から依頼されている」などというウソを本当だと言い張る業者もいるそうだ。  東日本大震災時、被災者のふりをしてお金を振り込ませた詐欺も横行した。マスコミという肩書きを使い、人々の情報源を悪用し、平気でお金をふんだくるとは許せない。
 MPは23年間もの長い間、多くの読者、執筆者、広告主、書店さんに支えられてきた。特にクライアントと呼ぶ広告主の力添えによって、大げさでも、イギリスの生活文化を広く日本に紹介でき、地方自治体など行政の指針にも一役かったこともある。
 だから私は声を大にして言いたい。見知らぬ人からの電話やFAXには無闇にサインせず、「契約書を見せろ」とパンチを食らわそう。
 ファックスの送り先がMP以外なら、我が社の担当にご一報を!
 最近、クライアント様が音声録音を始められたようで、証拠を集めている警察にとってもありがたい限りとのこと。MPは嫌がらせにも屈しない。
 年末、最後のエッセイにこのような事を書かねばならない社会となったことは実に残念だが、来年はロンドンオリンピックなど、じわじわ本格的に英国ブームがやってくる。これからも皆様に愛される媒体でありたい。2012年もどうぞ宜しくお願いします。

 



連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


英国ツアーと中年力

9月某日

  私の友人は、髪や素肌にいつもクリームやオイルを塗っている。女性ホルモンの欠如で、灼熱砂漠に吸い込まれる水のごとく、まったく効果が上がらないといって。
 その彼女が「やっと運命の美容液を見つけた」とはしゃいでかけてきた。話を聞くうち「欲しい!」と注文してしまった私。
 待ちに待った美容液「AF7」が編集部に届いた。これはアロマポットで温めてから素肌につける、という50代女性にかなり効きそうなもの。生温かなトロリとした美容液を目元や口の周りに伸ばすと、肌がしっとり保湿されてゆくのが分かる。心なしか化粧ノリも良くなった。
 普段はノーメイクで通している私だが、真冬のロンドンともなると、ガードなしの素肌はテキメンに干からびてしまう。50代のテーマは一にも二にも保湿。この「AF7」は、ユネスコの世界遺産に登録されているモロッコ王国の南西部、アルガンの森でしか採ることのできない「アルガン」という植物のオイルと強い抗酸化能力を持つ「フラーレン」を配合したオイルらしく、免税店で見るン万円もするアンチエイジングとは一線を画す。
 アンティークランプを思わせるアロマポットも欲しかったものの一つ。ベッドサイドのテーブルに置いておけば、ゴロンと仰向けになって目を閉じても、眠れない時に起きあがっては、あまったオイルを目元にすり込める。
 お気楽なアンチエイジングでなければ続かない。何しろ面倒なことはできない性分。
 ほのかなランプの灯火は明るくもなく暗くもなく、メガネを取ったり、時計をのぞくのにちょうどいい。
 時たま大好きなレモングラス+ペパーミントをたらして深呼吸しては、次の日、トレイを洗ってふたたび美容液を温め塗る。チマチマしてるけど、潤うの何のって。良いものを見つけた。
 最近の50代、60代は昔に比べて20歳ほど若返った気がする。これも美容学の成せるワザか。「大人かわいい」天然素材の服が着こなせるよう、私も負けてはいれらない。

9月某日

 〆切に忙殺される中、10月1日発売の「約束のない日曜日」(ポプラ文庫)の装画が、槇村さとるさんから届く。木漏れ日、離れの縁側……透明感溢れる絵。さすがのデッサン力。
 この本をポプラ社の依頼で書き始めた頃、すでに吉祥寺の古いお屋敷は外せないモチーフだった。新潮社のTさんと温めてきたプロットがもとになり、クマ達と銚子に出かけたことなど、たくさんの思い出が詰まっている切ない失恋のエッセイ。
 ぜひ、ご一読を。

9月某日

 6月に続き、第2回目の井形慶子ツアーが始まる。(朝日旅行さん主催)今回は60、70代の参加者の方々がメインとか。
 昨晩ニック(ドライバー)に連れて行ってもらったパブは、川の上にコンサートステージがあり、湖も見える。オーナーがB&Bを2階に建て増したパブ。ラザニアやポークのりんごソース添えも美味しかった。ええい! ここも追加するぞ!! とオーナーにかけ合う。(私のツアーはプログラムが日々厚くなるのです)
 さてツアーの初日、出発前にクラッシックなホテルの古い皮の本が並ぶスタディルームにて自己紹介する。皆様意欲的だった。
 外は嵐が丘のような強風。風と雨が窓ガラスを叩きつける。全員フル装備にてコッツウォルズ探索へ出発。
 モートン・イン・マーシュのニック(ドライバー)の店「ロンドンハウス・アンティークス・センター」へ。ニックの店にはタクシーの名刺が扇状に置いてあった。彼らしい。客もガイドも気のいい彼を「ニック」「ニック」と呼んで引っ張りだこ。
 その後、ブラックハンプトンのカントリーハウスに行く。2LDKの売り物件を見るために。物件オーナーのジョーンズ氏が待っていてくれて庭を案内してくれた。続いて内見。広大なお庭付きフラットが……3千万円以下! 信じられないなぁ。参加者の方々は大満足だったが。
 B&B「ニードルホール」のアンとブライアンの昼食。ご機嫌でハグした。料理は野菜スープにローストビーフのサンドイッチ(野菜が入っていれば!)シュークリームは美味だった。
 二人して大わらわで私たちのために作ってくれた家庭料理。
 リタイアしたブライアンが、なぜB&Bを始めたのか、第二の人生に対する考えを皆さんの前で話す。
 その後、チャールズ皇太子の店「ハイグローブ」へ行き、話題のビスケットを探すが、ない。結局、昔、コッツウォルズ・テトベリーのホテルでもらった石けんと同じ香りのものを皆さんにもお勧めする。
 ラベンダーカラーのロゴ、インテリア、全てセンス良く、高いけれど、これがロイヤルブランドかと思わせる気品が店に溢れていた。
 テトベリーはゆっくり行きたい街。この街発のファッションブランドも発見したし。
 その後、バイブリーへ。
 スワムホテルにて、クロテッドクリームとスコーンを食べたのち、再びローカルパブへ! 中華風(?)サラダのおいしいこと! 山盛りムール貝には少々難儀したが、デザートは大好物のトフィープディング。なぜイギリス料理はまずいといわれるのかしら……と、あちこちから聞こえる声。
 皆さんに今日の感想をいただくが、圧倒的に不動産内見が人気だった。よかった。

9月某日

 朝からスタッフ2名が合流。皆でロス・オン・ワイを目指す。ワイ川のほとり、イングランドの端っこの小さな街はチャリティー一色。不景気らしく、あちこちの店が閉店しているも、数千円でソファやチェストを販売する店も。車中、イギリスのチャリティー精神について話した。一軒目に立ち寄ったチャリティーショップで、店員のおばあさんにお歳を聞き、週どのくらい働いているかを話してもらう。
 イギリス高齢者の暮らしはボランティアと背中合わせになっている。慈善団体に属するチャリティーショップなどで働きつつ、家庭菜園や趣味の会にも顔を出す。そんなライフスタイルを生の声で聞かせたい。うまくいった。 皆さん、とても興味を持って下さったもよう。
 ローラアシュレイの館にて昼食。ラムがちょっと重かった。最上階のスイートルームを、余りお話しする機会のなかった参加者のご夫婦にお見せした。(偶然、廊下でお目にかかり、撮影について来ていただいた)ご夫婦は、窓からの景色に「天下を取ったような部屋」と絶賛。少し距離が縮まったかな。
 そしてヘイオンワイ。古城の古書店のあと、ヘイのアンティークショップへご案内。高齢のご夫婦と英会話バリバリの70代の女性と T君の4人で。映画の本が少しだけというのが意外だったが、皆ヘイはいい街だと喜んでくれた。
 昔、両親を連れて来た時、父もそう言った。この街の落ち着きは何度訪ねても変わらない。
 皆がトイレというので、参加者のN氏と二人、古本屋に入ると、戦前のものらしき刺繍のしてある古いカードを発見。買おうかどうしようか、5ポンドに迷っていると、「それで破産するわけもない。買いなさい」とN氏に言われ、「それもそうだ」と購入。旅先ではみんな背中を押し合い買い物をする。
 得意の英語で店員さんに年代を尋ねるN氏。皆さんの英語力には舌をまく。
 古書店の多いヘイ・オン・ワイは心のふるさと。昔、クリスマスによく家族で来ていた。
 前に娘に靴を買った店を一人で見ていると、参加者のOさんが入ってこられた。ここの靴、歩きやすくていいんですよと言うと、一緒に買いますと言われる。しみじみうれしかった。デザイン違いの黒いバックスキンの靴(ノルウェーのブランド)を購入。デザインがかわいい上に、靴底がフワフワしていて足を入れると気持ちよい。未だかつてここで靴を買って後悔したことはない。
 ヘイの古着店で白いヴィクトリアンネグリジェも手に入れた。木綿や麻のビンテージものに惹かれる昨今、わずか3千円程と知り、帰ったら、さっそくリフォームしようとウキウキ。

9月某日

 ヘリフォードのホテルは、翌朝、早朝出発のフードショウ会場の近く、「プレミアムイン」だった。街道沿いのトラックが行き交うホテル。ポーターもいない。皆と親しくなったドライバーのレイが、朝7時に起きて皆を起こしてくれるそう。それにしても早朝から歩き回っているのに、皆さんの元気なこと。
 最後の夕食は(デニーズかと思うような)敷地内のパブにて。けれど静かな個室に全員集まれて、エビのカクテル、チキンバーベキュー&チップスのパブミールを食す。
 最後の夜、何となく名残惜しい感じもしたし、テーブルも分かれていたので、今回の旅で一番手に入れて嬉しかったもの、見て、知って、良かったことを一言ずつ話してもらった。
 老夫婦の旦那さまは年の功。「今、この瞬間の皆の笑顔が一番。終わりよければ全てよし」と言った。拍手喝采だ。
 何だか解説者の立場を忘れて、日英中高年の凄さを実感した日々。最後にサインをと差し出された本には、どれもたくさんの付箋が。
 それを見て恐縮、頭を垂れる。本を書かなければ出会わなかった方々と、分かち合ったひとときは、訪れる秋のように切なく心にしみ入る。

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「リバース」さんのアロマポットに癒される毎日。



連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


晩夏の出来事

8月某日

 『求む! イギリス人男性の同居人』(ポプラ社刊)に続いて、9月に『あなたが待つ夜』(河出書房新社刊)という恋愛小説が出る。そのゲラを校正した後、数日間ぼんやりとしてしまった。物語にとらわれるというか、登場する年上の気骨ある商社マンに心酔してしまったのだ。妻帯者でありながら年下の女性を愛した男の線の引き方があまりにクールで残酷にすら感じる。かといって、優しさもたたえている。
 自分が書いたものなのに、彼が実在の人物のように勝手に頭の中で動き始めている。読後、彼と主人公の今後を考えると、他の仕事が手に付かない。こんな経験は初めてのことだ。
 これがノンフィクションとの違いなんだろうか。小説は書き終わった瞬間から著者の手を離れて全く別の世界を作り出していく。まるで生き物のようだ。作り手までも涙したりハラハラしたり、いつまでもこの世界に浸っていたいと思う感じって何だろう。
 編集者の方によると、「小説は想像力の世界――特定させ過ぎると、読者の想像力を阻害する」と、表紙についても裸体の女性の背後に牧神が影のように寄り添う案で一致した。
 同じ頃、「冬ソナ」のメイキングを見ていたら、チェ・ジウやユン・ソクホ監督が、繰り返しモニターで細切れのカットを確認して、演技をやり直していた。
 作る工程はエンジニア的な緻密さが必要なのだろうが、監督は撮影中もドラマそのものを楽しんで、おかしな場面では爆笑しながらモニターを見ていた。そうしていざ、編集され完成した作品は、もう捕らえどころがないほど俳優や監督のもとを離れ、客観的なものになってしまう。
 このところ、なだれ込む仕事の数々に息苦しくなっていた。だからだろうか、現実逃避できる大人の恋愛に私自身が引きずり回されている。それが幸せであり、新鮮でもある。

8月某日

 数日間、終電まで編集部に残り、年末に出るフォトエッセイの原稿をチェック。すると帰宅後、何もできない。体力の衰えを感じるのはこんな時だ。頭が疲れて活字を見れないという時でも、リンパマッサージのおかげか、肩こりだけは今だ経験せず。
 うとうと寝入った頃、メールの着信音がかすかに聞こえた。
 緊急連絡だろうかと、しばらく経ってやおら起き上がり携帯を見ると、「元気な女の子が生まれました」と。編集後記でおなじみのクマから。
 時計を見ると夜中の2時。彼は弱冠30歳にして二児の父になったのだ。すぐに返信してやれば良かったと、四苦八苦してメールを打つ。「おめでとう」「お疲れ様」と心から。出会ったときは少年のようだったのに、今では立派な父親になって、子どもの数で私を追い越してしまった。

8月某日

 留学先のスペインから戻ってきた林信吾と会う。少し前に脳梗塞で倒れたと聞き、心配していた。私と同じく高血圧の彼は、しばらく入院していたらしい。少しやせて前より優しげな雰囲気になっていた。
 しばらく話していると、出会った頃の80年代のロンドンがよみがえってきた。
「ビザもあって仕事もあって、林さんは雲の上の人だったよね」
と、言うと
「そうか。井形と俺は25年以上付き合ってるんだな」
と感慨深げに返す。
 あの頃は、時差もよく分からず、真夜中や明け方に電話を入れて、大変迷惑をかけてしまった。会うたび「恐怖の井形電話」と言われたものの、付かず離れずでここまできた。
 その林さんが、人をわずらわせないと生きていけなくなったら、俺は死んでもいいと思っていると、何度も言い、いつもと少し違う雰囲気。
 10年間ロンドンに暮らし、記者生活を送ってきて、私よりずっと明確なライフワークを打ち立てている強さがあるのに、どうしたのだろう。
 武道をやっているだけに、いつも豪快な威張り口調だけど、彼なりに考えていることがあるんだろうか。
 身近な人たちが病を患うことが増えた。英国人の恩師もこの夏手術をして、いまだ本調子に戻っていない。あちこちに花を贈るも、さびしい予感がする。
 そういう歳になったのだろうか。
 そういえば、長崎に大雨が降ったニュースを聞き、慌てて父の携帯に電話を入れたが、少し様子が変。もしや、と思いつつ、話が途切れないのでそのまましゃべっていると、案の定「いまトイレなんだ」と。
 言ってくれればいいのにと苦笑しつつ、久々の電話だからと、こちらに気を遣ってくれた父の元気な様子にひとまず安心。
 ここまで一緒だった人たちは、今のままいて欲しいと思うのも歳のせいか。私の平安は全て今あるものが前提に成り立っている。震災に遭われた方々は、あの日を境に二度と戻ることのない世界と今を、行きつ戻りつされている。それでも尽きることのない活力を掘り起こそうと生きている。私が当事者になったならと、いつも思い巡らす。

8月某日

 お盆を利用して前から気になっていた富士吉田に出向く。河口湖そばの織物産業で栄えてきた町だ。周辺には縫製、染色、製紙業の工場もたくさんある。
 住宅と同じぐらい服が大好きな私は、最近、日本製の服の片鱗に触れたくて仕方ない。だからこの町で生まれた「オールドマンズテーラー」というブランドに、とても関心を持ち、新作が出るごとに争奪戦となるワンピースを見たくて、触りたくて、この町に出かけた。
 一部「オールドマンズテーラー」の服が残っているという雑貨屋さんをやっと見つけた。その店はひなびた商店街の一角にあったが、遠方からやってきたお客さんが何人か入っていた。見ていると良く売れている。1点3万円くらいからと、決して安いものではないのに。
 このブランドが織り上げるリネンの手触りは、北アイルランドのリネン工場のそれよりもずっと素朴な感触だった。昔ながらの織機を使い紡がれる上質なリネンは、地元にUターンした若者によって素晴らしい服に仕上がっていた。
 ブランドの奥にあるストーリーや歴史。今の人たちは、不景気にも関わらず値段より特別なものを買いたい。それを確かにつかんで服を作る人たちは、顧客に極上の満足感を与えている。
 以前から、新聞のコラムを書く度に、景気回復するために日本がどうすればいいのだろうと考えていた。そのキーワードがこのような地方の地場産業の中に潜んでいた。
「オールドマンズテーラー」の服は既存のアパレルをしのいで、どうか売って下さいと服が出来上がるのを顧客が待ち望んでいる。入手できたらラッキーとあちこちのセレクトショップに言われ、メイド・イン・ジャパン、自然素材の「ナチュラル服」が海外のスーパーブランドを追い越す日も近いかもとわくわくする。いつか本誌でも取り上げたい。
 帰路、忍野の豆腐を食べた。一個150円なり。冷たくて、透明なわき水を口に含んだようなおいしさだった。地方には豊かなものがいっぱいある。

8月某日

 この号が出る頃、私はイギリスにいる。たくさんのお客様と再びコッツウォルズやウェールズを巡っている。さて、新政権誕生によって日本はどうなっているんだろう。失望一歩手前で逆転した小沢さん頼みの代表選。個人的には馬淵さんのように、経験は少ないけれど、上場企業を立て直した、有事に強い人にこの状況を何とかして欲しかったが。国難にも関わらず企業でも、学校でも、役所でも責任を取る人がいない。逃げとブレを見慣れると、誰が真剣なのかすら見分けられなくなる。それが怖いから、彼のような人に堂々と仕事させたかった。野田さんの人柄が世界に通用すればいいが。

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豊かな食には良い水が大事だと改めて感じました。


連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


タブロイドの憂鬱

7月某日

 なでしこジャパンの面々が連日テレビに出ている。親やおじいちゃん、おばあちゃんまでも。
 朗らかで気取りのない話し方に、ただ見とれてしまう。困難にあえぐ日本のニューキャラだ。試合を見れなかった私は、彼女たちが優勝したという吉報に、「やっぱり日本は女性の方が物事をやり遂げる貫徹力が強いのかもしれない」と確信した。
 このところ、偉いとされる男性陣はメディアに向かって謝ってばかりいる。政治家に至っては、自らが引き起こした不祥事への言い訳をアレコレ考えた挙げ句、血液型のせいにしてみたりで知性のかけらもない。
 責任を背負って立つという生真面目さが、ずっと身に付かないままオヤジになりました、という感じ。
「がんばろう日本」という標語は好きではなかったが、(それは個人の意識に帰依する問題だし)そういうコツコツ精神をせせら笑っているかのような、責任職にあるオヤジのデタラメさにうんざりしていた。
 だから「なでしこ」たちが、働きながらスポーツを続けてきた地味さ、愚直さに打たれた。試合に見入っていた人々が、こういう栄光のつかみ方こそ従来の日本人の姿だと気付かされたはずだ。
 19歳から仕事に就いて今日まで、女性であることに全く不都合を感じたことのない私は、男女平等やジェンダー論とは縁が無かった。
 なでしこ優勝で、改めて優秀な女性は優秀な男性に勝ると確信した次第だ。
 思えば日本は社会が安定している北欧に比べ、女性議員の数が圧倒的に少ない。スウェーデンの女性議員の占める割合は世界トップレベルの45%。男と女がほぼ同数といえる。(ちなみに日本は世界121位と政治は男尊女卑のまま)政界に入ってもペット化する女性議員も多い。
 福島瑞穂さんが国会は完璧に男社会とおっしゃっていたが、これだけの国難に立ち向かうには女性の持つ細かさ、緻密さが必要なのではないかと思う。一足飛びで大きなことができなくても、壊滅寸前の社会を立て直すには、大局からメスを入れるのと同時に地固めが必要だ。
 銃後の日本を支えた女性。
 高度経済成長を家庭から支えた女性。
 そして今、震災と放射能で大きな不安を抱える日本を、女性はどう支えていけるのだろうか。

7月某日

 もうすぐ出版される恋愛エッセイ「求む! イギリス人男性の同居人」(ポプラ社)のゲラや表紙が行き交う。あれこれと追加修正するうち、再々校まできてしまった。担当のサトウさんに申し訳ないと思いつつも、「会社が近いから大丈夫ですよ」と言われると、つい安心して修正してしまう。
 彼は時たまアポ無しでやってきて、私の机があるフロアの入口から「井形さーん」と呼ぶ。不思議だが、それはたいてい私が机に向かっている時だ。手元は原稿や資料が散乱して、床には雑誌やコピーがカルタのように広がっている。慌てて飛び出そうものなら、大切な写真や本を踏みつけてしまう。
 つま先立ちでそっと出ようとすると、長いネックレスが守護神のように並べられた災害時用の自転車に引っかかってしまう。すでに大切なネックレスの何本かは、このいまいましい自転車のハンドルに引っかかって切れてしまった。だから慌てないようソロソロとドアに向かって出てゆく私。
 今回の本は、なぜ多くの日本女性がイギリスに惹かれてゆくのか、その背景を恋するシングルマザーの視点から描いた。「あなたが私を好きだった頃」「約束のない日曜日」の切ない恋をガラリとぬり変える作品になったと思う。
 20代の頃、私はひたすらイギリスに憧れ、求めても叶わない「豊かな暮らし」に思いを馳せ、周囲の好奇心や偏見に負けじと、風変わりで謎めいたイギリス人と暮らし始めた。
 けれど、眺めているだけのイギリス文化と、自分の日常に入り込んできたイギリスは、大きく食い違っていた。いい意味でも、悪い意味でも、欧米人との恋は猛烈なエネルギーが要る。走り出せば後に引き返せない依存症にも陥る。もう日本の男性を好きになれないかも......と、思ってしまう。
 今から20年以上も昔。東京にはイギリス人をはじめ欧米人がたむろする独特のスポットがたくさんあった。そこにはお金がないくせに、どん欲に自分の夢を追求しようとする男たちが、ギラギラした目で世界各地から集まってきていた。今で言う肉食系。でも生活を楽しむ気質もありで、彼らは貧乏であることを楽しんでいた。そんな東京は、今よりずっと面白く、可能性にも満ちていた気がする。
 だから、誰もが上を目指した。私のような仕事もなく貯金も尽きた若者も、欧米を目指せば人生が変わると信じられた時代だ。
 日本もイギリスも、妙なエネルギーに満ちていた。「小さな恋のメロディ」でロンドンに憧れ、「クイーン」「モンティパイソン」に心酔し、オーペア(お手伝い)になってユダヤ人家庭に住み込んでもいいと、一体どれだけの若い女性が渡英しただろう。
 今では考えにくいかもしれないが、アンカレッジ経由で成田に戻る帰路、「日本に帰りたくない」とか「社会復帰できないよ」と、機内で涙する女性をよく見た。そんなこともあるのだなぁと思いつつ、イギリスに恋した私も、イギリスに戻りたくて飛行機から成田市街が見えた瞬間、泣いた。
 彼女たちが語るイギリス留学やロンドンでのアルバイトライフは素朴だけれど、いかにも斜陽のイギリスらしい切ないエピソードがたくさんあった。
 その多くは「けちんぼうなパキスタン人の家主がボイラーを修理してくれない」とか「うちのユダヤ人は冷蔵庫に何も入れておかない。戸棚には鍵をかける」など、非難めいたものが多かった。住み込みで働く日本人にとって、雇用主であるイギリス人(主に移民)はいずれも辛辣だった。日本人は所詮、東洋の果てのわけの分からない小国からやって来た季節労働者と思われていたのだ。
 それでも彼女たちは、労苦を上回るキラキラした思い出を胸に抱いていた。留学生・お手伝いさんから、労働ビザを持たない日雇い労働者までが、永住を夢見てイギリス人男性に恋をする。先の見えない約束を交わす。
 街全体がセピア色のベールに包まれているような80年代のロンドンが、ゲラを読むたび立ちのぼってくる。

7月某日

 「英盗聴疑惑」が日本でも大きく報道されている。パパラッチのしつこさと、盗聴におびえる著名人の姿は、紳士の国と結びつかない。今後、露呈する被害によってはキャメロン首相も失墜しそう。メディア王ルパート・マードック氏をめぐる相関図は、権力と陰謀の深い結びつきにハリウッド映画の社会派サスペンスを見ているようだ。
 さて今回のキーワードである新聞だが、ロンドンでは日中多忙なため、夕方駅前で無料で配布される「イブニング・スタンダード」をいつも読んでいる。これは日本でいうところの夕刊紙だが、日本のフリーペーパーとは比べものにならないボリュームで、社会面、経済面も充実している。「これをなぜ無料配布できるのか」と、いつもスタッフと共に広告の数を数える私。
 一方有料のタブロイド紙、「サン」「ミラー」を選ぶ時は、写真とキャッチでどれを買うか決める。だが、今にして思うと、マードック氏率いるニューズ・コーポレーションのドル箱、発行部数270万部の「サン」を選ぶことが圧倒的に多かった。英文キャッチも面白いし、読んでみたいとそそられる。中身は大したこともないが、このあおり方は超一級。盗聴しまくりのスクープで、王室から政財界要人の裏の顔を暴露してきたのだろう。
 そもそもタブロイド紙は、イギリスの新聞王、初代ノースクリフ子爵が発行したハーフペニー新聞(半ペニーで買える新聞)が始まりだった。当時は部数も少なく、力のない媒体だったらしい。
 1880年代に製薬会社が薬剤を小さなタブレット(錠剤)に収めて販売を始めたことで「タブロイド」という言葉が広く知られるようになり、20世紀に入るとタブロイド紙は国民にとっての短い記事、鮮明なジャーナリズムが、たったの半ペニーで入手できる新しい薬と人気が上昇した。
 やがて読者が増えるとともに、タブロイド紙は政治的な力まで持つようになる。
 読者は、新聞名が赤色で刷られることからこの俗っぽい新聞を「レッドトップ」と呼び、やみつきになってゆく。
 また、その大半は体を張って仕事をする労働者であったり、子育て中の母親であったり、長い記事を読む時間のない人々だった。だから自分を取り巻く世界の、一口サイズの情報や、くだらなく日常生活の中で元気になれる新聞を求めたといわれる。
 タブロイド紙の広がりによって、イギリス人のセレブに対する純粋な関心も高まってゆく。TVや映画、スポーツ業界がスターの個性に合わせた商品販売を始めるなど、エンターテイメントな記事がタブロイド紙の大きな魅力となり、タブロイドの人気は不動のものとなったのだ。
 同じタブロイドでも、ミラー紙による1990年代の「Stop the War」反戦キャンペーンの売れ行きが悪かったことを考えると、イギリス人本来の気質も垣間見える。
 今回の騒動は、タブロイドの育ての親ともいえる国民の怒りが強い世論となり、「サン」の日曜版、256万部の発行部数を誇る「ニュース・オブ・ザ・ワールド」を7月、廃刊に追い込んだ。
 いくらゴシップ好きでも、メディアと国家権力が結びつくとなれば話は別なのだ。
 権力者ですら世論の恐ろしさを知っているイギリスでは、不倫一つとっても政治家の首が飛んで再起できない。
 だが、そんな世論がもっと、もっと著名人のプライバシーを見せろとせがみ、スクープ合戦を激化させ、ダイアナ元妃の事故死など悲劇を生んだことを考えると、この事件の全容を国民があぶり出してゆくことは、何とも皮肉なことだ。

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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


「イギリス式シンプルライフ」の裏話

6月某日

 たくさんの不安を抱え、成田で部長、クマと換金などしてフライト。3人で足が伸ばせる席を確保。だが気を抜くと眠気が襲う。夕べは3時間睡眠。皆で行程表を見るなど真剣に打ち合わせするも、スケジュールを見るだけで目が回りそう。
 本を読んだり、空港で買ったおいなりさんを食べたりしつつ、ときおりスカイマップであと何時間か確認する。ずっと機上の人でいたい気がするのはなぜ。あんなに飛行機が怖かったのに。

6月某日

 ロンドンは晴天。タクシーでフィンチェリーロード、キド社長のもとに伺う。奥さまもいて嬉しい。近くに出た1ベッドルームの物件について話が盛り上がるも、キャブの運転手が「待てない」とせかすため早々に退散した。
 セントジョーンズウッドの格安物件について聞きたかったのに残念。彼は今、とても話したい人の一人。会うといつもホッとして、ロンドンに来たという実感がわく。光溢れる応接間、パワーと夢と懐かしさがある空間に満たされる。

6月某日

 クマ、ピカデリーの書店に走る。 私は部長とホーリーロウに荷物を搬入。明日撮影用のスコーンを買いに夕刻、ハイストリートへ。
 6月の風が香る。5月の時とは違う初夏の残照。暑いけれど来るたびこの街はいいなと思う。
 横丁の食材店に行き、店員と旬のハニー&レモンのジャムなど選びつつ、旬のオリーブオイル炒めアスパラも箱に詰めてもらう。どれもこれも今すぐ食べたくなるほどおいしそう。クロワッサン、アスパラガス、チキン、ハム、メレンゲなど買う。しめて3千円ちょっとのぜいたく。日本では食の不安におびえていたから、毎日でも通いたい店。
 明日は6時起きでヘルシャムまでオーガニック農場の取材に出向く。せめて電車の中でおいしい朝ご飯を食べたい。
 店の外に出ると、ハム在住の変人編集者に似た太った男性が立っていた。地元のパブ、「スリー・ホース・シューズ」の4階にシアターがあり、今晩8時から劇が始まると言う。運命的なひらめきを感じ、慌てて建物の中に入り上に駆け上がる。
 すると古着を着たおばあちゃんが狭い入口でチケットを売っていた。中にはすでに1名、カルチャーじいさんも席を陣取っている。薄暗い入口を抜けた場所に、天井桟敷よろしく60席程の本物の劇場があった!
 舞台には戦後のイギリスの居間が再現してある。古書の並んだ本棚や、ソファなどがセピア色の照明のもと、いにしえの善き中流家庭を思わせる。
 まるで秘密の隠し部屋だ! これぞハムステッドの不思議さだ!
 前からこの建物の前を通り過ぎるたび、外壁に描いてある「PENTAMETER THEATRE」とは何だろうと思っていた。昔、この建物は劇場だったのかと。
 実はこの劇場、1968年に芸術ディレクターのレオニー・スコット・マシューズ女史によって設立され、シェークスピアに匹敵する古典から最新のコメディまでを、最上階で幅広く上演してきたというフリンジシアター。おばあちゃんに、まだ3名分チケットがあると聞き、部長、クマに連絡。全員あちこちから慌てて駆けつける。
 「英語の劇なんて分かるんですかね」と、部長。分かろうが分かるまいが、この不思議な空間に集まる人々がいったいどんな顔ぶれなのか見ようということになる。
 慌てて、明日の朝ご飯にと買ったデリをビールで流し込み、開演10分前に3人で入るも、すでに満席。
 カクテルドレスを着た若い女性もいて、薄暗い幻想的なセットの居間を見つめている。驚いた、こんなに人が集まるなんて。こんなローカルな場所で、アングラでもない劇が上演されているなんて。
 俳優も本格的――だが、始まってわずか10分で眠くなり、部長がいびきをかきそうに。何度か起こすうち、私まで居眠り。演じている方々に申し訳なく、1時間で外に出た。雰囲気を味わっただけでも大満足だったが、切符売りのおばあちゃん怒ってるかなと思いきや、「あの人が創設者のレオニーさんですよ」と、クマに教えられ冷え上がる。
 明日夕は「井形慶子と行く美しいコッツウォルズの家々と欧州最大のアンティークフェアをめぐる旅」が始まる。ヒカルとターミナルで問題なく会えるか。参加者の方々がヒースローに到着される前に時差ボケを何とかしなければ。
 全員、ホーリーロウにて爆睡。

6月某日

 北ウェールズのウール工場を皆さんと見学。ヒカルが通訳するも、機械の騒音のうるさいこと。でも、皆さんクラフトへの関心は高い。
 これまで何度かウェールズスコットランドのミル(工場)に立ち寄ったことを思い出す。一番印象に残るのは、「イギリス式シンプルライフ」(宝島社)を取材中、スコットランド・ボーダー地方を訪ねた時のことだ。

 レンタカーで羊毛産業をたどるようにカシミア街道のセルカークを目指した。ロッキャランビジターセンターで、カラフルなウールやカシミアに心躍るも、ウール工場の見学はクリスマス前のためやっていないと言われ、施設内を歩き回る。
 すると、使われなかった生地が30ペンスから6ポンドという値段で山積みになって売られていた。厚い質感のウール、タータンチェック。ハギレを売るアウトレットコーナー。こんな上質な生地だもの、切り刻んでジーンズのアップリケにしようかと夢が膨らんだ。
 その後、街道沿いに立っていた『アート&クラフトフェアToday』の手描き看板を見つけ、ボードをたどると、古い工場跡に行き着いた。画家とジュエリーデザイナーの中年女性が2人、工場内の一室でクラフトショップを営んでいた。狭い店内にはボーダー地方を描いた絵や革細工、ジュエリーが並ぶ。こんな場所で商売が成り立つのか不思議に思った。
「毎日がフェアよ」と笑う画家キャロルの話は革新的だった。
 2002年、羊毛工場も衰退の一途をたどるばかりとなっていたボーダー地方では、自治体の調査によって、画家、写真家、工芸職人といった芸術家が、イギリス国内で2番目に多く住んでいることがわかり、芸術家の人口密度もスコットランド一高いことが判明したという。

「なぜボーダー地方にアーティストが多いのですか」
「それは、かつての羊毛産業で使われていた工場が多く残っていて、お金のないアーティストたちが工房を借りやすいからよ」

 なるほどなと思った。廃墟と化した元工場が創作のきっかけとは面白い。
 イギリス政府とスコティッシュカウンシル(Scottish Council)は、スコティッシュ・エンタープライズ(Scottish Enterprise)という組織を設立。これは芸術のみならず、他の産業の支援をも行う団体。これが徐々に個々のアーティストを支援し、ビジネスとして成立させた。その結果、地域全体の工芸産業の復興に取り組むクリエイティブ・スコットランド(Creative Scotland)という組織が立ち上がり、絵画のフレームを作る人から観光業を営む人々までが、この地域の産業を盛り立てようと動き出したという。
 ボーダー地方で作られるウール製品はセーターで1万円前後。一生モノにふさわしい上質な製品ばかりだ。
 本来のシンプルライフは決して安くはない。だが、モノの数を絞ることで部屋は片づき「いい服を着ているわね」「この椅子、どこで買ったの」と、いつも上質なモノに囲まれていると人目にもわかる。取り繕わなくてもよい。
 こんなシンプルライフを支える一つが、英国の小さな街に息づく職人だろう。私たちも地方の工房など、血の通ったモノづくりの現場をどれだけ貴重と思えるか。
 40年以上続く、ハムステッドの小劇場しかり、生活の質を豊かにするのは立派な箱ではない。時の流れにかき消されない継続力と、消費者の視点だと思える。

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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


今、大切にすべきこと

5月某日

 この号が発売される頃、私はイギリスにいる。すっかりおなじみとなった「井形慶子と行く美しいコッツウォルズの家々と欧州最大のアンティークフェアをめぐる旅」の最終日だろう。
 今年はニューアークの巨大アンティークフェアに行き、ウェールズのスノードニア登山鉄道にも乗りと盛り沢山だ。震災による自粛ムードにもかかわらず、今回も多くの方々がご参加下さったとのこと。ありがとうございます。
 今年で8年目となるが、多少ハードながらも「イギリス人の生の暮らしが見られる!」と、このツアーには通年お問い合わせをいただいてきた。何といっても来年はロンドン五輪で、エアー&ホテル共に取りづらいといわれている。
 バラが美しい5月から晩秋にかけて、イギリスへの駆け込み旅行も増えるといわれる。何しろロイヤルウェディング直前は、ニューヨーク―ロンドン間のエアチケットも10倍に跳ね上がったのだから。
 出発直前までロイヤルウェディング絡みのコメントやらテレビ出演を依頼されててんてこ舞いだった。マイレージが貯まって今回もビジネスに格上げできた私は、飽食三昧、映画や本の読み放題でくつろごうと、フライトを楽しみにしていた。
 少々齢を取ったかなぁと思うのは、このフルフラットシートに自分自身がとても固執し始めたことだ。以前は「車は動けば何でもいい」感覚と同じく、飛行機も(エアラインのこだわりはあったものの)安ければエコノミーで全くかまわなかった。ところが、数年前、幸運にも搭乗手続き前に、オーバーブッキングだからとビジネスクラスに格上げされた。
 それがきっかけだった。出発間際までバタバタと仕事がなだれ込み、時差もこたえる今、まるで我が家にいるように足を伸ばして、くつろげる。コールボタン一つで冷たい飲み物も、アラカルトメニューも何でも持ってきてくれる小空間は、雲上のオアシスだと戻れなくなった。テーブルに読みたかった本を積み上げた瞬間、朝の通勤電車で「時間よ止まれ」と願いながら本をむさぼり読む、あのワクワク感がわき起こる。
 20代の頃、自宅のベッドで横になるたび、将来科学が進歩して、空飛ぶベッドができないものか、ゴロゴロするうちイギリスに到着できたらどんなにいいだろうと空想したことも懐かしい。
 ビジネスクラスを安く利用する方法はいくつかあるから、そこを押さえれば、旅行年齢もグッと引き上がると思うのだが。

5月某日

 とはいえ、頭のさめた部分では相変わらず原発問題が渦巻いている。否、放射能への恐怖か。
 ロイヤルウェディングの興奮冷めやらぬ英国への期待は、魚であれ、葉物野菜であれ、「どこで採れたんですか」といちいち確認せずとも、思う存分食べられることだ。
 震災以来、あれやこれや、かなり気重なことが重なっていた。今度こそハムステッドヒースを散歩して、全てを忘れてウサギのようにバリバリ生野菜を食べよう。マーケットに行ってフタに生クリームが付いた純度の高い、低温殺菌の牛乳や、フリーレンジの濃い黄身の卵を買おう。トロリとしたスクランブルエッグにルバーブ&シャンパンのジャムトーストも食べる!
 モヤモヤを振り切るには、楽しいことを考えるのが一番。ところが空港に着くや「大変だ、ビンラディンが昨日殺された」と聞き、この間の悪さに驚がくとした。原発、報復テロと、いったい地球上のどこに行けば安心できるのか。
 イギリスはアメリカの兄弟分だけに、連日メディアでは世紀の結婚を押しのけ射殺作戦がトップニュースで報道された。
 新聞や食品を売るミニ雑貨店、ニュースエージェントでは、バツを付けたビンラディンの顔を表紙にした雑誌がズラリと並ぶ。
 いちいち中身を開けて、生々しい写真を見比べていると、買いたかったのはどれだっけと分からなくなる。やる気がなさそうなインド人の店員は、愛想なくレジを打っては、立ち読みする私に目もくれず、ケータイで友だちと喋っているから助かるが――。
 それにしても2005年に56人が死亡する同時爆破テロが起きたロンドンだ。イスラム街ならテロの標的にはなるまいと、食事はあえてエッジウェアロードで取った私。
 さて、ビンラディン殺害を米国人は「審判の日」と狂喜し、オバマの支持率は上がった。その姿は欧州の人々の目に9・11直後に喜び合うアルカイダのようだと異様に映る。司法手続きなしの処刑に多くの犠牲者を出した英国人でさえも「strange」と困惑気味。
 だが、報復というリスクを背負ってもオバマの信念は揺るがない。
 何冊か購入した雑誌を、フラスクウォークの横丁パブで読む。ヒラリー・クリントンの驚き顔。オバマはじめ、米国トップリーダーが揃った例の写真を見た時は、そっくりさんを集結させた新作映画の宣伝かと思ったほどだった。
 よくできている。アングルもいい。演出、タイミング、ボキャブラリー、見せ場を外さないというのも、プロの政治家には必要なのだろう。
 欧米諸国でしょげた顔の政治家は相手にされない。真剣で強い目力と巧みな言葉で「Yes, we did!」と叫ぶ。国民と政治家は一心同体だと言われれば、その勢いに引っ張られて納得する手法。
 田舎町のようなガーデンコテージを横切り帰宅する。今日はより高くから小鳥のさえずりが聞こえる。けれどこの豊かさを諸手を挙げて享受できない。
 日本を想うと暗たんとするのだ。

5月某日

 「ロンドン生活はじめ! 50歳からの家づくりと仕事」(ホーム社刊)、「月収15万円で暮らす豊かな手引き イギリス式シンプルライフ」(宝島社刊)と、この号が出る頃には、ロンドンで念願の家を購入し、生活の第一歩を踏み出した悲喜こもごもの一年間と、新たに見つけたシンプルライフの本が出版される。出版社は違えど、根底に流れている「喜び」は同じ色合いだ。
 訪問者から生活者になることに、かなり不安もあった。大局から見たイギリスの良さや価値感が、日々のどうでもいいこと(イギリス人のマナーの悪さ、狭い日系社会etc.)で消滅しないかと。
 新鮮なまなざしが曇らぬよう、毎日日記を書き続け、写真を撮り続けた。社会状況にふり回されず、自分の価値観をよしとする。そこから始められるたくさんのことを、2冊の本に書き綴った。
 ぼんやり生きていては、「身の丈に合った幸せ」も見えなくなる。日記や写真やブログは、自分の感情の発露ではなく、意識的に生きるためのガイドラインだといつも思う。

6月某日

 編集部で共同購入グループを作った。食への不安がつのる中、家族のいる者、自炊する者と共に、北海道・オホーツク海近くの「クラブ大地」さんから無農薬野菜を取り寄せている。見た目は悪いが、味は極上。朝摘み野菜は大人気だ。
 食後に美味しいコーヒーが飲みたいと、ヒカル推薦の吉祥寺中道通りの『道草』で焙煎を頼み、私は豆を挽いたものの、ヒカルには豆ごと一袋分買って帰る。
 編集部に戻り、「ちくまweb」の連載を校正していると、私の書いた一節にヒカルが「赤」を入れてきた。「これはすでに調べてあるからいいのよ」と言っても、まるで編集者のように、「いや、でも」と、指示を出す。英国ツアーの打ち合わせ中も、居眠りしていたかと思えば、突然目をパチクリ開けて「編集長はここでお客様にあいさつをしてください」と言う。何なんだコイツはと思いつつ、「少し苦めの豆が好きでしょ」と、炒りたて『道草』のコーヒーを渡した。
 香ばしい香りが広がる。普段なら文句の一つも言うところだが、今は一杯のコーヒーを分かち合える喜びを優先しよう。
 憂うべきは他にある。
 いつか映画で見た、アウシュビッツに送られるユダヤ人家族が、持ち金はたいてひとかけらのチョコレートを分け合う光景がよみがえる。独裁者ならぬ原発村に愚弄されても、大切にすべきことを守るのだ。

イメージ




連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


時にはタフで行こう

1月某日

  NHK「今日の料理」や雑誌、CMで一世を風靡した料理研究家、大原照子さんの留学体験を本誌で紹介したところ、熱い反響を頂いた。
 大原さんの本を読んでいた私にとっても、彼女はとても気になる大先輩であった。が、その敷居は高かったのだ。

 インタビューの日は、ブーケを2つ持ってご自宅に出かけたものの、他のスタッフもかなり緊張していた様子。
 ところが、お目にかかった大原さんのその大らかさに圧倒されたのは、先だっても編集後記で書いた通り。著作や写真のイメージと全く違うという方はいらっしゃるが、大原さんはその典型かも。
 誤解なきよう記しておくと、ロンドンに家まで持った私は、ハイソな方(お付き合いも含めた)が得意ではない。と、いうかよく分からないため、いつも失礼のないよう、相当気を使っている。
 中には、著作からも明らかにそうでないタイプの人もいるが、私のイメージの大原照子さんは、「ごきげんよう」「お気を付けあそばせ」的な要素が多分にある方と勝手に想像していた。
 だが、「今日はケンゾーのニットなのよ」と、明るい色のセーターを着た彼女は、氷を浮かべた普通の麦茶を出して下さり、(グラスはクリスタルだったが)買ってきたパウンドケーキをふるまって下さった。もちろん、おしゃべりも尽きなかった。
 そうして、帰る間際、1階のお店でアンティークブローチを記念に買って帰りたいなぁと物色する私の横で、「仕入れもお店も、みーんなお嫁さんにまかせてるのよ」と、ご家族の前でものんびりされている。できたお嫁さんと自慢する大原さんも気さくな姑なのだ。再びへぇーと感心した私。

 そして、その意外性は、時折大原さんからいただく「ハガキ」で更に大きくなる。
 MPで大原さんのことを書いた編集後記を読まれると、「ありがとー」とフレンドリーなご挨拶のハガキが届いた。何度かのやりとりの後、ロンドンに住んでいらしたからと、最新刊の「突撃! ロンドンに家を買う」(講談社)をお送りしたところ、このようなハガキをいただいた。(ご本人にもおことわりの上掲載 一部抜粋)

井形慶子 様

おめでとう!! ついにハムステッドに「おうち」を買いましたね。
「私の初夢」は
LondonのMAYFAiRに一軒家を買う。そして、ショーファードリヴンカーに乗ってハロッズへ行く。白いシーツと枕を買い、またせてある車にのって、新しいオウチへ帰る。

大原照子

 ちなみにショーファードリヴンカーとは、お抱えの運転手が運転するようなロールスロイス並みの超高級車のこと。恐れ入った。今風の書き方なら、「大原さん恐るべし」となるか。
 すでに私の本を読まれた方はああー、あの部分ね、と思われたことでしょう。この本のクライマックスをピックアップされたのだ。ついでにクマにいただいたハガキには「ロンドンのアジト」と記してあった。イキだなぁ。
 自分の特技はお喋り好きで、誰とでもすぐに仲良くなることとおっしゃっていたが、40代と50代で決行した留学&英国生活は、現地の人達にとっても愉快なものだったに違いない。
 そういえば、大原さんは私やスタッフにも屈託なく、よく質問された。何にでも興味が持てるというのは、その人の聡明さを表すバロメーターなのだ。
 出かけていく醍醐味は、これまで見たこともないような、想像もしなかったような人と出会えることだ。
 歳をとるほど、誰しも頑なになる。ガンコとも呼ばれる特性を、愛すべき個性に転換できる人は、いつまでもマイペースで生きられ、幸せだと思う。

1月某日

 年明けて、管内閣が再び改造された。
 だが、存在感が醸し出せないのは変わらずで、これほど期待値と実行力の差を見せつけられると、やる気のない学生や従業員の尻叩きを彷彿させる。ハッパをかけるメディアも世論も停滞気味で、政権交代時の政治への関心は地に落ちた感がある。
 こんなことを言ってはならない。できない理由を追求しても意味がないと思ってきたから。

 日本同様、財政難にあえぐイギリスを年末訪ねたが、「我々の政府はタフだ。必ず良くなる」と、胸を張る人々が多いことが意外だった。単なる強がりかと話を聞いても、「どん底は続かない。未来は明るい」と語る人々の表情に曇りはなかった。
 キャメロン率いる新連立政権は、財政難の時こそ打開策を打ち出し、「強いイギリス」をスローガンに掲げている。だが、日本の低迷ぶりを見ていると、財政再建は、そう簡単ではないはずと、楽観的なイギリス人がむなしく思えた。

 ところが、クリスマス明けのロンドンでは、人気百貨店セルフリッジに中国人が固まりとなって押し寄せ大盛況だった。セール品のサイフを買おうと思ったが、品薄の棚ばかり。タクシーの運転手は「今朝から、中国人を乗せてホテルとセルフリッジをピストン輸送しているが、何の騒ぎだい」と、目を白黒させていた。
 世界の金がロンドンになだれ込んでいる様は、肌で感じる。
 同店の売り上げは前年対比16%上昇とか。ちなみに不動産も一年で10%値上がる首都の強さに圧倒された。なぜだ。

 1月4日、イギリスでは日本の消費税にあたる付加価値税(VAT)を、食品や子供服などを除き17・5%から20%に引き上げた。
 生活を直撃する子ども手当ても、両親のどちらかが年収4万4000ポンド(約580万円)以上の家庭は2013年から支給取りやめ、経済、内務、法務、文化スポーツの各省は4年で25〜23%削減など、財政再建策が次々と打ち出された。結果的に49万人の公務員が削減される。すごい数だ。
 一時的に失業者も増える。だが、沈む船に平然と居座ることは愚行だ。「今行動しなければ、経済は更に悪化する」と、昨年5月の総選挙では、最大野党保守党も増税を承認。

 国民の消費は一時的に目減りすることは必至。
 この国の財政再建策は確かにタフだ。国内総生産(GDP)に対する財政赤字を2009年度の約11%から、わずか4年間で約2%まで減らすというのだから。
 世論調査会社YOUGOVによると、政権支持率は昨年6月の45%前後から、今は30%台前半に落ち込んでいるという。「財政再建を急ぎすぎ」という声も出始めているが、今のところ、(学費高騰による派手な学生デモは起きたものの)デモなど際立った動きはない。

 短期間で1130億ポンド(約15兆円)分を予算削減や増税で浮かせる考えは、連立与党の核となってねじれ国会の影もない。イギリスが強いというよりも、政府が強い決断力を持っているのだ。
 何と言ってもこの国は、かつての英国病脱却に20年かかったという辛い経験がある。過去から学んだ決断は、ちょっとやそっとでは揺るがないだろう。

 来年度より団塊世代の本格的年金支給が始まる日本は、今だ内輪もめに終始している。なぜ手を打たないのか腹立たしい。
 政治は富の分配だ。
 外交から財政まで日英の決定的違いは、政治家が国益を第一に考えているか否かだ。強い日本を再建する手本を見せつけられ、他国を羨むのはもうご免だと、声を大にして言いたい。
 そんなタフさを今年も大切にします。

1月某日

  NHK「今日の料理」や雑誌、CMで一世を風靡した料理研究家、大原照子さんの留学体験を本誌で紹介したところ、熱い反響を頂いた。
 大原さんの本を読んでいた私にとっても、彼女はとても気になる大先輩であった。が、その敷居は高かったのだ。

 インタビューの日は、ブーケを2つ持ってご自宅に出かけたものの、他のスタッフもかなり緊張していた様子。
 ところが、お目にかかった大原さんのその大らかさに圧倒されたのは、先だっても編集後記で書いた通り。著作や写真のイメージと全く違うという方はいらっしゃるが、大原さんはその典型かも。
 誤解なきよう記しておくと、ロンドンに家まで持った私は、ハイソな方(お付き合いも含めた)が得意ではない。と、いうかよく分からないため、いつも失礼のないよう、相当気を使っている。
 中には、著作からも明らかにそうでないタイプの人もいるが、私のイメージの大原照子さんは、「ごきげんよう」「お気を付けあそばせ」的な要素が多分にある方と勝手に想像していた。
 だが、「今日はケンゾーのニットなのよ」と、明るい色のセーターを着た彼女は、氷を浮かべた普通の麦茶を出して下さり、(グラスはクリスタルだったが)買ってきたパウンドケーキをふるまって下さった。もちろん、おしゃべりも尽きなかった。
 そうして、帰る間際、1階のお店でアンティークブローチを記念に買って帰りたいなぁと物色する私の横で、「仕入れもお店も、みーんなお嫁さんにまかせてるのよ」と、ご家族の前でものんびりされている。できたお嫁さんと自慢する大原さんも気さくな姑なのだ。再びへぇーと感心した私。

 そして、その意外性は、時折大原さんからいただく「ハガキ」で更に大きくなる。
 MPで大原さんのことを書いた編集後記を読まれると、「ありがとー」とフレンドリーなご挨拶のハガキが届いた。何度かのやりとりの後、ロンドンに住んでいらしたからと、最新刊の「突撃! ロンドンに家を買う」(講談社)をお送りしたところ、このようなハガキをいただいた。(ご本人にもおことわりの上掲載 一部抜粋)

井形慶子 様

おめでとう!! ついにハムステッドに「おうち」を買いましたね。
「私の初夢」は
LondonのMAYFAiRに一軒家を買う。そして、ショーファードリヴンカーに乗ってハロッズへ行く。白いシーツと枕を買い、またせてある車にのって、新しいオウチへ帰る。

大原照子

 ちなみにショーファードリヴンカーとは、お抱えの運転手が運転するようなロールスロイス並みの超高級車のこと。恐れ入った。今風の書き方なら、「大原さん恐るべし」となるか。
 すでに私の本を読まれた方はああー、あの部分ね、と思われたことでしょう。この本のクライマックスをピックアップされたのだ。ついでにクマにいただいたハガキには「ロンドンのアジト」と記してあった。イキだなぁ。
 自分の特技はお喋り好きで、誰とでもすぐに仲良くなることとおっしゃっていたが、40代と50代で決行した留学&英国生活は、現地の人達にとっても愉快なものだったに違いない。
 そういえば、大原さんは私やスタッフにも屈託なく、よく質問された。何にでも興味が持てるというのは、その人の聡明さを表すバロメーターなのだ。
 出かけていく醍醐味は、これまで見たこともないような、想像もしなかったような人と出会えることだ。
 歳をとるほど、誰しも頑なになる。ガンコとも呼ばれる特性を、愛すべき個性に転換できる人は、いつまでもマイペースで生きられ、幸せだと思う。

1月某日

 年明けて、管内閣が再び改造された。
 だが、存在感が醸し出せないのは変わらずで、これほど期待値と実行力の差を見せつけられると、やる気のない学生や従業員の尻叩きを彷彿させる。ハッパをかけるメディアも世論も停滞気味で、政権交代時の政治への関心は地に落ちた感がある。
 こんなことを言ってはならない。できない理由を追求しても意味がないと思ってきたから。

 日本同様、財政難にあえぐイギリスを年末訪ねたが、「我々の政府はタフだ。必ず良くなる」と、胸を張る人々が多いことが意外だった。単なる強がりかと話を聞いても、「どん底は続かない。未来は明るい」と語る人々の表情に曇りはなかった。
 キャメロン率いる新連立政権は、財政難の時こそ打開策を打ち出し、「強いイギリス」をスローガンに掲げている。だが、日本の低迷ぶりを見ていると、財政再建は、そう簡単ではないはずと、楽観的なイギリス人がむなしく思えた。

 ところが、クリスマス明けのロンドンでは、人気百貨店セルフリッジに中国人が固まりとなって押し寄せ大盛況だった。セール品のサイフを買おうと思ったが、品薄の棚ばかり。タクシーの運転手は「今朝から、中国人を乗せてホテルとセルフリッジをピストン輸送しているが、何の騒ぎだい」と、目を白黒させていた。
 世界の金がロンドンになだれ込んでいる様は、肌で感じる。
 同店の売り上げは前年対比16%上昇とか。ちなみに不動産も一年で10%値上がる首都の強さに圧倒された。なぜだ。

 1月4日、イギリスでは日本の消費税にあたる付加価値税(VAT)を、食品や子供服などを除き17・5%から20%に引き上げた。
 生活を直撃する子ども手当ても、両親のどちらかが年収4万4000ポンド(約580万円)以上の家庭は2013年から支給取りやめ、経済、内務、法務、文化スポーツの各省は4年で25〜23%削減など、財政再建策が次々と打ち出された。結果的に49万人の公務員が削減される。すごい数だ。
 一時的に失業者も増える。だが、沈む船に平然と居座ることは愚行だ。「今行動しなければ、経済は更に悪化する」と、昨年5月の総選挙では、最大野党保守党も増税を承認。

 国民の消費は一時的に目減りすることは必至。
 この国の財政再建策は確かにタフだ。国内総生産(GDP)に対する財政赤字を2009年度の約11%から、わずか4年間で約2%まで減らすというのだから。
 世論調査会社YOUGOVによると、政権支持率は昨年6月の45%前後から、今は30%台前半に落ち込んでいるという。「財政再建を急ぎすぎ」という声も出始めているが、今のところ、(学費高騰による派手な学生デモは起きたものの)デモなど際立った動きはない。

 短期間で1130億ポンド(約15兆円)分を予算削減や増税で浮かせる考えは、連立与党の核となってねじれ国会の影もない。イギリスが強いというよりも、政府が強い決断力を持っているのだ。
 何と言ってもこの国は、かつての英国病脱却に20年かかったという辛い経験がある。過去から学んだ決断は、ちょっとやそっとでは揺るがないだろう。

 来年度より団塊世代の本格的年金支給が始まる日本は、今だ内輪もめに終始している。なぜ手を打たないのか腹立たしい。
 政治は富の分配だ。
 外交から財政まで日英の決定的違いは、政治家が国益を第一に考えているか否かだ。強い日本を再建する手本を見せつけられ、他国を羨むのはもうご免だと、声を大にして言いたい。
 そんなタフさを今年も大切にします。

 

写真
今年に入って継続していた2冊の本を書き上げました。
ホームページをご覧下さい(ヒースロー空港にて)



連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


愛しのアイリッシュリネン

12月某日 TOKYO

 師走も早半ば。今年もあと数日で長い冬休みが始まる。『ミスター・パートナー』恒例、半月間のウィンターホリデーを目前に控え、一年の総締め作業に忙殺されるこの時期は、毎年のことながら睡眠不足との戦いが続く。慌ただしい日々こそ、眠りの時間を大切にしたい。年を重ねるほど、強くそう思うようになった。
 そんな私が今、欲しいものと言えば、上質で使い心地の良いリネンの寝具だ。極上のリネンで思い出すのは、拙著「イギリス式節約お片付け」(宝島社)の取材で宿泊した北アイルランドB&B「アンナズハウス」のベッドルーム。シーツやピローケースにあしらわれたアイリッシュリネンのしなやかな手触り、そこに身を横たえたときの感動が忘れられない。それまで安価な(ユニクロ)リネンファブリックしか使ったことのない私は、パリッ、シャキッと音感が皮膚に伝わる、洗い立ての麻をしみじみと堪能した。
 ユニクロのヒートテックのような近頃流行のハイテクファブリックは、英国ではそれなりの位置づけでしかない。使い込むほど丈夫になるロングラスティングの生地として、英国人が好んで愛用するのは、昔も今もウールやリネンなど自然素材である。洗濯すると黄ばむため、漂白剤を使わずに鍋で煮洗いをする麻は、お湯で繰り返し洗うことで白さが増し、生地そのものも強くなる。丁寧に使い込んでこそ、麻が持つ風合いや感触も引き出される。そんなリネンのシーツやベッドカバーは、家族代々に引き継がれる値打ち品なのだ。 
 私も、自分が一生使い続けられるようなリネンのシーツが欲しいと思った。今冬の休暇は一年間疲れた体の骨休めとリネン探しを兼ねて、スコットランド、アイルランド、北アイルランド、ウェールズ、ロンドンを周る予定だ。
 リネンといってもイングリッシュリネン、ウェルシュリネンといくつか種類があるが、いずれも貧しい地域の地場産業として古くから伝わるもの。今回、北アイルランドでは、アイリッシュリネンの工場を訪ねる。
 目下、私の興味はリネンを皮切りに、様々な生地に向いている。最近、吉祥寺で見つけた素晴らしい日本製の服を扱うショップ、K。ここに足を運んでは、上等なウールやシルクの服を眺める私。というより、生地をつまんではその質感を確かめている。
 来春、吉祥寺を舞台にした新連載がスタートするので、こんな日常も詳しく紹介していきたい。追ってお知らせします。

12月某日 LONDON

 東京ではいたるところにあるクリーニング店が、ロンドンに少ないのはなぜかと思っていた。スーツケースに毎度、最低限の衣類を詰め込んで渡英する私は、そのことがいつも気になっていた。
 英国の友人によると、ドライクリーニングは高いので、衣類はだいたい自分で手洗いして干すだけだという。かつて、ハウスキーパーを雇うミドルクラスの人々は、彼女らに衣類を洗わせていた。
 日本では、ビジネスマンたちが汗をかく夏場、スーツもワイシャツもせっせとクリーニング店に持ち運ばれる。自分でやれば手間となるアイロンがけは不要だし、何よりクリーニング代もイギリスに比べると高くないからだ。
 さて、イギリス滞在中、クリーニング店がなくて困るかといえば、実際はそうでもない。その理由は乾燥した気候にある。室内の風通しが良い場所に、コート類も汚れを軽くふき取って吊るしておけば、衣類のメンテナンスは充分だ。
 クリーニング店だけでなく、コンビニやドラッグストアなどが賑々しく並ぶ東京の風景に慣れている私にとって、ロンドン・ハムステッドの街並みは閑散とし、枯れているようにも思える。英国滞在中、ハムステッドの家にいるときは、住宅地の静かなパブやカフェで原稿を書いたり、打合わせをすることが増えた。
 スタバはいつも混んでいるし、第一、目抜き通りでは落ち着かない。閑散とした住宅街にポツンとあるパブなら、家の延長で腰を落ち着けられる。
 東京とロンドン、二つの街で時間を過ごして、自分のバランスがとれているような気がするこの頃だ。

12月某日 LONDON

 英国は日本に比べ、とにかく寒い。ヨーロッパ全土を大寒波が襲う今冬、イギリス南西部の外気温がマイナス10度を記録したとも伝えられた。そんな時に嬉しいのが暖かなバスルームだ。
 風呂といえば日本ではお湯に浸かり、浴びる場所だが、英国人はバスルームをリラックスするためのひとつの部屋として、必要以上に心地良さと美しさを追求する。
 何軒ものB&Bを転々と巡っていると、日本とは別の風呂礼賛に気付かされる(とはいえ、私の周りには「日本の風呂が世界一だ」という意見も多いのだが)。
 イギリスのバスルームには換気扇がない。代わりに、お湯を循環させて室内を暖める「セントラルヒーティング」が設置されている。
 イギリスの代表的この暖房器具は、家の中のボイラーに温水タンクから水を引いて、家中あちこちに設置されたラジエーターに熱湯を送るしくみ。このシステムのおかげで、外気との寒暖の差が激しくとも湯気が水滴にならず、バスルーム内に湿気がもうもうとこもることもないのだ。
 実はロンドンで家を購入したときに何より嬉しかったのが、バスルームのセントラルヒーティングを兼ねたタオルウォーマーが日常的に使えることだった。
 このタオルウォーマー自体暖かいので、入浴後、体を拭いた湿ったタオルも、掛けておくだけでカラッと乾燥する。ここにヨレヨレのバスマットや洗濯物を干しても良い。また、バスルーム全体が暖かいので、入浴後、鏡を覗いている時、湯冷めしないのも嬉しい。
 セントラルヒーティングが日本にもあればいいのに、と、底冷えする東京の自宅で、風呂場の換気扇のスイッチを入れるたびに思っていた。しかし、考えてみればやはり日本と英国は気候が違いすぎる。日本では、高温多湿な夏場にフォーカスして家を造らざるを得ないのだろう。

12月某日 TOKYO

 編集部のクマとヒカルが1月9日、NHK総合テレビ「めざせ! 会社の星」という番組に出演する。多種多様な業界の若手会社員約80名が集い、ビジネスライフに関する様々なテーマについて議論するという企画。この号が出るころには残念ながら放送が終了している。見てくれた読者の方もいらっしゃるかとハラハラ、ドキドキ。
 冬休みも終わり、慌ただしく新年の業務がスタートする編集部はきっと、イギリスから帰国した私も含め、慌ただしいはず。
 2010年は、自分の仕事のスピードのノロさに歯がゆい思いをした一年だった。今年は整理整頓をどうにか工夫して、神経衰弱のように書類を探す時間を少しでも減らしたい。といいつつ、今も机の上は、大事な書類や資料で山積みになってしまっている。
 そんな新年の出だしであるが、昨年末に発売した新刊「突撃! ロンドンに家を買う」(講談社)を読んだ方から嬉しいお声が続々届いている。中には、私のフラットのお近くに家を買われた方もいらしたようだ。少々コアかなと気になったが、先月号のハムステッドの特集も予想以上の好反響で嬉しい。
 ロンドンオリンピックを来年に控え、2011年、『ミスター・パートナー』は、ロンドンを徹底的に紹介していきます。今年もよろしくお願いします。

写真
何もかもが新しい1年でした。



連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


Our Winter Scene in Tokyo 2010

冬某日

 新しい年に向かう冬の日。1年が終わる師走の侘びしさは10年来変わらない。今年は目まぐるしい1年だった。まるで10年分のエネルギーと精神力を使い果たしたようで、大切な気づきも日記に付ける間もなくこぼれ落ちてしまった。
 2010年の年末はスコットランド、北アイルランド、ウェールズの半島を慌ただしく取材し、ハムステッドの家にたどり着く予定。
 昨冬はボイラーの調子が悪く、凍える思いをした。リフォーム工事の最中で、ペンキの匂いとホコリと資材のゴミの山をかき分けて無理矢理寝床を作り、頭から毛布を被って眠った。
 今年は昨年の「老朽マンションの奇跡」(新潮社)で舞台となった明星ハイツ、ロンドンのフラットに引き続き、老朽小家リフォームに駆けずり回った。さすがに家が好きでも、ここまで続くと楽しみが磨り減ってしまう。これから当分は机に向かい、書くことに集中することにしよう。
 足かけ3年、リフォームをハシゴした日々も、ひとまず今年で終了だ。

冬某日

 英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルだった吉田都さんのお話を伺った。内容もさることながら、仕草、目線、発声、笑い声までが可愛らしく、美しい。10代からバレエの世界で純粋培養された精神力に圧倒されつつ、舞台を降りても色褪せない透明感、表現力はご本人の性質ゆえなのだろうかと感動。
 いつまでも見ていたい女性。がさつな自分を振り返り、戒める絶好のチャンスだと、「吉田都」さん的所作をあれこれ手帳に書き残した。
 その後、何人かの人に会うたび自制して静かな声で話してみた。いいぞ、と思ったのも束の間。何だか相手がつまらなそうな顔をしている。会話にピンと来ていないのだ。「つまり、私が言いたいことは――」と、自分の取り澄ました物言いを仕切にかかった。
 次第に勢いがつき、「ほう」とか「面白いですねー」と相づちが入ると、一気に壁は崩れ、いつものペースでますます声が大きくなり、最後は「アハハハハ」とのけぞって笑ってしまった。
 自分に負けたようで口惜しかったが、人と会って楽しく会話できないようでは後悔が残る。切り捨てられない私のサービス精神が頭をもたげるのだ。私流儀の所作を、無理なく軌道修正するには鏡を見て、ラジオなど公の場で話した同録テープを聴いてチェックするしかない。人間、美しいものにはなびき、見苦しいものには拒否反応を示すはずだから。
 永遠の可愛さをとどめることと、この世で一番強いおばさん的バイタリティーはどこで折り合いをつけるべきか。世界の吉田都さんに会ったのに、悶々と考えることがこの程度というのも、相手に申し訳ない気がする。

冬某日

 来年から連載を始めるため、東京新聞特報部のTさん、部長さんと打ち合わせする。毎週一回、水曜日が私の担当となるそうだ。
「火曜日の夜は必ず連絡取れるようにして下さいよ」
と、真冬でも扇で顔をパタパタとあおぐTさん。
 来年は他にも連載予定がある。大丈夫だろうか、手帳のカレンダーを見て身の縮こまる思いだ。
 連載にまつわるよもやま話をしていたら、編集部を見たというお二人が、
「ここ(MP)の皆さん、よく働きますね。すごい緊張感が漂っている。鍛えられているんでしょうなぁ。新聞社なんて、出社するなりみんな寝てるか、机の下でゲームしてますから。今度うちの連中をここに連れて来ますよ。ガハハハハ」
と笑う。
 確かに兼任に次ぐ兼任で、スタッフはたくさんの仕事をこなしている。一つミスをすれば、とんでもないフォローが必要になるから、手を抜くなどできない。
 実は私がこれまで本や原稿書きを続けられたのも、生真面目なスタッフのフォローがあったからだ。
 特に私の原稿や、思い描くデザインをワープロで清書し、ビジュアル化してくれるN君の存在は欠かせない。専門学校卒業後、20歳で部下になった彼は、気が付けば40代半ば、すっかり恰幅の良いオヤジになった。リフォームにまつわるノンフィクションを書いている今も、専門用語や工法が分からなくなると、ケータイを持って廊下に飛び出し、引退した元大工さんの父親に確認してくれる。
 有難いことだ。
 女性経営者にお会いすると、しっかりした男性幹部が周辺をガードし、寄り添っていることが多い。編集部のクマヒカルは30代手前と若いし、広報のカオリ嬢は下町姉さんで、枯れかけた植物を見事に甦らせる3人の子供を育て上げたベテラン主婦Nさんは高速のオペレーションの旗手。オニガワラゴンゾウのようないかつい部長は、日々勃発するトラブル収拾に奔走している。
 完璧な企業理念を掲げたことがない私たちは、外部の立派な大人の人たちに支えられれながら仕事を続けてこられた。アットホームという言葉と似て非なる会社の雰囲気が新聞社の方々に伝わったのか。ともあれ来年からの連載をお楽しみに。

冬某日

 新刊の表紙色校が届いた。ラフは見ていたものの、裏表紙と中表紙に部長に肩車された女性(たぶん、私)、カメラを構えるマモル(ヒカル)、物件資料を持つヨシ(クマ)のシュールなイラストが描かれている。
 担当編集者のツダさんはじめ、ゲラを読まれた方々が一番印象に残るのが、本書に登場する不動産会社社長と、私も含めたMPスタッフとの折衝だろう。かたや、業界の重鎮、かたやリフォームをかじったくらいの素人集団が駆けずり回ってロンドンに家を買う体験ノンフィクション。
 老朽マンションの奇跡に続く真実の物語です。書店で彼らの勇姿をご覧下さい。けっこう笑えます。(ちなみに、ヒカルクマはNHK「めざせ! 会社の星」に1月出演する予定です。詳しくはホームページでお知らせします)

冬某日

「婚約したウィリアム王子は、ヘアラインや鼻がデューク・オブ・ケントに似て、古きロイヤルファミリーの名残りがある」
 2人の組み合わせについてイギリス人と話したときのこと。彼は王族は強くなくていいと言った。軍と英国国教会の頂点に立つロイヤルファミリーには、従軍の義務があり、ハリー王子はアフガニスタンに行き、ウィリアム王子も空軍に属しパイロットの訓練を受けている。恋人と自由に会うことができないと、ウィリアム王子が軍に属することを嫌がったケイトは、一度は王子のもとを離れた。だが、二人のよりは戻り、21世紀の普通のカップルのように結婚前からすでに一緒に暮らしているらしい。
「ウェールズの小さなコテージで同棲する二人は、婚約発表前は地元のパブやフィッシュ&チップスの店にも顔を出した。今はパパラッチの大標的になるから、自由がなくなったけどね」
 王室マニアの彼は、ビールを飲みつつ解説した。
「チャールズは最愛のカミラとの結婚を反対された。故マーガレット妃(エリザベス女王の妹)は、女王の嫉妬心から結婚を許可されなかったしね」
 大学時代のルームメイトと同棲を経てウェストミンスター寺院でウエディング。いかにも新旧入り混じるイギリス的話だなぁと思う。ウィリアム王子は若すぎて結婚したダイアナの悲劇を反面教師に、ビジネスマンの娘、ケイトロイヤルファミリーに潰されないよう、細心の注意を払ったはずだ。
 記者会見の彼女は、交際当初の初々しいアイドル的容姿からすれば、8年間の交際を経て、いつの間に婦人になったんだろうと思うほどの貫禄だった。結婚許可を与えるエリザベス女王もすっかり土台が出来上がっている二人に、さぞや安心したことだろう。いや、離婚とスキャンダルにまみれた王室こそ、二人の好感度、良識に満ちた愛情に救われたはずだ。不況で王室にかける予算も削減されようかという時だけに、我が道をゆく二人の結婚はいろんな意味で女王の免罪符になったはずだから。

写真
来月号はイーストロンドン。おいしい食堂目白押しです。



連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


二度と書けない作品

 20代で、まだよちよち歩きの娘と共にロンドンをさまよった。安宿が密集するパディントン駅近くのサセックスガーデンから、静かなハイドパークに逃れるべく、ミューズハウス(元馬小屋)がひっそりとたたずむ高級住宅街を、ベビーカーを押して歩いた。色とりどりの花を寄せ植えした、窓辺の美しさに見入っていると、レースの掛かった窓越しに住人らしきご婦人と目が合い、バツの悪い思いでそそくさと走り去った。

 イギリスをテーマにした初めてのエッセイを読み返すと、お金も仕事もなかった20代で、すでに私はイギリスの家に魅せられていたと思い返す。それ以降、現在まで、馬小屋すら美しい家にしてしまうイギリス住宅への驚きと興味は尽きることはない。
 あれ以来、コテージ風の自宅を東京に建て、リフォームも7回経験した。
 何冊か住宅関係のエッセイを書いている私のもとには、友人・知人からリフォームや家探しの相談も舞い込む。多少腰が重くても現場を訪ねると、たちまちいらぬお節介を焼いてしまい、いつしか図面を描いたり、売り出し物件の内見に付き合うことになる。そうして全力投球、寝食忘れて住まいを完成させるのだが、それでも常に何かをやり残した感じがするのは、なぜだろうと思っていた。
 そうして40代最後の年に、親交のあった女優の自宅を訪ねた。私は日本で活躍してきたご夫妻が、長年の思いを叶えて仕事も含めた一切合切の整理をつけ、ロンドンの中心部に住まいを移した話を聞いた。
 初めてロンドンを訪れた時、どんなことをしてもここに住んでみたいと心に決めた夫。仕事の多忙さに夢を先送りする伴侶に、妻はこう釘を刺す。
「いつか、いつかと言いつつ時間ばかりが過ぎていく。一体、あなたはいつになったら行動するの」
 その一言から決意を固めた二人は、友人のつてをたどって悲願の英国移住を果たした。
 近くに公園が広がるため、そこは森の中の一軒家という風情だった。よく手入れされた大輪のバラが咲き乱れ、濡れたように輝く青い芝生は、素足で歩きたくなるほど柔らかく、向かい合って紅茶を飲んでいるとライ鳥がその屋根に留まった。
 都市でありながら、これだけの豊かな住環境を享受できることが、ロンドンの素晴らしさだろう。庭の片隅には木漏れ日の中で幼い子どもが昼寝をしている。羨ましさと同時にどんどん先を越されていく焦りを感じた。

 12月に出版される書き下ろし「突撃! ロンドンに家を買う」(講談社刊)は、昨年出版した「老朽マンションの奇跡」(新潮社刊)を上回るノンフィクションだ。(自画自賛となりますことをお許し下さい)本誌来月号では、拡大ビジュアルバージョンで、単行本で描けなかった軌跡を展開します。
 「ロンドンでの住宅購入」を通して見た世界は、これまで30年以上通い続けたイギリスとは大きく違っていた。
 「何度読んでも最後のとこ、カンドーして涙が出ますよ」と、褒めつつ、講談社担当のツダさん「それにしてもですね、カバーのイラスト案を考えるとですよ、井形さんが編集部の方々と、ロンドンの坂道を走る絵しか浮かばないんです。突撃ーって感じで、相手がアラブの富豪や中国人の金持ちというところがミソで、ミスター・パートナーの皆さん、大変なご苦労されたんですねー」と言いつつ、ヒッヒッヒッと電話の向こうで笑うのだ。
 褒められているのか、からかわれているのかよく分からないが、毎回同じシーンの、同じ話をゲラを読まれた方から聞かされる。
 タイトルに「突撃!」と付けるか否かも、ずいぶん考え、話し合った。
「でも、この方が動きがあって、ミスター・パートナーらしい」
 そういう書店員さんの声もあり、「突撃!」が決定した。
 これまでの中で、本当に書きたかったテーマが詰め込まれている一冊。「英国移住」「50代」「ロンドン」「ヴィクトリア朝の家」
 これまで私の本を読んで下さった方々に、ぜひともご一読いただきたい、生涯一冊しか書けないノンフィクションです。

 ところで、ロンドンに拠点を持って1年が過ぎた。この間、何度もロンドンと東京を行き来し、部長、クマ、ヒカルや両親、そして娘など大勢の人達を隠れ家に招き、共に過ごした。
 夏にはハムステッド・ヒースのはずれにあるケンウッドハウス・ピクニックコンサートにも出かけた。30年近くイギリスに通っていたのに、野外コンサートは初めての体験で、ラグも持たず出かけた私は、読みかけのタイムズの上に座り、真夏の夜の夢に浸った。

 NW3のドン、ミスター・アルカポーネは、建物や街並みに厄介な規制をかけても、イギリスで不動産業は誰もが立ち上げられる。家がそれだけ重要だからだと言った。
 「人は公園で生きていくわけにはいかない。大きい、小さい、高い、安いに関わらず、必ず住居は必要なのだ。人は食べるものもないと生きていけないし、寝て休まないと生きていけない。イギリスっていうのは、広い意味で衣食住の重要な部分を支援する。家を買いたい人は買いなさい、借りたい人は借りなさい、これは当たり前のことだ」
 なるほどと、ゲラを読みつつ思い返す。

 その一方で、驚くニュースを聞いた。ソマリア共和国の亡命者が妻、7人の子供らを連れ、超貧困地区にある家や地元の学校、店も不服だとして、超高級住宅地ケンジントンにある推定価格210万ポンド(約3億1500万円)の3階建て住宅で暮らしているという。その住宅補助を、イギリス政府は月額120万円も支給しているというのだ。
 イギリスの今の法律では、生活保護に充てる費用の上限を定めておらず、失業すれば子どもの数など、条件によって高級物件に住める上、仕事をしないで裕福に暮らすことができるという。
 これに対し、地元住民は「我々は世界の中でも最も素晴らしい地区で暮らすため懸命に働いてきたのに腹立たしい限りだ」と、怒りの声を上げ、2011年の法改正を待ち望んでいるという。
 当然のことだろう。行き過ぎた福祉の裏側で、いかに働けど重税を逃れられない若い労働者の嘆きを聞いた一年だった。

 イギリスを手本に走り続けてきたが、景気回復に躍起になる日本にとって、世界のマネーを呼び込むイギリスの古い家並みは目が離せない。
 「あてにしない生き方」(中経の文庫)で解説を寄せて下さった馬淵大臣率いる国土交通省では、「リフォーム」を一大テーマに掲げ、たくさんの試みを始めている。
 新築に手が届かない今、割安な中古物件を買ってリフォームする動きは、これからますます加速するだろう。
 11月には東京・日本橋三越本店本館6階三越劇場にて、「イギリス流リフォームでかなう豊かな家のつくり方」と題してお話します。百貨店もリフォームに力を入れる昨今、家づくりの選択肢はますます広がるもよう。大阪に来られなかった方々もどうぞおいで下さい。(ちなみに参加費は無料です)

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来月号の特集「突撃! ロンドンに家を買う」お楽しみに!




連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


「日本人の背中」に込めた思い

就活への疑問

  先日、新聞の社説を読むうち、首をかしげ、次第に腹が立ってきた。
 その内容は、「就職が決まらない。この言葉が明けても暮れても心の中に住みついて離れない」「内定が取れないと、学内でも負け組扱い。就職するために大学に入ったんじゃない」という若者の悲鳴が、毎週のように寄せられるというもの。
 就活という長距離レースに、大学教育が大きく浸食されているというのだ。
 企業は採用を絞り込み、勝ち組争いは激烈になる一方で、今春の大卒者のうち、進学も就職もしなかった人は8万7千人、前年の28%増といい、卒業時の就職の機会を逃すと、正社員への道はぐんと狭まると憂う。
 人物や即戦力といったあいまいな基準で落とされ、何十通もの断りのメールで若者は自信を失い、将来に影を落とすという。
 これに対し、菅政権が先月、「新卒者雇用・特命チーム」を立ち上げた。大卒後3年以内の若者を企業が採用すれば奨励金を出し、未就職者へのセーフティーネットも拡充するというもの。
 約4割の学生が、将来の就職に関連し「授業経験は役立っていない」と答えたそうだ。

 だが、日本には本当に仕事が、就職先がないのだろうか。
 22年にわたって出版社を経営してきた拙い経験から見ても、大卒の学生は働くという気構えが脆弱だ。「挨拶」「礼儀」「社会常識」に著しく欠き、自意識ばかり大きくなっている感がある。
 社員50人以内の経営者と話せば、大卒より、どこかで基本を叩き込まれた中途採用が一番楽だ、30代半ばで家庭があれば働く動機も明解で、仕事に没頭してくれるという。

 新卒は注意しづらい、我が強い、一兵卒として学ぶとはいうものの、泥仕合に弱く、困難にぶつかると、もたない。挙げ句、「自分のやりたかったことは別にある」「嫌になれば他がある」と、あっさり方向転換し、職を変える。
 同じ大卒でも就活で他社を落ちまくり、どん底の苦渋を舐めた人なら構えも違う。やっと仕事にありつけたという喜びと、もう二度とあんな思いはしたくないという危機感がある。たまたま、何かが欠如して何度受けてもうまくいかなかった若者を歓迎する冷静な見方も、企業に根強いのは確かだ。
 新卒の就活といえば、大手・有名企業への偏りはぬぐえず、人手不足の99.2%を占める中小・零細企業では、募集を出しても人材が集まらず、働き手が見つからないのも一因だろう。
 公務員人気は不景気な時代だからこそ高止まりのままだが、そもそも就職するとは、働いて賃金を得る行為だ。人も羨むわずか0.8%の大手・有名企業や人気職に就いて自己実現を果たすことに価値があるのではない。

 人手不足の工場が、何度募集しても日本の若者が集まらないから(もしくは、ばっくれるから)、熱心に働く外国人を雇用したという類の話もよく報道される。
 アジアから来た若者の、仕事に取り組む真摯な姿勢には胸を打たれる。「技術を自国に持ち帰る」「家族に仕送りをする」など、来日した理由は様々だが、途中で物も言わず職場を立ち去るフリーターや就職難民の甘さはない。
 日本の競争力が国際社会で問われている今でも、働くことを稼ぐことと位置付けない、若者の甘さにはうんざりさせられる。十人十色、人生で追うべき夢はあるだろうが、家賃やローンを支払い、食べて、家族を養う、あるいは夢に向かってお金を備蓄する。その繰り返しの日々にキャリアや判断力や管理力は養われていく。
 そんな働くことの深さは、短期間のインターンシップなどで見えるはずもない。

中国は伸び盛り?

  この夏、イギリスのあちこちに中国人集団がいきなり増えたことに驚いたが、語学学校の現場でも中国人の勤勉さに日本人学生は圧倒されていると聞く。寝食を惜しむように、何が何でも英語をものにするという姿勢は、やることが見つかるまで、とりあえず海外で、という遊学とは異なる。
 この気迫の差は一体どこからくるのかを考えるより、友だちが見つからないからせっかく入った大学を辞めるなど、ここにきて露呈した日本の大学生の質の変化を、関係者はぜひ再考してほしい。
 しかも、就活の勝ち負けは、日本国内の競争だ。
 さらに枠を広げ、世界の若者と同じ土俵に立った時、未来の日本人の何割が世界と渡り合っていけるのか。
 韓国、中国はおろか、インド、ロシアなど、新興国で熾烈な戦いをくぐり抜けた若者たちと比べて。

 何が何でも仕事を見つけ、稼ぎたいという若者であれば、不況にさらされた今、小さな企業は諸手を挙げるはずだ。ただし、躾のイロハを教えている余裕はない。勤労意欲を高める手助けや、働く意義を説く時間も惜しい。
 偏差値で評価を得ても、実社会で抜擢させる人材とは稼げる人だ。向上心やユーモアのセンスなど荒削りでも、人としてのバランスも欠かせない。
 そういう点では、今の教育や大学のあり方は現実社会にリンクしていない。血税を投入してセーフティーネットを作るというが、大人が寄ってたかって働く意味を曖昧にしてはいないか。もう一度、検証する必要がある。

吉祥寺の駅ビル開発と
消えたかけ声

 こんなことがあった。9月21日敬老の日に、新装オープンした吉祥寺の駅ビル「アトレ吉祥寺」を見に行った。ものすごい人出をかき分けるように、目指したのは私のみならず、武蔵野市民が待ちこがれていた生鮮3店。八百屋、肉屋、魚屋が本当に戻ってきたのかどうか、この目で確かめるまでは生きた心地がしなかった。
 非常にローカルな話で恐縮だが、吉祥寺が住みたい街ナンバーワンの地位を堅持してきた背景には、ますます画一化してきた駅ビルの中に古さとダサさを残し、昭和の市場文化を垣間見せてくれた生鮮店が超一等地でスーパーに押されることなく、盛況を極める姿にあった。
 昨年、伊勢丹が幕を閉じ、ユザワヤが縮小され、丸井が田舎の商業ビルと化した際、駅ビルの経営陣は何を思ったか、改装の際、この生鮮3店を葬り去ろうとした。が、文士魂に溢れた市民は、これに猛反発し、抗議の電話が殺到。「市場を返せ、『ロンロン』を返せ」と、駅ビル「ロンロン」閉店前はその抗議が過熱し、関係者は対応にてんやわんやだったと聞いた。
 たかが生鮮店と思われるだろうが、この中の八百屋には、朝から晩まで棚にせっせと野菜を並べ、「いらっしゃいませー、いらっしゃい」と、少し哀愁を帯びた震えるかけ声を発しながら、働き続けるおじさんがいた。雨の日も雪の日も、猛暑の中でも、この働きぶりは微動だに変わることはなかった。吉祥寺で打ち合わせやインタビューを行った後、疲れ果てた脳みそに、声高なかけ声はしっかり届いた。淋しくなって街を歩けば、吸い寄せられるように、市場に向かった。
「いらっしゃいませー、いらっしゃい、いらっしゃいませー、いらっしゃい」
 その声に昨日まであったものが今日もある、誰が見るでもないのに、真面目に働く人がいると、自分も頑張ろうと思えた。
 一日中声を張り上げて疲れないのか。いや、働くとはこういうことだ。
 驚くことに同じ思いを抱いていた人が山のようにいたらしく、閉店の知らせに市民の怒りは治まらず、アトレ側では改札口に小さいながらも生鮮3店の仮設店を設けた。喜び勇んで、おじさんはいるのだろうかと仮設店を訪ねてみると、「おたくで5人目です。今日もお客様の問い合わせが途絶えない」と、販売員が苦笑した。おじさんは他店に回ったそうだ。
 彼はいつ戻ってくるのか、誰もが気が気でない。
 この人は社会的地位もなく、ただ、声を張り上げ、野菜を売っていただけだ。けれど、多くの人はその姿に打たれ、励まされていた。新卒の就活と対照的な話である。おそらく私も含めみんなは、おじさんの背中しか見ていなかった。

 文庫になった「日本人の背中」には、欧米人の目に映る日本人の姿をいくつも書いた。書きながらおじさんの背中を想った。国際競争力とは聞こえがいいが、特別なサービスもせず、野菜を売ってこれだけ人の心を動かせる人は、世界のどんな市場でも必ず認められるはずだ。

 

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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


ロンドンに行けば

8月某日

 父と甥っ子らと過ごした楽しくも、あわただしい夏が過ぎた。今日からロンドン。成田行きのバスで爆睡する。
 空港のロイヤルホストで父と母に手紙を書く。取材に同行するTは頭痛薬を買いに。私はひたすら書く。
 成田の時間は大好きだ。Tがユニクロの長袖シャツを買ってくる。ロンドンは寒いとか。
 それにしてもお盆で人の多いこと。新品の靴とポシェット斜めがけの人たちは、皆どこに行くのかといつも思う。

 飛行機の12時間はあっという間。気が付けばサンクトペテルブルク上空。昔はひどく疲れてイヤだったのに、今は何もせず、読書(文庫2冊)&食事(再び質が下がる)&睡眠がとれる有り難さ。
 ヒースローでキャブの出迎え。なぜタクシーよりキャブは安いのかと毎回不思議。
 ドライバーのケータイに妻から早く帰れ、ゴールダーズ・グリーンでスイカを買ってこいと何度もTELがあり、そのたびにため息。何と一日に10回とか! でも知的な人だった。こういう職種の人が知的というのはひどくホッとする。
 6月以来のロンドン
 隠れ家のテーブルには花束とフルーツボックスが。嬉しい。NW3のドンからだ。ミモザとオレンジのバラのブーケは本当にきれい。細長い花瓶に合わないことが残念だが、キッチンで生ける。

8月某日

 久々の夕食を坂道レストランでスパゲッティにする。
 それにしても、イギリスのレストランは人々のささやくような声と食器のカチャカチャ響く音のみ。個人経営の小さなレストランは静かな所が多くてホッとする。
 日本でレストラン、カフェ、喫茶店に入るたび、何度、耳が悪いので音を下げてくださいと頼んだことか。うるさい音楽だと、人はそれに負けない大声で喋る。それが仕事の後となれば拷問のよう。やかましい音楽が客サービスのつもりなのかと腹が立つ。
 こんな私は、爆音のようなロックと人でもみくちゃの荒くれパブなど近寄ることもできない。

8月某日

 夜中3時に起きた。時差ボケだ。夜明けまでとっておきの読書。
 今朝はNW3のドン、Mr.アルカポーネのところに行く。なぜこの人は、私たちに時間を提供してくれるのか。
 尊敬の眼差しで仕事の話を聞く。話は面白く、秘書嬢を交え1時間ほど話す。ドンの会社に行く時は緊張するが、彼らがいなくなることは考えられない。
 その後、書類手続きで役所に出向く。新任黒人男性の怖いこと。書類の書き方、英語の説明が不明だったが、 Tは理解できたという。
 すごいなぁ。彼は英語を勉強中。いつかイギリスに住みたいと、おそろしくマジで語る。昼は学校、夜は国際電話で日本に営業し、会社は辞めないと。

 ボンドストリート駅で降りると、にわか雨。Tは本屋さん2軒へ挨拶回り。ロンドンでも大阪でもやる事は同じ。パリの店舗もマネージメントするJPブックスタツザト氏と販売戦略、その他を話したTと喜びを分かつ。
 その後セルフリッジ、M&S(マークス&スペンサー)で家庭用品物色。人混みと排気ガスでクラクラ。セールも終わり、大した収穫なし。
 夜、Tがテスコから玉ネギを買ってきて、恒例の「辛ラーメン」玉ネギ入りを食べる。部屋には皆で買い貯めた「辛ラーメン」のストックが山ほどある。
 2日目も資料も読めず爆睡。
 明日、ドンに時間をとってもらうためには、原稿を再読しなければ。が、椅子に座っただけで居眠り状態。翌朝6時起きすることに。
 東京での疲労が一気に吹き出して、泥のように眠る。再び3時に目が覚めて、フリーマガジンを読み、原稿書く。時差ボケ。

8月某日

 インタビュー2回目。秘書嬢からは10時か12時でと言われたが、10時はムリで、12時目指すも、ドンに1時半にしてと言われホッとする。何とか質問をまとめ、1時間仮眠。その後、Tと時間まで撮影。
 この日は週末だったが、ドンは土曜日も日曜日も一人、オフィスに出ているらしい。会社のトップが人一倍働き者で、人一倍向上心に溢れている。
 駅前が工事のため、バス運休。タクシーで向かう。ドンは新聞の切り抜きをたくさんくれた。
 約1時間、話したのち、焼きたてクロワッサンをあげると「気を遣わないで」と困り顔をされ、「これ持って行け」と、上等なシャンパンをもらった。クロワッサンVS高級シャンパン
 Tがお腹空いたとしつこいので、「Gコテージ」でダック・オン・ザ・ライスとブロッコリーのオイスターソース炒め、コーンスープを1つずつ、2人でシェア。ドンの好物を私たちも大好きになった。

8月某日

 ハイゲイトビレッジへ。丘の上の村は、画家Pに会って以来、憧れだった。
 またも、にわか雨。街はどこかの片田舎のようで、通りの向こうに大ロンドンが見渡せる。
 小さな商店街。walterという雑貨店の店主が店番そっちのけで幼い娘と本気で遊んでいた。売ってる物がとても少ないのに、ほとんどセール価格。
 NESSの長靴を10ポンドで買う! 紺色ベース、ピンクのチェックのデザイン。足にぴったりの1足のみが売ってある。今日のピクニックコンサートはこれで行こう。
 子どもの頃の日曜日を思い出す。切なく、淋しい風景。マルクスの墓があるハイゲイト。ここのビレッジは人里離れてる感が強い。なぜだろうと考える。

 さて、ケンウッドピクニックコンサートは入口にも警備員がたくさん。皆、ハンパーバスケットやブランケットを持って、会場へそぞろ歩いている。長靴、ブーツを履いてる人も多し。雨上がりで道がぬかるみ、NESSの長靴が大活躍。
 写真で何度も見ていた初めてのケンウッドハウスに感激する。(「ノッティングヒルの恋人」でもお馴染みの白亜の建物です)
 なだらかな丘陵を下りたところに屋外ステージあり。背後は湖。それを取り囲む大勢の人々。夏を楽しむイギリス人の情熱が燃えたぎっている。
 Tは場内を練り歩き、皆のピクニックディナーを撮影。
 雨は上がり、ヒースを抜ける風は水のようにひんやりとしている。
 たくさんの仮設トイレにはトイレットペーパーもあり。そのきれいなことに驚く。ゴミ箱もたくさん設置されている。日本の公園と違う、設備の充実。
 高そうな服を着た、ロンドンの金持ちがやってきても耐えうる野外コンサートはこうでなければ。基本的設備やイベントの力の違いは、人生を楽しみつくす能力の差だ。
 いわば、遊び上手な人と遊ぶことに興味のない人では、「何かせよ」となっても、発想そのものが違うのではないか。あるいは、屋外を楽しむ西洋人のDNAか。
 公園を中心にした四季折々の風物詩的イベント。そこに絡むアーティストの収益、そして捻出されるケンウッドなど文化財の維持費。みんな一つの輪になって、幸せなお金が社会でクルクル循環している。

 終了前に会場を出る。ヒースを抜けて帰ろうと提案するが、真っ暗で迷うと、警備員にも反対される。結局、バスでゴールダーズ・グリーンに出て、そこからタクシー。
 疲労困憊。夕食をあきらめ、早朝撮影に備え休む。12時。

8月某日

 最終日。マーケット開店前にカムデンに行き、ヘンプの専門店撮影。セールで5ポンドの服は中国製だった。オーガニックコットン、本当かなと改めて商品を見る。
 チョークファーム駅に抜けようとステイブルズ・マーケットを歩くと中国人につかまり、4ポンドの中華詰め合わせランチ食べることに。
 カムデンの日曜日、皆の表情は楽し気。いつか甥を連れてきたいと思った。こんな美しい夏の日を親にも見せたかった。
 その後、通風で足が痛むTを励まし地下鉄で隠れ家に戻る。あわてて部屋の片付けをしつつ、せめて掃除機をかけたかったと後悔する。
 ロンドンでの夏が終わる。

 帰路ヒースローでTAXリファウンド(免税)の手続きをしようとしたら、長蛇の列が建物の外にまで続いていた。中国人の団体だ。2時間くらいかかりそう。これではTAX FREEの意味がない。
 ロンドンのいたるところで、中国人のツアーグループが出没した。中国マネーに物を言わせ、アラブのドラ息子のようにセルフリッジでスーパーブランドの時計やバッグを何個も買っていた。すごい光景だ。ところが、彼らは手続きに慣れていない。係員は声を枯らし、「住所は番地まで書いて! 今朝から何人の中国人に教えたと思うの!」と髪をふり乱していた。チェックインして、免税店内で手続きするも、現金受け取りに並ぶ。またも中国人の団体。
 ヒースローの入国審査と免税手続きはいつも疑問。係官をなぜ増やさないのか。五輪に向けて増やすのか。
 サービス改善はイギリスの大きな課題だ。
 飛行機に乗るとどっと眠くなった。今やロンドンは大阪くらいの距離感。それが嬉しい。

イギリスにて
現在新作執筆中。ロンドンのお話です。(ケンウッドハウス)



連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


夏の忘れられないおもてない

○ サンドイッチのごちそう

 好きでもないし、嫌いでもない。もともとあまり興味がないのがサンドイッチです。イギリスにいるとおにぎりは無性に食べたくなるのですが、たとえばティータイムに登場するきゅうりのサンドイッチを「食べたい!」とは思わないのです。せわしないイギリス取材中、電車に飛び乗る時、仕方なく買うのが高くてまずい売店のサンドイッチ。その印象がこびりついたせいでしょうか。

 ヨークシャー、デント村に暮らすミドルエイジのニッター、ソフィーさんを訪ねた折のこと。
「お昼はサンドイッチを用意していますから」
と事前に連絡をいただき、恐縮したものの、正直、村のパブでのランチも捨て難いと思ったものです。
 紅茶を味わうアフタヌーンティーなら、取材を兼ねてあちこちでいただいてますし。
 ところが、彼女がランチの場にと設定したのはかつての村の教会。それも小川をのぞむ裏庭でした。ふかふかの芝生に小鳥のさえずりが響きわたる、それは美しい場所でした。学生時代に夢中になったトレイシー・ハイドとマーク・レスターの「小さな恋のメロディ」で、2人が最初にデートする墓地を思い出しました。てっきり自宅に招かれると思っていた私は、何と粋な計らいだろうと嬉しくなりました。

 まもなく、大きなトレイをしずしずと運ぶ10代の息子さんが現れました。大皿にはソフィーさんの作った、玉子とクレソン、ハムとタマネギのピクルスにチェダーチーズを挟んだ2種類のサンドイッチと野菜チップスが乗っています。
 白い器には、山盛りの摘み立てベリーがこんもりと盛られているのです。ルビー色のみずみずしい果実に見とれてしまいました。
 息子さんの後ろにはソフィーさんのご主人が、陽の光にキラキラ光るエルダーフラワー水の入ったガラスの水差しとグラスを、ぶつ切りしたレモンと共に、藤製のかごに入れて差し出してくれました。
 2人で丘の上の自宅からゆっくり、ゆっくり歩いて運んできたのでしょう。ソフィーさんはベンチにトレイを置くと、
「さあ、食べたいものを好きなだけ小皿に取って」
と薦めます。あとはめいめいの好きな場所に腰掛けていただけばいいのです。
 高台に立つ教会の裏庭からは、ヨークシャーの山並みが眺められ、そよぐ風は草木のいい香りに満ちています。何とリラックスできるおもてなしだろうと感心しました。

 気になるサンドイッチの味は、私も含めたスタッフが我先に手を伸ばしたほど。ミミが固めの白パンに、マーガリンをたっぷり塗るのがミソのようです。
 摘み立てのクレソンは、マヨネーズで和えた玉子とよく合うし、オニオンピクルスの酸味がハムの旨味を引き立てていました。紅茶ではなく、キリッと冷えたエルダーフラワー水をゴクゴク飲むと、食欲は増すばかり。イギリスの具だくさんサンドイッチは、日本のおにぎりに匹敵するんだと、今更ながら気付いたのです。
 中座したご主人が、「僕のサンドイッチは」と戻ってきた時には、野菜チップスとベリーが少々残っているだけ。客人の私達の横でソフィーさんも息子さんと話をしながら頬ばっていましたから。
 ご主人の落胆したような顔に申し訳ないと思いつつも、こんな美味しいサンドイッチを生まれて初めて味わったと、すっかり満たされてしまいました。

 感動したことはもう1つ。食べ終わった食器をどうするのだろうと思っていたら、彼女は教会の中にある小さなキッチンに運び込みました。大皿、小皿、グラスなどここできれいに洗った後、歩いて5分程の自宅に持ち帰るのです。家の近所にこんな場所があったなら、誰が何人やってこようと片づけ、大掃除など気にせず、人をもてなすことができます。
 家でもなく、カフェやレストランでもない建物。趣があり、自然も楽しめるような。
 日本でこれに匹敵する場所を考えてみたのですが、教会もお寺も好きに出入りすることはできません。まさか、鉄筋コンクリートのコミュニティセンターや自治体の集会場でおもてなしもないでしょう。

 実はこの教会、一人の女性とデント村の人々の努力によって、老朽化した無人チャペルを買い取って、長い年月とひとかどの費用をかけて、皆が瞑想したり、集まったりできる場に再生されました。
 人里離れた集落だから成り立つ話でしょうか。もし、ロンドンやリーズといった都市部なら、バックパッカーかスクウォッターの巣窟になっていたかもしれません。
 管理しているのは、ロンドン出身のミドルエイジの女性です。瞑想の先生でもある彼女が、この美しい村に流れ着いて、なし得たことが、この教会を蘇らせることだったのです。
 ソフィーさんと彼女を見ていると、歳を重ねた女性が持つ大らかな生き方に共感するのです。自分のやりたいことを極めるのはもちろんのこと、料理や人付き合いなど、気負わない工夫が彩る暮らし。
 それは知恵と呼ぶには重すぎる、もっと日常的なもの。歳とともに出来上がる自分の顔のようなものでしょうか。
 こんな出来事をたくさん積み上げられる人生は、何と素晴らしいものか。すっかり好物になった玉子とハムのサンドイッチを作るたび思い出すのです。

○ 民主党に思う

 どっちもどっちという選択肢は、どちらに決めても罪悪感と後悔が残ります。選ばない道もあるけれど、放棄するのはもっと後味が悪い。こういう時は初心に帰ることにしています。
 まず、民主党を選んだ時に、日本がこれで良くなると、本気で皆が信じたのでしょうか。山あり谷ありかも知れないが、もう1つの道も必要だと、育て、見守る責任を感じた人などいなかったのでしょうか。
 結論を出すのが早すぎる。これではどんな組織も育たない。攻撃よりどうすればいいか考えて。かねがね、中間管理職に言っている言葉を政治の世界に重ねてみます。
 NHKスペシャルで小沢一郎をキーマンにして、政権交代を伝えていたのは、つい、この前のこと。皆が新しい時代に期待を寄せていた頃の一端です。
 性急さ、マスコミのこき降ろしに煽られ、どこに行っていいかわからない人達が右往左往する。自信が持てず悲観的になる。
 欧州から日本はそんな社会に見えるそうです。だから新しいものが生まれない。アグレッシブな中国に先を越されてしまうと。
 動かすこと以上に育てることは力が要ります。アスリートも俳優も政治家も、本気で見る人達がいてこそ、本物に育っていくと思うのです。

○ 毎朝5時に目が覚めて

 娘と2人、レディースクリニックに通い始めて2年が経ちます。まだ更年期障害を経験していない私は、定期的にホルモンバランスのチェックを受けています。友人、知人の中には、更年期障害から「滝のような発汗」「軽い鬱」「不眠症」を経験し、本当に辛いのよと、聞かされ、内心自分にいつそんな症状が起きるのか、不安もありました。
 この1ヶ月、毎朝5時前後に目が覚めるので、いよいよ来たかと覚悟を決めました。いったん起きると、ふたたび寝入ることはできません。そんな時は、無理に寝ようとせず、10年日記を枕元から取り出し、鳥のさえずりを聞きながら昨日の出来事を数行書くのです。または、ニュースをつけてBGM代わりに。寝よう、寝ようと焦らないようにしています。
 友人の一人が寝る前と起き抜けに水を一杯飲むといいよと、教えてくれたので、これも実行しています。こんな水は宝水と呼ばれ、血液がサラサラになるそうです。
 妙に体が火照ったり、動悸がするときには、慣れない手つきで携帯メールを打ちます。
「暑いけど元気? 今度の週末、ごはん食べられますか」
 この程度の文章なのに時間のかかること。相手は働いている娘です。
 日常のこんなすき間時間は、身近な人に言葉をかけるのにうってつけ。体調の変化もこんなふうに工夫しながらやり過ごしてみる。そう決めていたのですが、かかりつけの医師から、まだまだ元気です。更年期障害は当分やってこないでしょう、と言われ、拍子抜けしてしまいました。
「転ばぬ先の」と気を付けたつもりですが、目が覚める時間だけはどんどん早くなっているので、もっか、私の一日もうんと長くなっています。

イギリスにて
デントの元教会・裏庭にて。ソフィーさんの息子さんと。




連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 番外編


イギリスの思い出

文=熊谷祥延、野村光
 イギリス取材を終え、原稿や写真の仕分けで現在、喧々諤々の編集部。そこに、ある読者の方から「素顔の井形慶子さんをもっと知りたい」という一通の手紙が届いた。今回は、このページを借りて、現場の私たちが見た井形慶子の一面を、イギリスでのエピソードとともに伝えてみたい。

 エディンバラ――リンカン 
 車中にて 

 恒例の6月英国取材。それはイギリス滞在10日目のことだった。朝一番の飛行機でハイランドの首都インヴァネス空港からスコットランド北部の小島オークニー・カークウォール空港へ飛び、そこからエディンバラ空港へ戻り、タクシーを飛ばしイギリス中部の街リンカンに向かう電車に飛び乗った、超せわしないある日の出来事だ。
 この日の夕方、ホーリーアイランドを取材するヒカルとはエディンバラ駅で別れ、残ったのは編集長と上司T、それから僕。上司Tは飛行機などでは常に編集長の隣に座り、この取材期間中ずっと彼女と行動していた。
 がしかし、この電車だけは違った。気がつくとなぜか僕の隣には編集長が……。上司Tは僕らを背にして反対の斜め向かいの席にひとり陣取っていた。リンカンまで約5時間。普段から顔を合わせ、取材も一緒にしているとはいえ、この会社に入ってから、これだけの長時間を彼女と二人きりになるという設定はなかった。彼女が社長ということもあり、緊張する僕。到着するまで永遠に、今回のイギリス取材の小言が始まるのでは……とちぢこまっていくココロ。
 そんな僕の緊張をよそに、編集長が言う。
「ハンバーガー食べなさいよ。クマガイ君が太っていくと私嬉しいの」(ここ1年で7キロも痩せた僕)。
 彼女の心境は声のトーンを聞けばわかる。怒っている時は、ドスの利いた声で「クマッ」と言い、穏やかな時はその3オクターブ上の声を出す。
 その高いトーンに安堵し、1時間前に駅で購入した、冷えきったハンバーガーにスーパーで買った干涸びたレタスを挟み込み、ポテトと一緒にガツガツ頬張る(上司Tはダイエットのためか、全く口にしない)。そんな僕をよそに、編集長がさらに話を続ける。
「クマガイ君はケニアに行ったことがあるらしいけど、なんでケニアだったの? 怖くなかったの」
 と僕の過去を聞いてきた。正直、僕は過去を語るのは好きではなく、あまり聞かれたくないという性癖がある。しかし、20年以上にわたるインタビュー歴、またラジオパーソナリティーを務める経験からか、優しい物腰で相手のココロの奥底をのぞき込もうとする彼女は、実に引き出すのがうまい。絶妙のタイミングで相づちを打ち、さらに質問をポンポン投げかけてくる。僕自身がインタビューされているような錯覚に陥る。
 話下手の僕も、ケニアでのボランティアのこと、山賊に襲われるのではとビビりながら行ったエチオピアの国境越えやホームレスは生きるために靴磨きをし、街にはとても活気があり、ただ物乞いするだけのイギリスのホームレスとは違うということなど、今までに話したことのないことをベラベラとしゃべり続けた。

 こんな上司と部下との関係はいい。上司は仕事の話以外でも、部下のなんでもない話を聞くべきだ。部下はちょっとした話から、上司と分かり合えたのではないかと思うものだから。上司とは聞き上手であるべきであるというのが、この時の結論だった。

 はじめの不安はどこへやら。残り1時間で目的地リンカン駅へ。話の尽きない僕をよそに、聞き疲れたのか、編集長はうとうとし始めた。上司Tはというと、いびきをかいて爆睡状態。それもそのはず、時計はすでに23時を迎えようとしている。時差ボケに、ハードな取材スケジュール、疲労困憊。宿には零時までに到着しろといわれている。それから部屋を撮影しなければいけない(いつも必ず部屋に入る前のきれいな状態を撮影している)と考えると、体を休めておきたい。堅くなったハンバーガーのかけらを食べた。
 僕もまた、アフリカの思い出と共に目を閉じる。あの時、僕は25歳。4年たった今、息子も生まれ、こうしてイギリスを走り回っている。
「we arrived at lincoln station」到着のアナウンスが取材再開の合図を告げる。僕の束の間の安らぎのひとときは終わりを告げた。
(くまがい・よしのぶ)

 A Pair of Shoes 

  5月末日、いよいよロンドンの隠れ家を拠点に、編集部は、編集長を含む4人で合宿生活突入した。
「これ、誰の靴下? クマガイ君、タオル干したの? ヒカル、食器洗っといてー」
 こうした編集長の声が、毎朝のように石造りの家にこだまする。
 普段はB&Bを主な拠点に置いている僕らだが、寝食を共にすると朝の会話も違ってくる。洗濯機を使い、自分たちで食器を洗う……。まるで、合宿のような生活が一週間近く続いた。毎朝、出かける時はゴミ捨てもするほど、僕たちはロンドンの住人然として過ごした。
「ヒカル、その靴どうするの? 捨てていくのなら、その袋に入れて」
 帰国当日の朝、編集長が、泥だらけでボロボロになった靴を見て、僕に命令した。僕は一瞬ためらったが、
「そうですね。ほとんど履き潰してしまったし、もう泥だらけだし、スーツケースに入れても、資料とかを汚すだけになるので、捨てます」
 僕は一足の靴を捨てた。
 取材先で集めた本やパンフが多すぎて、靴が入るスペースがなくなってしまったためだ。他にも、使い古したタオルや、簡単な洗面用具なども一緒に捨てた。お土産を買った分のスペースも含めて、スーツケースの上に乗っかって閉めたほど、荷物は満杯になっていた。
 ボロボロになった靴は、数々の取材先を歩き通して擦り切れていた上、前日の取材で人里離れた海岸部の湿地帯を長時間歩いたため、泥にまみれて固くなり、潮くさくなっている。
「まぁ、資料が汚れるんじゃあ、仕方ないわね。捨てるなら捨ててきなさいよ」
 彼女はさも関心なさ気につぶやいて、自分の部屋に戻り、帰り支度を始める。少し申し訳ないと思ったが、イギリスの土に還るのだからと、ゴミ袋に入れた。
 この靴は、2年ほど前に取材で立ち寄ったブラッドフォードの靴屋で贈られた物だった。当時もやはりボロボロの靴を履いていたので靴屋を見つけて買おうとしたのだが、クリスマスの時期ということで、編集長がプレゼントしてくれた。僕は同じようなアイテムをいくつも持たないので、ビジネスシューズが必要でないときは、ほとんど、この靴が一張羅だった。ヨークシャーでは嵐が丘を歩き、ロンドン中のマーケットを歩き尽くし、関東では12カ所ある骨董市を歩き、そして最後は、この靴でイギリス本島からリンディスファーン島(ホーリーアイランド)まで歩いて渡った。
 近いうちに新調するつもりだったものの、このタイミングで捨てることになるとは。
 その時はちょっと沈んだムードになったものの、帰りのタクシーでは彼女は気にした様子もなく、車内から新たな取材先を見つけては、「あれ、面白そうだからメモしておいて、写真は撮った!?」と、いつもの様子。
 ボロボロになった靴の代わりに、スーツケースには満杯の資料がある。写真もある。未練があるはずもなかった。今度は、その靴の代わりを「ビル・バード・シューズ」で買おうか。それくらいの身軽さがなくては。
 僕たちは、今月も新しいイギリスを紹介している。
(のむら・ひかる)

イギリスにて



連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


お金と幸せと隠れ家と

5月某日

 円高ポンド安の旨味を受けてか、日本在住のイギリス人たちは、ここぞとばかり大きな買い物をして、円高の恩恵を受けている。
 知人は家具や建築資材など家造りに必要な建築部材を、輸送コストをかけて日本に取り寄せている。
 人気のコッツウォルズやロンドンのサルベージショップ(解体現場の部材を扱う)には、現金をどっさり持ったイギリス人、日本人がわんさかやって来るらしい。蜂蜜色のハニーストーンや日本で購入すると高価なドア、ステンドグラスをありったけ買い取っていくという。
 かつて世界の投機マネーが押し寄せた英国経済は、先の国政選挙もカンフル剤にならず、キャメロン首相を頭にしても、相変わらずパッとしない。それどころか、欧州経済は破綻寸前の渦に巻き込まれ、1ポンドが120円台になる日も出るほどだ。円で稼ぎ、英国へ飛び立つ私にとってはいいことばかりだが。
 そういえば映画「シンドラーのリスト」の中で、シンドラーがゲットーで暮らすユダヤ人商人やナチの幹部に「こんな時代はいずれ持ち歩ける財産が必要になる」と、ささやく印象的な場面がある。シンドラーが机の上に転がすダイヤモンドは、何度見ても魅惑的だ。
「持ち歩ける財産」という言葉は、在日英国人がせっせと値打ち品を買い付ける姿を彷彿させる。
 つまりは、どのタイミングで何にお金を使うか――この技量が迷走の時代だからこそ試されているのだ。そう思えば不安も消えるというもの。

5月某日

  老後のために貯蓄に励むか、将来に必要なインフラ――例えば、住まいや住宅設備にお金をかけるかは大きな分岐点だ。友人知人でお金を出し合って、プチ老人ホームの準備をする人もいる。
 40歳になった編集スタッフは、ロシアに習った週末別荘ダーチャが欲しいと、三浦半島や多摩の奥地で廃墟を探している。予算500万円以内で、食糧危機が我が身を襲っても、食べることだけには困らないように野菜を作るのだという。大地震が発生し、都心がグチャグチャになった時の避難所にもなるし、と――。
 のどかな家庭菜園が、いつの間にか自給自足という切羽詰まった目的に変わる。
 不思議なことに、こんな計画を練る人たちは、なぜかお金でつまずくことがない。彼らは大金持ちにはなれないだろうが、普通の生活を保つことはできる。
 経済的にも、暮らし向きも、普通が一番難しい。普通をずっと続けていくことは、もっと大変だ。
 普通とは「富」「貧」のやじろべえがシーソーのように上下せず平行に留まっていることか。

5月某日

  尊敬するある人と食事をした折、人生は幸せと同時にしわ寄せもやってくるのよと教えられた。
「なるほど……」と感心すると、彼女は
「だってそうよ。日本の高等教育機関は集団詐欺師を養成しているみたい。大学卒のホワイトカラーなんてその最たるもので、銀行や証券会社、不動産会社の営業マンは、いかにしてお客さんからお金を巻き上げるかというテクニックばかり磨いているじゃない」
と、言う。
 彼らを教育しているのは一流大学、そして有名企業。みんなと分かち合うのではなく、自分だけ得をしようという技術をたたき込む。
「あの人たちは年収も高くて、社会的にも認められてるでしょ。たちが悪いことに、日本の大学生はそこに入社しようと血眼になっているんだから」と語気を荒げる。
 彼女はいつも社会の源流を見ている。最近、こんな人が少なくなった。

5月某日

 彼女の言葉を思い出すにつれ、家造り・リフォームにおいても、日本では常に「騙す」「騙される」がまとわりつくと改めて感じる。
 昔気質の人の良さ、体一つで10代から職人の道を歩んできた大工、ペンキ屋、左官屋、電気技師などは、ホワイトカラーの人たちが慣れ親しんでいる「契約行為」に弱い。発注元が破綻したり、親会社の倒産によって泣き寝入りするケースもあまたある。金銭トラブルに陥るのは施主だけではない。
 不動産ブローカーが物件転がしで利益を上げる場合、下職を叩いて稼ごうとする。安くて見栄えよくリフォームさせて、再販するために。
 うちの近所に看板を出す「○×電気店」「○×畳店」などは、世にこれだけのリフォーム需要があるのに仕事がないと、せっかくの技能を発揮できず、店を閉めてしまった。
 だからだろうか、「社団法人日本建築家協会」のシンポジウムでお会いした建築家の方々は、メジャー路線を歩んでいるインテリだと思った。雑誌に掲載される憧れのマイホーム、リノベーションの陰に、下請け、孫請けが連なって、建築家の建てた作品の舞台を作っている。
 これって、洗剤を押しつける、しつこい販売員がいないと、朝日、読売新聞が成り立たないのと同じ? 記者様と自転車に乗った販売員の社会的評価はまったく違うけど、彼らが無理矢理契約を取らなければ、新聞社はつぶれる。
 ユニクロの良質な素材を中国で監督する繊維の師匠をTVで見た。彼らは「匠(たくみ)」と呼ばれ、現地の縫子を前に、製品の質を落とさぬよう、指導している。
 住宅業界も、忘れ去られていく職人の仕事を、もっと違う形で活用できないだろうか。
 日だまりで地べたに座って缶コーヒーで談笑する職人たちを見るたびに、そんなことを強く思う。

5月某日

 金融アドバイス・ウェブサイト「lovemoney.com」が英国人3千人を対象に行った調査結果によると、英国人が経済的に満足するためには、約57万ポンド(約8千万円)の持ち家に住み、4万ポンド(約560万円)の年収、約2万ポンド(約280万円)の貯金や株や債券が必要らしい。
 恐ろしく高い住宅価格に対して、貯蓄残高が少ない気がするが、理想とは裏腹に、半数以上のイギリス人が、どうにかこうにか生活を送っている現実がある。
 これまで私は「イギリスの若者は18歳になると家を出て一人暮らしを始める」と、著書で書いてきた。だが、最近では18歳から30代半ばまでの5人に1人が、経済的な事情から実家に居候しているらしい。それが恋人を作り、交際することもままならない原因になっているとか。こうなると、欧米人の必殺住まい術、ルームシェアも功を成さない。
 イギリスでは求職者数は256万人を超え、1994年以来、最悪の失業率をマークしている。2012年のロンドン五輪に向けて、一体イギリスはどうなっていくのだろうか。10年単位で考えれば、いつの時代も何とかしてきた実績がある国だ。きっとどうにか立て直せるだろうと思う。
 日本の10年後は、依然迷走しているのだろうか。

6月某日

 「井形慶子とともに行く美しいコッツウォルズ地方の家々と寝台列車で行くスコットランド」ツアーでイギリスへ飛び立つ。読者の方々が満足して下さる旅になるかしらと、心配もあるけれど。
 それにしても、3週間前にロンドンから戻ったばかりなのに、とんぼ帰りのよう。今回は、葉加瀬太郎氏フォートナム&メイソンで開くコンサートにもお招きいただいた。奥さま高田万由子さんとも再び向こうでお目にかかる予定。NW3のドン、ミスター・アルカポーネ氏や、隠れ家近くのギャラリーで奮発して買った一生ものの絵を描く画家Pのアトリエものぞかせてもらう。
 あれこれ欲張ったせいか、クマから手渡されたスケジュール表は朝から晩まで予定がびっしり。なのに淋しい気分になるのはなぜか。
 前回は70代の両親が、この隠れ家にやって来た。二人をあちこち案内しようと張り切っていたが、あいにく外はみぞれ混じりの冷たい雨。リビングのテーブルで父は番茶をすすり、母は一人でクロスワードパズルを解いていた。
 二人の背後にはビクトリアン様式の家々が建ち並ぶ。せっかくロンドンまで来たのに。もっと見せたいもの、連れて行きたい場所はあったのにと、切なくなった。
 親子の関係って、これでよしというラインはない。いつも何かをやり残した感じ、言い残した感じを引きずって別れてゆく。
 その残像に胸がつまるのだ。
 まだ時間はたっぷりある。そう言い聞かせつつ、早、季節は夏になる。

写真
イギリスはこれから一番美しい季節を迎えます。


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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


行けども、生けども

4月某日

 ポーランド政府専用機墜落事故に続き、アイスランド・エイヤフィヤトラヨークトル氷河にある火山の噴火で欧州全域の空港閉鎖。連日嫌なニュースが報道されている。海外旅行に付きものの不測の事態、足止めに頭を抱える日本人の様子が映し出されるたび、ゴールデンウィークの渡英をどうするべきか、悩む。
 過去のアイスランド火山の大規模な噴火は、アイスランド南部・ラキ火山近郊で1783年から1785年に起きている。噴火の影響は、その後数年にわたってヨーロッパに異常気象をもたらし、フランスでは数年間連続で食糧不足となり、その5年後には大きな嵐も発生、農作物が大被害を受けた。その結果生まれた貧困と飢餓が、フランス革命の引き金になったという。
 ヨーロッパ発の航空関連ニュースをもっと見たいのに、TVをつければうろたえる鳩山さんと、勝算のない新党のお爺ちゃまばかりが、空しくこぶしを振り上げている。アイスランドの街の様子や、ヒースローで待機する旅客の現状を把握したいのに。上海万博盗作ソングより、弾圧されるウイグル族、チベット族が多く暮らす中国の辺境、中国青海省地震がどうなったかも分からない。
 日本の情報鎖国に辟易しつつ、BBCニュースを拾い集めている。
 それにしても、一連の現象を見ていると、地球が反乱を起こしているようにも思える。
 昨年は新型インフルで、今年は火山の噴火。このままヨーロッパへの途が途絶えると、GWにかき入れ時の旅行会社の損失はいかばかりか。
 事故やトラブルに巻き込まれないためには、家でじっとしておいた方がいいという人もいる。けれど、そう考え始めると一事が万事、一歩を踏み出す気運が揺らぐ。そういえば昨年の今頃もインフル感染が怖くて、老朽マンションリフォームのフィナーレを飾るグアム・ホームセンター行きを躊躇していたっけ。はっきりしない自分と迫り来る出発日に追いつめられた日々。
「もう、いいじゃん。マスクしてれば大丈夫だよ」
 娘の一言でやけくその旅立ち。結果、成田に足止めされるどころか、グアムではホームセンターめぐりの途中に立ち寄った地元レストランRのパンケーキと、深夜営業の靴屋にすっかりハマった。「おいしい」「安い」「きれい」と五感が冴え渡り、麦わら帽をかぶったまま島を走り回った。タイルやドアノブなどの部材の他、「老朽マンションの奇跡」でも紹介したアメリカ製のノスタルジックなプリント生地までたくさん仕入れて、すんなり帰国。行って良かったと心から思った。
 まだ少し肌寒い5月の旅は、終わってみればいつも切ない。
 夏休みという本格的ホリデーが来る前の小休止。涼やかなGWは、障害があってもいたたまれないほど旅に出たくなる。

4月某日

 リフォーム工事の予定変更が相次ぎ、仕事にならない日々が続く。現場に行けば行き違いや手配ミスが重なり、3歩進んで2歩下がる状況に怒りは頂点に達す。仕込み場となった部屋では、東西南北開け放した窓から吹き抜ける、雪混じりの突風をものともせず、黙々と大工さんが作業を続けている。こんなことでヤケになってはいけない。
 ところが、数日間立て続けに凍り付くような現場に立っていたせいか、ついに悪寒に襲われる。帰宅後、熱いお風呂に入り、ソファでテレビを見ていると、そのままの体勢で死んだように眠り込んだ。夢の中でも鼓膜に貼り付いた音が消えない。
 ギュワーン、ギュワーン。
 ガンガンガンガンガンガン。
 絶え間ない金属系の音。いつ終わるか分からない小さな作業の積み重ね。英国不動産購入のようなどんでん返し、ガザンピングが起きそうな、ただならぬ予感。
 ストレスや疲労を伴わないでリフォーム工事を完結しようと思ったら、自分で一からやるしかないのか。だから、主張と個性の強いイギリス人は、自分で木工仕事やペンキ塗りをやるのだと思う。
 大工の人件費(レイバー)の相場は、首都圏で一日2万円といわれる。若い頃から苛酷な現場で働いてきた大工さんの、屈強な体力と粘り強さとの対価とすれば相応だ。
 現場に出向いた日は、指先まで凍えて、編集部に戻ってもほとんど仕事にならないほど疲れ果てている。シベリアに抑留された人々が、永久凍土の過酷な極東で、飢えや衰弱と戦い、建物を建て、鉄道を引いたことを思う。
 とんでもないことを考えているな、私は。
 再び夢を実現すべく工事を始めたくせに。文句を言えばバチが当たる。けれど、個人旅行と添乗員付きパックツアーぐらいの差を、今回の工事で感じている。システム化された大手業者に丸投げせず、こだわりの家づくりを施主がコントロールするには、相当な精神力と意志がなければいけない。何を今さらと言われそうだけど。
 思い描いた家ができるかどうかは、山登り八合目で決まる。頂上は未だ見えず。詳しくは、いずれまた、皆様にお伝えします。
 とにかくウサギのように青菜をたくさん食べて、絶対に乗り切らなければ。

4月某日

 新刊「イギリス式農家の整理術 カントリーサイドの節約12ヶ月」(宝島社)の色校が出る。表紙の帯が思ったより弱く、急遽変更。というか、元の案に戻す。
 それにしてもページをめくるたび、イギリスの清々しい田園の風が吹き抜けるよう。見知らぬ村に迷い込んだ時、カメラを持って駆け出したくなる高揚感が、人々の暮らしぶりと笑顔に集約されている。
 ていねいに暮らすことが、実は最大の節約だったと、名もない村を訪ねるほどわかってきた。その時、本の目次が浮かんだ。
 日中は外出ばかりで、ゲラに向かうのは、全て落ち着いた夜6時以降。お腹がすいたとガマンしつつ、じゃがいも料理の数々を校正していると、早く向こうに行って食べたいなぁと恨めしくなる。
 積み上げた石が苔むして、夕闇に浮かぶ遺跡のような村のパブ。オレンジ色のランプの下で農夫らしき男性がラガーをあおり、その隅のテーブルで静かに食事をする夫婦。大皿には湯気の立つマッシュポテトと、太くて鮮やかな旬のグリーンアスパラ、ぶ厚いハムがのっていた。自家製という言葉は、まさにステーキのようなハムのことを指すのだと、同じものを注文した私は、夢中になってグレイビーのかかったマッシュポテトとハムをほおばった。そのおいしいこと。
 20数年に渡って「お金をかけず」をキーワードに英国の豊かな暮らし方を書き続けてきた。
 イギリスの村に行くと、棚板一枚渡しただけの食器棚や裾のほつれたリネンすら、アイロンをかければ美しいテーブルデコレーションとなり、安普請の家具がエレガントに変わると知る。
 カントリースタイルとは、ファッションではなく、形でもない。楚々とした暮らしで、私たちが見向きもしなかったものを当然のように使い切り、それを誇りに思う営みなのだ。
 この本は、5月19日(水)発売とのこと。すでにたくさんのご予約をいただいています。村の人々の明るさと自信に満ちた表情。撮り下ろした写真と共に最も伝えたかったことを、最後にしたためた。
 日頃の雑事はどこまでもまとわりついてくるけど、この本をながめていると、自分が目指すものにゆっくり立ち返れる気がする。

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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


深夜の愉しみ

3月某日

  気付いたら、私のホームページ、トップの写真が雪景色のまま。何とかせねばと思いつつ、毎日がビュンビュン過ぎていく。桜も咲きほころんでいるというのに、年末年始の挨拶はないだろうと、この場を借りてお詫び申し上げます。このエッセイが出る頃には、更新する予定です。
 スタッフのTが
「これじゃ、ホームページの意味ないですよ」
と、あきれ顔。わかっちゃいるけど、どうにもできない。
 昨年の今頃もそうだったが、この数年、時間の速度に追いついていけない自分を感じている。本の執筆、TVや雑誌のインタビュー、年度末に必ずやってくる決算、その他もろもろ。
 それに加えて、何と、再び老朽物件のリフォームを引き受けた。すでに本を読んで下さった方は想像つくと思いますが、またもやガス管や筋交いと格闘する日々。詳細はいずれまたということで、ここでは伏せますが、このところ、どっぷり住宅漬けとなっているのは確か。
 「セオリー」(講談社)でスタートした連載のタイトルが、「井形慶子不動産〈吉祥寺本店〉“お宝マンション”を手に入れる知恵」と、また強烈。知り合いの不動産業者は、新聞の宣伝を見て「ついに業界参入ですか!」と、興奮して電話をかけてきた。驚くことに、(財)住宅リフォーム・紛争処理支援センターによる「第27回 住まいのリフォームコンクール」審査委員会委員にも就任した。つらつら書いているだけで目が回りそうだ。

3月某日

 お会いする方に「いつ休んでいらっしゃるんですか?」と、問われ、娘には「ママっていつも元気だね」と、からかわれる。
 今や休息の時は夜眠る前の1時間。深夜1時を過ぎると、TVをつけても知らないタレントが出ているバラエティーか、意味の分からないマンガぐらい。そんな失望を払拭してくれるのが、TVショッピング番組だ。日本の双璧は「QVC」「ショップチャンネル」でしょう。知り合いも結構出演しているこの全国放送、疲れとストレスでモヤモヤする夜に見始めると、止まらない。
 女性とは不思議なもので、心身共にヘトヘトになると小さな喜びが欲しくなるものだ。
 ノルマの厳しい出版社で、営業職の女性が閉店間際の店に飛び込んで、服やバッグを衝動買いする話を聞いた。こんな女性をひとくくりに「買い物依存症」と呼び捨てるのは、買うことによる癒しを理解しない男性たちだ。酒やパチンコで満たされる欲望と、一枚数千円のチュニックに喜ぶ心理は紙一重。
 阪急阪神百貨店の椙岡会長とお話した折、
「デパートの閉店時間が11時だったら、毎日デパートに行きますのに」
と、買い物できない働く女性の窮状を訴えた。すると、会長は
「井形さん、百貨店を1時間開けるのに、どれだけ経費がかかるか知ってますか」
と、言われた。
 考えたこともなかったが、確かに女性の励まし買いに付き合うほど、百貨店もゆとりがない昨今だ。
 だからだろうか。真夜中のバッタ屋、ショッピング番組がますます元気になったような気がする。

3月某日

 ある夜、何気にチャンネルを回すと、ストレッチパンツを紹介していた。
「お客様ぁー、見て下さい。こーんなに伸びるんですよぉー」(キャスト)
「縦にも横にも伸びて、キックバック抜群なんです」(メーカーの男性)
「ついでに、ニットもいかがでしょうか。これもすごーく伸びますねぇー」(キャスト)
「この伸びが二の腕もカバーしてくれるんです」(メーカーの男性)

と、いう具合にキャストとメーカーの男性二人が、交互にパンツやセーターを引っ張り合っている。なぜ、伸びることをこんなに強調するのだろうか。あんなに引っ張ってセーターは型崩れしないのだろうか。破れないんだろうか。
 不思議な思いで画面を食い入るように見る私。たかが普通のパンツとセーター。ちょっとラインストーンが付いているし、フリルもあしらっているけれど、「ユニクロ」に行けば、もっと今風のラインの服が1000円と少しで手に入るのに。冷静になれと、自分に言い聞かせつつ、催眠術にかかったように電話をかけて注文してしまった。
 恐るべし「QVC」「ショップチャンネル」。洗脳されてダイヤルする自分の意志は、スタジオで服を引っ張り合いながら絶叫する出演者に吸い込まれていく。
 取り寄せてみれば、ごく普通の服なのに。イギリスに行けば、もっと素晴らしい服が、もっと安く買えるのに。なぜ、深夜TVで見る服や靴の数々は、あんなにも魅惑的で手に入れたくなるのだろう。
 デパートは眺めるだけで済む。けれど、ショッピング番組の商品を手元に引き寄せて見てみたいという思いは止められない。
 こんなことを久々お会いする行政書士(女性)に話したところ、私の病気が彼女にも移ったらしく、事務所で残業が続くと、ついTVをつけてしまうのだとか。
「たまにいいものが出てくるんですよね。私は『ショップチャンネル』が好きですが、井形さんは『QVC』派ですよね」と。
 はたから見れば、いい歳をした女性二人、くだらないことを話していると思われるでしょう。思うに、最近はネット通販をはじめ、どこからでもモノが買えてしまう。ショップの数も増えすぎて、おまけにモールやデパートも乱立気味でしぼりきれず、女同士買い物武勇伝を話す楽しみが半減している感じなのだ。
 そんな折、深夜でも早朝でもTVをつければ、気合いを入れてモノを売っている「QVC」「ショップチャンネル」は奇特だ。この頃は、視聴率が良いのか、有名女優やモデルまで登場している。

3月某日

 興味はチャンスを呼び込むというが、何と、私のもとにも「番組、やりませんか」というお誘いが、双璧の一つから来た。信じられない夢のようなオファーだ。私は、見る側から売る側へ立つのか。これぞ、人生の転機かもしれない。
「願ったり叶ったりですね」と、嘲笑気味のスタッフを尻目に、一日中はしゃぎまわり、その夜は一段と真剣に、声をかけて下さったほうの番組を見た。ああ、この番組に出演した暁には、私はいったい何を売るんだろう。考えるだけでワクワクする。
 興奮覚めやらぬまま、御祝儀買いしてもいいかなと、低周波治療機能が付いた電気マット・セミダブルサイズを注文。ちょうど冬の寒さがこたえていた時期だっただけに、寝るだけで肩こりも取れ、大満足であった。

4月某日

 昨年出版したフォトエッセイの第二弾「イギリス式農家の整理術 カントリーサイドの節約12ヶ月」(宝島社)の入稿作業でこの数週間、終電コースが続いている。広く読まれた前作以上のものをお届けしたいと、膨大な写真をかき分け、改稿を繰り返す。
クマはふてくされ、編集補助のヒカルは何か問うても「たぶん」と言い、どこかに去ってしまう。発狂寸前の私に、いつもお茶を入れてくれるUさんは、泣きそうな顔をしていた。そんなスタッフと私に挟まれたライターのKさんは、気を遣ってか、時々くず餅やあんパンを差し入れてくれた。
 こんな舞台裏からは想像も出来ない程、目次のラインナップはゆったりしている。イギリスに行くたび、もし、英国の村がなくなったら、そしてロンドンバーミンガムのような規模の都市が膨張していったら、イギリスの良さはなくなってしまうと思っていた。
 村の持つ素晴らしさ、楽しさ、情緒を知ったのは、イタリアでもフランスでもない。そこで昔ながらの家政学を知り、素朴な家庭料理に出会い、狭い家に暮らす工夫を学んだ。今回の本は30年来、名もない村を訪ね歩いた私が、ずっと溜め込んできた「節約」「整理」、衣食住の手引きを説いた書き下ろし。早く皆様にも読んでいただきたいと思っています。

 数日後、何とか入稿はひと区切り。心なしかクマの顔は少しほころび、ヒカルは来たる英国の総選挙についてキビキビ意見を求めてきた。
 若者に春は来るか。日はまた昇るのか。頑張れみんな。負けるな自分。
 深夜手に入れたパジャマに袖を通し、今宵もTVの向こうの絶叫に癒されている。

写真
山梨・講演会後のサイン会。
美しく、センスの良い皆様の装いに
へぇーっと、見とれていました。お手紙などありがとう


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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


梅春―才能を出し惜しまず

2月某日

  オリンピックはいつでもスターを生み出す。アスリートの苦難やスランプの克服、そして輝かしい栄華を。
 冬季の見どころは、やっぱり女子フィギュアだろう。不調報道が続いた浅田真央が、ハチャトゥリアンの曲と共にどん底から立ち上がったすがすがしさは、私たちを釘付けにした。キム・ヨナとうりふたつの顔、同い年の真央ちゃんを日本外国特派員協会での会見で間近に見た時の印象は、「細い」「勝ち気」「髪がきれい」だった。
 氷上のお姫様と形容したくなる高潔さは、自らが築いてきた実績に裏打ちされているのか。ブレザー姿の彼女の横に座っていたスポークスマン氏は、世界の舞台で強豪と渡り合える選手を育成するには、相当の資金がかかると言っていた。
 ロシアや北米での合宿費用、メダリストを輩出したコーチのギャラ、選手を支える一流スタッフも奉仕では動くまい。一瞬の輝きを私たちはTVにかじりついて堪能するが、その対価はいかばかりか。選手の努力ばかりがフィーチャーされるが、バンクーバー五輪を機に専門家によるコスト公開をしてはどうか。
 すると、事業仕分けでも政治家が目安にできる。スポーツ、文化を世界水準に引き上げるためにかかる費用は、ぜひ知りたい。

2月某日

 マイケル・ジャクソン(以下M・J)の『THIS IS IT』を購入した。1週間限定の映画を見損ねて以来、ずっと心待ちにしていたDVD。個人的にはM・Jにはさほど関心もなく、むしろ整形で仮面のように変貌する顔や、幼児虐待などのスキャンダラスな報道にネガティブな印象を持っていた。
 そんな私だが、このDVDを見て、彼の才能に放心状態となった。当然、遺作となるわけだから、制作チームの「見せたいマイケル像」というものはあるのだろうが、どのリハーサルシーンにも彼の協調性やリーダーシップ性がいかんなく現れていた。M・Jファンなら、たまらないドキュメンタリーだろう。
 「地球」とか「愛」という広域のスローガンは、いかにもアメリカ的で鼻白む場面もある。けれど、自分の思想を類い希なる音楽的才能で表現し続けてきた純粋さに、最後は涙が出た。死の直前と思って見ていると、この時も、この時も、相当に具合が悪かっただろうにと胸が痛んだ。
 各ジャンルで「格好満点、中身0点」の見かけ倒しパフォーマーが増えている昨今、自分自身を使いきるとはこういうことだと、突きつけられる。
 葬儀の時、M・Jとは似つかぬ、あまりに純朴な愛娘の「お父さんはわたしたちが生まれたときから今まで、ずっと最高のお父さんでした……パパ愛してる」と泣きじゃくっていた姿が、やっと腑に落ちた。愛情深き父親という資質も、スーパースターの確かな一面だったのだ。

2月某日

 またまたロンドンに行ってきた。昨年に引き続き、「定期券が必要ですよ」と、スタッフに皮肉られている。いかに仕事とはいえ、週末型英国出張の疲れがそろそろMAXに達しそう。
 2月に入ってからも、『老朽マンションの奇跡』(新潮社)のインタビューが平行して続いている。「この期間はロンドンに行くので、無理なんです」と、メディアの方々にお伝えすると、「また行くんですか」と苦笑される。
 もう何回目の渡英か、数えられないです。ヒースローのターミナルを出ると、皆がタバコを吸う一角があるんですが、その敷石の様子まで頭に入っているんですよ――と、私。
 こんな話は自慢にもならないが、ゴルフのラウンドに匹敵するかと思われる成田&ヒースローの長い空港内コンコースすら、お馴染みの風景となった。
 英国では日本の新幹線をマンチェスターまで走らせるというが、ロシアと手を組んでシベリア大陸を横断し、ユーロスターの路線に乗り入れる、超高速寝台列車を極東から走らせてくれないだろうか。そんなことを真剣に考える。
 いいだろうな、針葉樹の森をかいくぐり、バイカル湖やウラル山脈、東欧を堪能しながら、わずか一泊でロンドンに着けたら。食堂車ではボルシチからうどんまでが食べられ、そこそこのシャワー室も完備。ついでにネットも使えて、デューティーフリーまであったら、飛行機恐怖症の人も大助かりだ。
 インタビュー中にもかかわらず、そんな空想にふけっている。
 人生半分生きてみて、この50年間の科学技術の発達を見せつけられた昭和生まれの私は、大抵の望むことは数十年で現実になるかもと、信じられるのだ。

3月某日

 毎日、土鍋で武蔵野産直の白菜や大根をたっぷり、昆布で煮込んで食べている。血圧にも注意して、調味料は庭のレモンやゆずをぶつ切りに目一杯絞る。炊きたてホカホカの「信州白土センロク屋」のお米は、しそ昆布とともに。これがおいしいのなんの。さらば、時差ボケ。戻れ、バランス。外食のマイナス要因もこんな食事を数日続ければ、身体から消えてしまう。
 それにしても、本の波及力はすさまじい。『老朽マンションの奇跡』に出てくる中古リフォームの達人、宇野社長のもとには、昨年来連日、今の住まいを何とかしたい読者の方々から問い合わせが続いているとか。
 ほとんどの方が、明星ハイツを一目みたいとおっしゃるそうだ。ごめんなさい、皆さん。現在、本に登場したハヤト君は、第二の人生に踏み出せるか否かの瀬戸際に立っています。できれば、そっと見守っていたいと思う親心をご理解下さい(まるで、交際宣言をした芸能人の事務所のようで、片腹痛いが)。
 意外だったのは、出版後、中高年の読者の方々に混じって、公的機関や国土交通省住宅局の官僚の方々からもご連絡いただいたこと。どちらかといえば、貧困にあえぐ若年層や若手サラリーマン家庭の共感を得られるか、と思っていただけに驚く。
 所得が高いことで知られる上級の公務員が、車一台分で購入したボロ家改造劇にこれほど夢中になってくれるとは。聞けば、日本の住宅業界もスクラップ&ビルドの呪縛から何とかして逃れたいと、新しい利益追求の道を模索しているらしい。
 新築住宅が以前ほど売れない、マンションもしかりだ。すると、一体どうやって住宅産業を支えていくのか、どこにポイントを絞って経営戦略を立て直せばいいのか。そのヒントを探りたいのだろう。
 私はこれまでの得た一般人としての見識から、3つのことを提案した。うまくいけば、住宅業界はもとより、日本に外貨が流れ込む壮大かつ単純な考えを。国交省のおじさま方は、細かく手帳に書いておられた。メモの行く末はいかに。

3月某日

 何としても、住宅から日本を変えて欲しい。これは長年私が思ってきたことだ。
『老朽マンションの奇跡』では、日本の住宅政策の遅れを随所に指摘した。欧州に比べ階級格差が緩やかな日本では、無理なく国民が住めるシステムづくりが、戦後もなかなか整備できなかった。裏を返せば、日本人は打たれ強いというか、諦めが早いというか、役人にとっては御しやすい気質を持っているのだろう。
 つい先頃、ロンドン北部の高級住宅街セント・ジョーンズ・ウッド駅近く、ビートルズにゆかりの深いアビィ・ロード・スタジオを、所有する英EMIグループが売却すると報道した。「えっ、嘘でしょ」と、あのスタジオ前で取材したことを思い出した。
 観光客はもとより、前を通るたび、こんな目立たない場所でビートルズが仕事をしていたんだなと、アレコレ思いを馳せた。世界的不況に致し方ないのかと、歯がゆい思いでいたところ、あっという間に売却計画は中止された。
 計画が発表されるや「売らないで」と、ビートルズファンを中心に大騒ぎになったからだ。
 落書きだらけの古い建物は、その歴史性に加え、公道に面し不動産価値も高い。売ればどれだけ利益が補てんできるか。それを思いとどまらせた民衆の力。イギリス人は、個人の声を束ねて方向性を修正することに臆さない。
 ひとり一人の考えは、企業や国から見れば小さいものだ。反論されても適当に蹴散らして代替え案をまぶしておけば、じきに忘れるだろう。こんな発想を経営者や役人に植え付けた私たち日本人と大きく違うのは、イギリス人「ノー」のパワーだ。
 草食系と褒めそやされ、控えめでおとなしい性質をアピールするあまり、意志まで風になびく草のようになってはいけない。物事を軌道修正させるには、肉食的な激しさを伴うこともある。
 それをアピールできる力もまた、人の一生を支える才能だと思う。

写真
ロンドン、アビィ・ロード・スタジオ前にて。


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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


2月―Snow on the Heath

1月某日

 4日は仕事始め。にもかかわらず、「老朽マンション」のインタビューを明星ハイツで受ける。撮影にいささか緊張気味。日本が抱える住宅問題を話しながらも、年末年始の渡英について思い返している。

 ヒースローに到着したその日は、私の誕生日だったのだが、アップグレードされたビジネスクラスで飽食三昧。すっかり緊張感がなくなった私は、ぼんやりとイミグレーション(入国審査)の長蛇の列に並んで自分の順番を待っていた。
 毎度のことながら、この入国審査で待つ時間というのは、歯ぎしりするほど無駄に思える。グズグズ審査する係官をにらみつけるように、なぜイギリスは自国の玄関口にテキパキさばける人員を配備しないのか、憤る。
 小一時間並んだ後、「Next」と、呼ばれ、私とスタッフの番が来る。早く空港から出たい。思うことはそればかり。審査官の黒人女性は、私のパスポートをめくり、注意深くスタンプを目で追っている。いつもながらやましいこともないのに、緊張する。
 ふせ目がちに立っていると、大きな声で「Happy birthday」と。一瞬、何のことかわからず顔を上げると、「Congratulations!」と、再び。ああ、今日は私の誕生日だった。忘れていたと、つぶやく私に、彼女はそう、誕生日ですよと、満面の笑顔でバンバンとスタンプを押す。不意を突かれたようで、「ありがとう」を、繰り返しつつ頭がボーッとなる。

 イギリスに来たんだなと、しみじみ思う。携帯をONにすると、編集部よりメールが届く。
「クロワッサン・プレミアムよりインタビュー依頼あり。ようこそ50代というテーマで」
 ふたたび誕生日に。何と、奇遇な出来事が続くのか。そうか、今日はおめでたい日なんだ。
 いつもの隠れ家へ直行すると、NW3のドン、ミスター・アル・カポーネの秘書嬢が、誕生日を祝うべくきれいなお花を持って待っていてくれた。チョコレートとともに。厳寒のロンドンで、ボイラーに支障がないか心配してくれたよう。異国の地ではこういう気遣いが身に染みるほどありがたい。
 スタッフと共に近所のレストランへ夕食に出かける。皆、旅の疲れと時差ボケで、初日特有のけだるい感じ。明日からのスケジュールを打ち合わせた後、サラダとパスタで今日は早く休もうと話した。
 私が
「ちょっと、外の空気を吸ってくる」
と、席を立とうとすると、店主が飛んできた。
「座って下さい。今、立たれては困る」

ハッピーバースデー 彼の真剣な表情にポカンとしていると、カウンターの奥からロウソクを立てたティラミスをウェイターが二人、うやうやしく運んできた。彼らは歌を口ずさみ、私に向けてほうらと、ハッピーバースデイと書かれたプレートを見せた。
 うわぁと歓声を上げる私に、火を吹き消せとマネージャーが言う。思えばこの一年、皆がモメた時、取材がうまくいった時、キャブを呼んで欲しい時、何度もこの店に飛び込んだ。彼らは私たちを休暇で来ている日本人と思っているようだ。なぜ、しょっちゅうこの辺の住宅地をうろついているのか、詳細も聞かない。ただ、何となく顔見知りになった。
「今日は編集長の誕生日だと一言言っただけなのに」と、驚くスタッフ。
 ささいなことの積み重ねだが、後にも先にもイギリスでこんな歓待を受けることはないだろう。そんな感慨も、「これ、チャージされるんですかね」というスタッフの言葉で冷え上がる。海外に出るとサービスと金の問題は付いて回る。親切の影に請求ありと、何度落胆させられたことだろうか。
 ところが、現実的な彼らの心配も明細を見た瞬間、杞憂に終わった。あれは当店からのプレゼントですと、マネージャーは私たちの肩を叩き、ほがらかに笑ったのだ。
 隠れ家での初めての冬。30年間イギリスに通い続けて、クリスマスをこの国で過ごすこともすっかり習慣となった私だ。滞在者から生活者へ微妙に切り替わる瞬間、こういった出来事の一つひとつが、自分の立ち位置の確認になる。受け入れられた実感こそ、忘れられない誕生日の贈り物だ。

1月某日

  日本海沿岸で大雪とのニュース。今年は世界的に大寒波かもしれない。

 暮れのイギリスは本当に寒かった。ハイランド・インバネスでは氷点下20度を経験した。ロンドンも連日マイナス気温で、大雪にも見舞われた。道路は雪が凍り付き、地肌の出たところでは、スケートリンクのような氷に覆われている。
 隠れ家近くのカフェで、朝、撮影をしていると、買い物かごを持ったおばあさんが、私たちの前で激しく転び、地面に腰を打ちつけ、しばらく起き上がれずにいた。
 手を差し出すにもソロソロと近寄らなくてはこちらもツルンと滑ってしまう。おばあさんのかごから飛び散った財布や小銭を拾い集め、男二人がかりで起こしてあげるも、転んだショックから彼女は、「そこの郵便局に行こうとしてたのよ」と繰り返すばかり。少し離れたところから、郵便局に向かうおばあさんを見守る。
 このことを境に、雪道でもころばない歩き方を改めて研究した。
 シャーベット状の、ず黒い雪の上がもっとも安全。めったに車が来ない住宅街では、後ろを振り向きつつ、車道を歩くこと。狭路では車が来たら、住宅の外壁にへばりつきスリップ&追突に備える。
 たいてい、私たちは大きなカメラバッグや買い物袋を抱えていたため、数日後には坂道だらけの住宅街を歩くことに疲れ果てた。

 スコットランドで共に雪山をウォーキングしたイギリス人にそんなことを話すと、それは靴が悪いのだと笑われた。その人はバラ色のラバーブーツを履いている。聞けば1856年の創業以来、150年の歴史を持つ「ハンター(Hunter)」の長靴らしい。同社の長靴は、28種類ものパーツを手作りで構成した後、丸ごと液体天然ゴムに浸けて形成するため継ぎ目がなく、高い防水性と耐久性を持っているという。その美しい長靴で果敢に雪を踏みしめて歩く姿を見るうち、スニーカーで四苦八苦する自分がバカバカしく思えてきた。

 ロンドンに戻っても考えるのは長靴のことばかり。ある朝、隠れ家の前の敷石につまづき、氷の歩道で尻餅をついた。もうだめだ。私は長靴を買うのだ。その後、ハイストリートに続く道すがら、「ハンター」を履いた3人の女性とすれ違った。薄いピンク色のそれをシフォンスカートからのぞかせる女性。「バーヴァー(Barbour)」のコートをはおり、ブーツインでチョコレート色の「ハンター」を履きこなすミセス。相変わらず自分はといえば、恐る恐る壁づたいにカニ歩きしている。
 駅に続く路地を曲がると、一軒のガーデニングショップがあった。「sale」という文字に引き込まれ、店内に入ると、壁一面にずらりと色とりどりの「ハンター」が並んでいるではないか。求めよ、さらば与えられん。聖書の一節を思い出す。
 私は履いては鏡を見てを繰り返したあげく、ハイランドで見たバラ色の「ハンター」を買った。同行したスタッフも「イギリスの冬を快適に過ごしたいなら、これを履かなきゃ。このままボンドストリートを歩いてごらんなさい。超クール、うらやましがられますよ」と、女主人に背中を押され、1万円近い長靴を一生モノと購入。
 私たちはまるでブランド小僧のように、雪の残るロンドンを長靴で闊歩する。この歩きやすいことといったらない。

 その日以来、食事に行くときも長靴姿で通した私。ついでに知人に頼んで縫ってもらった万能クラシカルエプロンもかけっぱなしで。
「まるで魚屋のおばちゃんみたいですよ」
 彼らに笑われようと、公園やフットパスまで濡れることなく踏み込んで行ける自由さは、何物にも代え難い。
 子どもの頃、欲しくてたまらなかったものが手に入ると、枕元に並べて眠っていた。アトムのお茶碗、セルロイドの筆箱、歩くたびに音が出るつっかけ。あの時のように、帰国する日までバラ色の長靴をベッドサイドに置いて眠った。
 ファッションとしての「レインブーツ」を手に入れたのではない。どんな日も安全に、快適に、自由に動き回る。二つの足で大地を踏みしめ、楽しく歩いてゆく。
 そういう価値観が根付いた社会の片隅に、ようやく自分がいる。


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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


渡英前夜

12月某日 朝

 カーテンを開けて晴天だと得した気分になる。洗濯物を早く冬の陽に干したいと、たいてい夜に洗濯しておくのも、すっかり習慣となった。
 それにしても、冬の洗濯物の多さは洗っても洗っても終わらない。長袖のヒートテック、トレンカ、レギンス、フリースと何枚も着込んでいるせいか。これが成長期の子どものいる家庭なら殺人的量となるはず。
 セーターなど、ウール製品やブラウスは汚さないよう着ている。アイロン掛けも減らしたい。せっかくの休みが洗濯→たたむ、もしくは、アイロンがけで終わるのを避けるため。やり始めれば楽しい仕事だが、「好きなことをする時間」が、いつも2時間足らずで終わってしまう。
 イギリスのワーキングカップルの平均的余暇の時間も、確か2時間程度だった。仕事を持つ人が多忙なのは、スローライフの根付いたイギリスも同じこと。

12月某日

 それにしても、私は何枚ユニクロを持っているか分からなくなった。限定価格になる週末にちょっとのぞくと運のツキ。自分のものばかりか家族や友人の分まで、安い! 丈夫だ! と買い込んでしまう。
 引き出しの中はユニクロで爆発状態。服は「順番に着て洗う」を繰り返さないと干からびてしまうのに。
 かねがね、娘に「いくら気に入ってるからって、同じ服ばかり着ちゃダメよ」と言うくせに、黒のヒートテック一枚探すのに、引き出しを引っかき回している時間のロスは何だ!
 ユニクロの功罪。安くて丈夫だと、同社のフリースやシャツを長年大切に着続ける人がいるのだろうか。新製品が出れば、引き込まれるように何やかや買ってしまうのではないか。
 中古ユニクロは、同社のリサイクルシステムで世界の貧困地域に届けられると聞くものの、日本人の服への愛着と管理能力はぐんぐん低下している。
 だから、冬の晴れた日に服を干す時は、4月初めまでタンスの冬物を何回ずつ着れるのか、服ローテーションを見直すいい機会。
 すると、なるべくクリーニングに出さずにすむよう、洗えるニットや起毛インナーに出番が集中し、ヘビーローテーションになっていた。
 気が付くと、ロンドン・セルフリッジのセールで買った「よそいき」がクローゼットの隅っこにずんずん押しやられている。
 使い捨てにはならないが、確実に服ローテーションからはじかれているおしゃれな服たちが気の毒。

12月某日 昼すぎ

 渡英まであと10日。準備はほとんど手つかず。
 というのも、『老朽マンションの奇跡』(新潮社)へのインタビューや取材が相次いでいるから。MPの編集チェック、財務、人事、原稿書きもろもろも停滞気味。日に何度も手帳を見ては、予定を組み直す。
 こうなると、1分前に思いついた事が次の瞬間消えるクセがひどくなる。(といっても病気ではありません)移動中など、メモが取れない瞬間に、フッと仕事や本の企画がよぎるので、紙とペンとケータイは手放せない。面倒くさがりでメールオンチの私が、物忘れ防止にスタッフに送るメールは意味不明。
 ある朝、カオリ嬢に「ソーセージとパン」とだけメールした。私の幼少時代の食についてのキーワードを原稿にしようと。勘のいい彼女は、それをメモに書いて机の上に貼っておいてくれた。
 ところが、似たようなメールをK君に送ると、深読みする彼は「今すぐ結婚したい」という私からのメッセージをどう処理すべきか分からず、悩み続けたらしい。これは本のタイトル案だったのだが、申し訳ないことをした。
 長文メールを秒速でこなす若い女の子を電車で見るたび、アナログでいいと、強がるのは自分だけか。

12月某日

 MPで連載中の星野正興先生が、NHKラジオ深夜便『こころの時代』に出演した時の放送をCDに落として社員に配った。星野先生が語った「牧師への道、農業への道」について、皆が提出してきた感想文を読んでびっくりした。
「キリスト教」「信仰」「農業」「目に見えないもの」「教育」など、2日間に渡って語ったテーマを驚くほど皆が理解していたのだ。
 奇跡的に伝わっている。本もろくに読まないような若者までが、真摯に生きる氏の生き様を吸収している。
 平易な語り言葉。
 滑舌の良さ。
 星野先生は一拍おくところ、ゆっくり話す言葉を考えぬいた末、人々に語りかけると言っていた。
 最近、長年おつき合いのある方から、私のインタビューに答える口調が早過ぎると人づてに指摘され、あっと思った。
 どうりで、社員や外部の方々が時たま取り違えをするのか。大切なことは、ゆっくり静かに話さなくては。自分が本で書いたくせに、夢中になって、熱くなって一気喋りになっていた。
 両氏にはすんでのところで気付かされ、助けられた感じ。有難い。

12月某日

  イギリスに発つ日が近づいている。このわずかな期間で来年の大まかなスケジュールを組み立てるのも毎年のこと。出版社の方々、講演会、イベントの依頼、井形慶子ツアーの日程を調整するも、あっという間に一日が終わる。
 某社に来年出版する本の企画案を出すが、今ひとつしっくりいかない。会食の席で相手方の反応を見ていても、向こうが望むものと、自分が書きたいもの、その真ん中にある企画案がちぐはぐな感じ。にも関わらず、このままタラタラ進んでいく予感。
 修正するなら今しかないと、一晩かかって企画案を作り直す。とりあえず決まったものに水を差すようで気が引けるが、再び連絡して担当者とお目にかかることに。
 私がそっとテーブルに出した企画書をチラ見するなり、担当者は
「これいいじゃないですか! これ、これを待っていたんですよ」
と、大喜び。
 えっ、でも全部見てないのにと言うと、「これは他の人じゃ書けない。面白い」ときっぱり。話はわずか1分で終了。
 呆気にとられていると、
「実は僕もあれでいいのか気になっていたんですよ、どうだろうかって」
と言われた。
 何と、人は同じことを思うのだ。とても喜んでもらえてホッとしつつも考えた。
 そういえば、企画書を作り直していた昨夜、私の背後にしのびよってきた社員Aも「面白そう、この本絶対読みたい」と言ってくれた。なぜ全部を見ないでそう思うのか問うと、
「パワーがある。一つずつ目次の言葉が訴えかけてくるんです」
と言う。
 皆にウケるものはないかもしれない。けれど、皆が立ち止まり、面白そうと思うものは、何かしら共通点がある。それが何かをいつも考えている。

12月某日

 しばらく日本を留守にするので、冷蔵庫の野菜やチーズや肉を残らず使い切るごった煮が続く。
 私はストアで野菜を買わない。武蔵野のはずれの農家・直売場に出向き、採れたて野菜を毎週買っている。
 顔なじみの奥さんは、いつも「持っていって」と、残り野菜を詰めてくれる。時には、とうがらしや菊など、農家の庭先で採れたものもくれる。大袋2つ、3つの新鮮野菜が、1000円少々なのも嬉しい。
 今は人参、白菜、ブロッコリーの収穫期。包丁で切ると、採れたて大根からは水がじわっと染み出る。一週間冷蔵庫に入れっ放しでも鮮度が落ちず、シャキっとしているのも畑から直行の野菜だからだ。この持久力の違い。
同じ野菜が続いても食べ飽きることはない。むしろ自分は東京に住み、忙しく働いているのに、農家の人から直接野菜を買っている。
 料理するたび、私は何と恵まれているんだろうと深く満たされる。
 洗ったまま弱火にかけると、自らの水分でほっこり茹で上がる甘い人参。大げさだが、これを食べると、自分は世界一の幸せ者だと思う。
 都会に暮らして田舎暮らしの贅を極める。
 きっとロンドンでも同じ暮らしを探すんだろうな。そう思いつつ、干し上がった洗濯物をスーツケースに詰めている。


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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


師走日記 もう少しこのままで

12月某日

 久しぶりの長崎。今回は長崎「佐世保南ロータリークラブ」の方々にお招きいただいての講演会だった。
 大村(長崎)空港に降り立つと、東京よりずっと寒いのにびっくり。会場の「長崎県立佐世保青少年の天地」までレンタカーで1時間以上走る。長崎市内からは両親に加え、友人も駆けつけてくれた。
 70代半ばの親を見ると、いずれ郷里に戻っても迎えてくれる人がいなくなるのではと、切なくなる。会うたび二人の老いを突きつけられる感じ。
 もう時間がない。ちょくちょく会っては、現在進行形でいろんなことをしていかなくてはいけない。いたわりより、親孝行よりも。
 そんな考えも束の間、講演会で真剣に聞いて下さる若い方々の眼差しに引き込まれ、たちまち仕事モードになる。
 講演後、取材も兼ねた私共は、長崎・丸山町にて卓袱(しっぽく)料理をいただくことに。昔、遊郭があったという、怪しげで風情ある丸山は大好きな町。2週間先まで予約が取れない「花月」の代わりに、皆で過ごした料亭では、円卓を囲み、長崎ならではの甘い煮物、角煮、おしるこをいただく。
 同行した社員に「こんなご馳走、一生に一度の経験よ」と最初から最後まで恩着せがましくガミガミ言う私。けれど馬耳東風の彼らは、マイペースでおかっつぁま(女将)の話に耳を傾けて料理を堪能している。私はさらにしつこく「絶対に最後の一口まで残さないでよ」と釘を差す。
 そんな様子をじっと見ていた友人は、
「本当にあんたって、中学生の頃から変わらないわね。一生この調子なんだろうね」
と、ほとほと呆れ果て、社員をねぎらう。
 翌日は、彼らと共に長崎の原爆資料館、日本二十六聖人記念館、孔子廟(こうしびょう)、坂本龍馬像除幕式を駆け回る。その隙に両親は荷佐山(いなさやま)のふもとまで揚げかまぼこを買いに車を飛ばす。皆に持たせるおみやげをと。
 あっという間の一泊二日だった。
 長崎空港で私を見送った父親は、同行した友人に「慶子にあともう一日いられたら、血圧が上がってぶっ倒れてたよ」と、言ったとか。
 羽田に到着したら、すぐさま友人よりメールで知った。
「何よ失礼ね」と文句を言いつつ、さっき飛び立ったばかりの長崎の景色を懐かしむ。
 彼らがいなくなったら、私はまた一つ基盤を喪失する。だから今を最大に楽しんで生きなければいけない。東京と地方、離れて暮らす老親や友人は常に変わることなく、人生にいてくれるのだから。
 毎度のことだが、仕事の場面にひょっこり顔を出す親や友人と、MP社員は気楽に付き合ってくれる。彼らにも頭が下がることしきり。
 我が社は家族経営ではないものの、編集部には時たま社員の子どももアルバイトにやって来る。小学生の息子を連れてきたK次長は、作業台で我が子に切手の貼り方を教えていた。
 昔の日本式カイシャの良さ。社員旅行や忘年会はなくても、日々働く中で手助けしてくれる社員の家族もかけがえのない存在だ。

長崎・丸山の後は、ユースホステルに泊まったスタッフ一同。
長崎・丸山の後は、ユースホステルに泊まったスタッフ一同。

12月某日

 朝のインタビュー前に立ち寄る吉祥寺スタバ、外のデッキにて。
 冷たい風の吹きすさぶ中、ピンヒールブーツが似合う若い母親が、同じくフェラガモノのエナメル靴を履くオシャレな母親と立ち話をしている。
「ママ、おうちに帰ろうよ」とレザーコートの裾をひっぱる子ども。上の子を幼稚園に送ったあと、スタバに集い、よもやま話に花を咲かせる彼女たちは女子大生のようだ。
 巷では待機児童の数が増え、仕事に出たくても出られない母親が急増中。横たわる格差。富と貧の境界線はこんな朝の光景にも感じる。
 先日、ニュースで住宅ローンが払えない父親が、「失業した今、生活は妻のパート代5万円でやりくりしている」と訴えていた。一家4人、このままでは1200万円の住宅ローンが返せず、自宅を手放すしかないという。
 父親は年の頃30代。一方ではブランドに身を包む若い母親が朝のコーヒーを楽しんでいる。どこで人生の分岐点は始まるのか。両親によってか、嫁ぎ先か。もし私が今、失業したら、どうするか。
 とりあえず、アルバイトの掛け持ちをしつつ、家財道具、服などイギリスで集めた身の回りの物を売り払うだろうな。
「ころんでも金を離すな」は、広告代理店D通の社訓。我が社もD通の真似をして、創設時は同じ社訓を掲げたっけ。どんな不景気でも、稼ぐ道は無限にあるはずだ。
 いろいろなことが頭をよぎる。

12月某日

 子どもを抱えて走り回った20代。預け先を探して、探して、働きつないだフリー編集者時代を思う。
 子どもは社会の宝と言いつつ、仕事を始めたい母親にとって、子を預けられない現実は最大のネックだ。
 イギリスの人々の細切れに働くワークシェアリングは「イギリス式 年収200万円でゆたかに暮らす」(講談社)などで何度か紹介した。
 思えば、彼女たちは子育てを終えた中高年だった。彼女達は庭仕事、掃除などヘルパー的仕事をしては小銭を得ていた。
 ならば、社会経験豊富な子育てを終えた日本の女性も、待機児童や高齢者の面倒を見て賃金を得るしくみは作れないのか。
 責任の重い仕事だけに煩わしさも伴うだろう。けれど、世の中の需要と供給をうまくつなげば、必ずお金は流れるはずだ。
 人材が適材適所に流れないがための格差増大。人手が余っているのに人材不足の業界は、空き家があるのに家のない人々を彷彿させる。

12月某日

 新刊「老朽マンションの奇跡」(新潮社)へのインタビューが続いている。新宿の編集部と吉祥寺の「明星ハイツ」を行き来する私のもとに社員の「ハヤト君」から連絡が入る。私がスタジオで育てていた白バラが枯れそうだという。栄養剤を入れたが効かないのだそう。
 1年前、足の踏み場もなく散らかった部屋の住人だった彼は、アパートに帰るたび「早くどこかに出かけたい」と、落ち着かなかったとか。今では週末の朝、ベランダから走る中央線を眺めつつ、コーヒーを飲むのが楽しみだという。本当に良かった。これからも機会があれば、住む楽しさに満たされる家を造ろう。
 アパート経営に行き詰まっているオーナー様方や不動産業者様からもメールやお電話をいただいている。リフォームのご相談は想像以上に多く、てんてこまい。担当編集者の秋山氏より連絡が入り、増刷が決まったと聞く。嬉しい。
 読者様のメールはプリントアウトして、お手紙は専用の引き出しにとっておく。あとで読み返すと、企画のヒントにつながるし、へこたれた時元気が出るから。

12月某日

 ここ数ヶ月、明け方になると目が覚める。ついに更年期障害が始まったかと、行きつけのレディスクリニックで相談したが、ホルモンのバランスは問題なし。つけっ放しのテレビ、もしくは読書ライトのせいだろうか。
 目覚めて再び眠れればいいのだけど、徐々に頭は冴え始め、心配事や煩わしいことばかりが亡霊のように浮かび、考え始めると眠れなくなる。昼間、せかされている時は無我夢中だが、明け方一人で考え出すと悲観的になるのはなぜだろう。
 たとえば政権交代で驚くばかりの政官癒着が引きはがされようとしているのに、鳩山資金疑惑が浮上した。細川政権の二の舞にならぬよう、どうかしばらくは生かしてほしい。ここまで役人の暴利が暴露された以上、昔に戻るのは絶対に嫌だ。
 ぐっすり眠っていい時にあえて案件を並べたてて、不安の種をまき散らす自分。そんな時は、枕元に積み上げた読みかけの本の中から、気分に合うものを引っ張り出し、数ページ読んでみる。
 通勤電車での覚醒した読書は最高の愉しみだが、明け方のもうろう読書は、自分の心細さを封じ込める最高の一手だ。
 最近では「早わかり近現代史」(PHP研究所)、「詩人たちのロンドン」パディ・キッチン著(朝日新聞社)に加え、自分の著作も拾い読みしている。
 私の場合、時間が経つと書いた文章がほとんど頭から消えるため、自著でも一読者として楽しめる。
 音楽のサビを繰り返し聴くように、好きなパーツは何度も読む。そうするうちに暗闇が少しずつ白々と明るくなる。鳥のさえずりが聞こえ始め、読書による安らぎと布団の暖かさですっかり落ち着いてくる。
 外は刺すような冷気に違いない。すると別な事が気になってくる。こんな瞬間、路上に暮らす人たちはどうやって暖を取っているのだろうか。ここまでくると、今度はこのぬくもりを申し訳なく思う。多くの労働者に炊き出しを続ける山谷教会(伝道所)、失業した人々を支えるもやいの会、年末にはまた米を届けなければと、自分ができるいくつかのことを数え上げて一日の始まりを迎える。
 もうすぐメリークリスマス。そしてハッピーニューイヤーだ。
 今年一年も、良き仕事ができました。MPや著作を読んで下さった方々に支えられました。ありがとうございます。そして、皆様の来たる1年にたくさんの幸せが詰まっていますように。

中島啓江さんとラジオスタジオで


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