ヒットの予感!! 2017


イギリス生活情報誌 
月刊
ミスター・パートナー
〒160-0022
東京都新宿区新宿
2-15-2岩本和裁ビル5F
TEL.03-3352-8107
FAX.03-3352-8605
左中:両端には猫用の階段。上の方は、ネコちゃんが歩けるようになっている。

章総合建設事務所
代表 川又章氏
徳島県出身。父親が大工職人で、その影響から高校は建築科で学ぶ。警察官を志した時期もあったが、阪神淡路大震災を経験したことで建設業界に入ることを決意、卒業後、徳島県の中堅建設会社に入社し、現場監督も務めたが倒産。それを受けて独立し、2013年、「章総合建設事務所」設立。
建築に光る発想力と技術力
資格が裏付ける豊かな才能


VEで価値の最大化を追求
旺盛な知識吸収意欲と努力

 徳島県阿波市を拠点に建築、リフォーム、改装、改修を手掛ける『章総合建設事務所』の代表の川又章さんは、多彩な才能を生かすマルチタレントのような建築家だ。建築関係の資格を多数持ち、豊富な経験、深い知見、豊かな発想力、高い技術力、幅広い人脈を生かし、相談、受注、工事手配、施工管理に止まらず、土地探し、登記や法的手続、工事費など資金に関するマネジメント、家財道具や家電製品の調達に関する相談までワンストップで対応する体制を構築、社名にある「総合」がその実力をずばり示す。文字通り看板に偽りなしの建設事務所だ。
 ホームページに、一匹のネコちゃんが気持ちよさそうに寝そべっている写真が載っている。川又さんが「コンセプトハウス」として設計を手掛けた「猫と共生するお家」に満足しているかのようなイメージ写真。徳島県板野郡北島町で建てたその家は2階建て。1階の天井に当たる空間にペット専用のスペースを設け、上り下りの通り道も設けたユニークな構造だ。部屋の隅にトイレを置いて放し飼いするよりも衛生的に管理できる。ペットを飼うことで起きる課題を考えながら、工夫を重ねて設計した、人とペットが楽しく共生できる新発想の家。「コンセプトハウス」は、川又さんの発想の豊かさの象徴だ。
「建築会社や工務店、設計事務所などに問い合わせしたけど、予算が合わない、技術的に要望に沿えないなどと断られ、思い描いた新築住宅の夢を諦めそうになったケースでも、相談していただければ、私は決して諦めません。あの手この手、どんな手を使ってでも希望を叶えるべく、いっしょになって可能な限り知恵を振りしぼり、夢を実現させます。往生際が悪いのが当社の特長です」
 川又さんは、経営手法の一つ、米国で開発されたバリューエンジニアリング(Value Engineering)を研究、製品やサービスの価値を、それが果たすべき機能とそのためにかけるコストとの関係で把握し、 システム化された手順によって価値の向上をはかるこの手法を建築で生かす道を追求してきた。往生際の悪さは、裏返せばこの手法の実践だ。VEに生かされるのが、資格に裏付けられた技術力と知識。
 一級建築施工管理技士、二級建築士、一級土木施工管理技士、応急危険度判定士、二級電気施工管理技士、乙種第一・四類危険物取扱者、第二種電気工事士、ブロック塀診断士、大型特殊自動車免許。川又さんが持つ資格の一端だ。一級建築施工管理技士の国家資格を取るには環境工学、構造力学、躯体工事、建築材料などの建築学、施工計画、工程管理、品質管理、安全管理などの施工管理法、建築基準法や労働基準法、消防法などの法規ついての知識が求められる。
 大工職人の父親の背中を見て育った川又さんは、1995年の阪神・淡路大震災の際、多くの住宅が倒壊して人命が奪われる光景を見て、建設業界に進むことを決め、建設会社に入社。現場監督などの経験を重ね、設計や図面製作の技術も修得したが、会社が倒産、独立した。
「建設会社在籍中も、独立してからも、仕事に必要な知識、技術は徹底的に身に付けようと勉強しました。資格取得のために、夜遅く現場から帰ったあとも勉強し、徹夜は当たり前でした。その努力があって多くの資格を取ることができたと思っています」
 弛まぬ努力が建築のプロとしての総合力を生み出す原動力だ。

章総合建設事務所
TEL:088-695-2156  FAX:088-695-2146 Eメール:sho-ken.a@feel.ocn.ne.jp
ホームページ http://www.a-ken.net/

株式会社 マツケン
代表取締役 松本英孝氏
24歳で大工として独立。バブル景気後の厳しい状況で一度閉業したが、リフォーム会社に転身、『株式会社マツケン』の設立に成功。住宅建築では解体から基礎、設備など各工程は専門業者が担当するのが一般的だが、同社には多才な技術をあわせ持つ優秀な職人が揃っているので一貫して対応することができる。
家づくりならお任せの
オールマイティ集団


専門性の高いスタッフだからできる
新築注文住宅からメンテナンスまで

 福島県いわき市を中心に、住宅の建築・リフォームを中心に、水道・電気・板金などまるで家の総合商社のごとく幅広い業務を展開する『マツケン』。個別の業務でも請け負ってくれるが、新築の場合、長くその住宅に付き合ってくれるメリットは大きい。なによりも建てた会社だからこそ、その家をよく知っている。まるでかかりつけのお医者さんのように、補修やリフォームなどで家のことならなんでもつきあってくれるのだ。
「家は建ててそれで終わりではありません、何年かごとに屋根や水回りリフォームなどの手を入れてこそ、長く住めるものなのです。また、ライフスタイルの変化によっても家に手を入れて住みやすくしたいものです。例えばお子様の巣立ちなどで部屋がいらなくなるのであれば、2階建てを平屋に減築するという選択もありでしょう」と、『マツケン』代表取締役の松本英孝さんは言う。
 こうした家づくりは、その家族にとって大きな事業であるから大きな決断がいる。総合的に家づくりを支えてくれる『マツケン』は、これまで多くの家族に安全と安心を与えてきた。
「家づくりはお客様の大事な夢。理想の新築住宅の形を実現させるのが私たちの仕事。弊社には、住みやすい住宅をご提供する為の長い経験と実績の蓄積があります。まず家づくりの前に、お客様のご要望に合った新築パース外観、間取り、イメージプラン等を提供しているのですが、出来上がりをイメージしやすいと好評です。また、設計・施工・監理まで社内で一元管理していることでコストも下がり、さらにお客様の安心につながっているのではないでしょうか」
 それぞれの家族に合わせる注文住宅には、同じ建物はないだろう。『マツケン』は、その家族と一緒に特別な家づくりを行っているのだ。(ライター/田中一郎)

株式会社 マツケン
TEL:0246-62-6175 FAX:0246-62-6175
ホームページ http://www.matsu-ken.com/

空き家・空室問題は、大家だけでなく、まちの安全や衰退への影響も。小さいながらも、社会への貢献も考えて活動。建築はもちろん、地域の将来へのアドバイスも。

右下:代表取締役 上村允郎 氏
鹿児島県・屋久島出身。高校までを屋久島で過ごし、大学進学のために大阪に移住。卒業後、大阪の建築事務所に就職、転職を経て大規模修繕工事の仕事に出会う。その分野での経験を積み、独立して2012年に『K15建築設計事務所』を設立。マンション管理基礎セミナーなどで講演も行う。
空き家問題は、大家さんはもちろんのこと建物の倒壊、まちの安全や衰退への影響も空き家問題に取り組み、対策を提案して大家さんの収益だけでなく地域にも貢献


増え続ける空室問題を解決するのも
使命と考える設計事務所

 創造と技術のちいさなふしぎな会社が、大阪市にある『K15建築設計事務所』。建築から街づくりまで総合的に携わる設計事務所として、少しでも社会に貢献したいと考えながら活動している。近年、取り組んでいる課題のひとつが、全国で増加している空き家問題だ。
空き家の増大は、まちの景観を悪化させるだけでなく、崩壊に危険や犯罪を誘発。荒涼とした街並みが広がると、住民の流出はさらに加速し、地域社会の崩壊にもつながるため、ますます見過ごせない問題としてクローズアップされつつある。
 空き家には主に「個人住宅」「賃貸マンション(店舗、事務所等)」「分譲マンション(店舗、事務所等)」があり、すべてを2つに大別することができる。まず1つは、重大な「問題のない物件」。賃貸・売却用に建てたものの需要を見誤り、入居者が見つかるまで一時的に空き家になっているもので、別荘もここに含めることができる。もう1つは、正直いって「深刻な物件」。単身の高齢者が施設に入ったり、亡くなったりして管理が行き届かなくなったケースで、詳細な分類が難しいものを含め、そのような「放置された空き家」は、全国に約318万戸を数えるといわれている。
 この問題を考えるため、空き家はどのくらい増えているかに注目する必要がある。まず、ここでは空き家を4つに分類する。第1に「二次的住宅(常時住んでいないが使っている)」、第2に「賃貸用住宅(貸したいのに借り手がいない)」、第3に「売却用住宅(売りたいのに買い手がいない)」、最後に「その他(用途がなく使われていないか分類不能)」が挙げられる。この中で明らかに問題とされるのが、最後の「その他」に分類される空き家。これには、たとえば介護施設への入所で空き家になっている場合や、所有者が亡くなって空き家になっている場合を含む。総務省統計局では5年ごとに、住宅・土地の統計調査を公表しており、その推移を知ることで空き家がどのくらい増えているかを知ることができる。それによれば、空き家率の推移、つまり全国の空き家率は増加の一途で、2013(平成25)年では空き家数が約820万戸、空き家率は13・5%となった。これはその5年前に比べると、空き家数は約63万戸の上昇、空き家率は0・4%の上昇となる。
 個々に目を向けていくと、「個人住宅の空き家」にも深刻な点がある。個人住宅はそもそも収益を生む建物ではないので、よほど切羽詰まった問題が起きない限り、深刻に考えないことが少なくない。私的財産である住宅は本来、所有者が責任をもって管理すべきものだが、地域の安心・安全に関係するため、条例を定めて独自の対策を進めるなど、今後ますます自治体の関わりが必要だろう。また、空き家対策について、大家が知っておくべきなのが「空き家対策特別措置法」。空き家をそのまま放置しておくと、確実に固定資産税が6倍になってしまうので、買い手を見つけて売却を進める大家も増えている。
 現状、空き家問題は一戸建てが中心となっているが近い将来、深刻化が予想されているのが分譲マンション。建物の老朽化や区分所有者の空室化が進み、スラム化するマンショが大量発生したり、老朽化や空室の増加によって管理不能になったり、売却も建替も困難になったりする危惧が予想される。また、賃貸マンションについても空き家問題を耳にすることが少なくない。金融緩和や相続税対策などの理由から、不動産投資を始めたはいいが、空室問題に頭を悩ませている大家も数多くいるだろう。そのように空室になる原因のひとつとして、管理会社の賃貸募集ノウハウが豊富でないことも考えられる。K15建築設計事務所は、建築から街づくりまでトータルに携わっているさまざまなノウハウや豊富な実績を持っている。不動産運営や賃貸募集に関する知識やネットワークも有しているので、空室問題を抱えているなら気軽に相談してみるのもいいだろう。

株式会社 K15建築設計事務所
TEL:06-6809-4303 FAX:06-6809-4304
ホームページ http://www.kei-ichigo.com/

長谷川潮
1963年生まれ。法政大学卒。大学でマルクス主義を学んでいた時、ノーメンクラツーラ「ソビエトの赤い貴族」や中国の文化大革命の告発本を読んで、世の中には、言っていることとやっていることが違う人が多いと知る。卒業後、家業の会社経営に参加して現在に至る。
「声なき声」が政治に影響を与える
「混沌とした世界」が到来


 トランプ氏が、大統領選挙に勝利した理由は「声なき声」がインターネットによって解放されたからであると思います。既存政治勢力とメディアが扇動していた「世論」によって「蓋」をされていた米国人の「声なき声」=「隠れトランプ」が、「蓋」を吹き飛ばして爆発したのが2016年の大統領選挙の結果でありました。
 日本においても「ネトウヨ」ネット世論に攻撃されている花形言論人が、状況を理解できずに右往左往しています。鳥越俊太郎氏が自分が立候補すれば都民が票を入れてくれると勘違いしたこともその一例です。
 欧米でも日本でも、現実世界は進歩派を自称する学者、文化人、ジャーナリスト、一部の政治家、官僚の(自称進歩的文化人)の皆さんが「ポピュリズム=衆愚政治」と蔑む状況に向かって進んでいます。
 これは一体なぜでしょうか。
 それは、インターネットが普及するまでは、社会を統べる「接着剤」の役割を果たしていたのが、自由・平等・博愛など、誰もが否定できない「綺麗ごと」だったからです。
 ですから、その頃はマクロの立場で知識と論理、言葉を使って机上の空論を振り回している人達が世論をリードできていたのです。そこにインターネットの普及によってミクロの世界に生きる一般の人達が自称進歩的文化人の主張する「綺麗ごと」に不満を持っているのは自分だけではないと気付いて行動をおこしているのが「現在」だと思います。例えば、日本では「彼ら」は今も憲法9条を守れと言っています。けれど、1952年竹島を韓国に奪われた時に憲法9条では国民が守れないと証明されています。あの時憲法9条ゆえに、韓国は安心して攻めてきて、漁船328隻が拿捕され、漁民3929人が拉致され日本人44人が虐殺されました。もし憲法9条がなかったら、後の報復を恐れて攻め込まれることは無かったかもしれません。私には竹島の悲劇よって失われた44人の命に言及せずに、「彼ら」が新聞・テレビで「憲法9条」「人権」「平和」など耳障りのいい言葉を並べてナルシスティックに「世論を扇動」している神経が正直言うと理解できません。昨年のオバマ大統領の広島訪問時の報道にも違和感を覚えました。この時、日本政府も被爆者の皆さんも「謝罪」を求めませんでした。けれど日米の報道では「謝罪」が取りざたされていました。私自身は「謝罪」は失礼だと思っていました。なぜなら、オバマ大統領には謝罪する「権利」がないからです。つまり「昔、ホワイトハウスに住んでいた人が原爆を落としました。私は、今その家に住んでいるので謝ります。過去を忘れて無かったことにしてください」と米国大統領に「謝罪」されて無回答ということもできませんから、彼の「謝罪」は当然こういう意味合いになります。
 原爆で妹さんを亡くした野球解説者の張本勲さんが「絶対に許せない。けれど、謝罪はいらない」という意味のことをおっしゃったのが今も耳に残ります。原爆計画を推進していたのは、ルーズベルト元大統領でした。投下を承認したのはトルーマン元大統領で、現場で指揮したのはグローブス将軍です。私は彼らが原爆投下をどのように考えていたかは知りません。戦争終結を促し、米軍兵士の犠牲を防ぐ目的も当然あったでしょう。けれど目的は1つとは限りません。放射能が爆心地に残り続けてより沢山の人達を殺せるように周囲を山で囲まれた地形が探され、第一目標は「京都」、第二目標は「広島」以下、「小倉」、「新潟」への投下が計画されました。ですから「広島」「長崎」が投下地になったのは(その日の天候が許す限りで)、より多数の民間人を、殺傷するためだと考えます。私たち日本人は「誰が」原爆を落としたのかを知っています。だから、「関係のない人」には謝ってもらいたくないのです。
 また、米国には戦後70年を過ぎても「原爆投下は、正当か否か」の世論調査を繰り返している人達がいます。それに何か意味があるのか私には解りません。私は日本人ですから「正当だった」と聞けば「お前達など死んで当然だったのだ」と言われているようで憤りを感じます。「不当だった」と聞けば「被爆で苦しむ必要はなかったのだ」と言われているようで、とても悲しくなるのです。フーバー元大統領が「原爆投下は米国の良心を苦しめ続けるだろう」と書き記したそうですが、私には「米国の良心」を追及しているつもりの見当はずれの薄っぺらな正義感によって世論調査がなされてるように思えてなりません。
 本来米国の言論人が追求すべきは「なぜ、議会も一般の米国人も知らぬ間に唯一の原爆投下国の重荷を負わなければならなくなったのか」ということではないでしょうか。私は、70年以上前の原爆投下の是非を問われ続けても苦情を言わない全く無関係の米国人の姿を見ると「案外米国人も忍耐強いんだな」といつも感心してしまいます。日本人記者がイタビューをしているのをテレビで見ると「恥ずかしいから、やめてくれ」と言いたくなります。でも、やっぱり「いい加減にしてくれ」と内心思っていた人も多いのではないでしょうか。「被爆者には同情している。けれど、原爆を投下しない過去に戻すことはできない。悪いと思っているのなら、お前が個人的に謝れよ。自分にはどうすることもできない」。
「慰安婦問題」にうんざりしている私には、それが戦後生まれ米国人の「本音」で当然だと思います。そんな様々な口に出せなかった「本音」がインターネットの世界で解き放たれて現実世界でトランプ氏「勝利」を実現させたのです。「今」これからは混沌とした世界が現れてくるでしょう。仏革命前夜、今日食べる物を求めてデモをしていた民衆に「パンがなければ、お菓子を食べればいい」と言い放った王妃マリーアントワネットのようにいつのまにか現実と遊離していたエリートの空想的国際協調論が霧散して、仏革命後のように混沌とした世界がやってくると思います。

「混沌とした世界」で進む道
 トランプ大統領の米国は予想がつきません。彼のこれまでの言動や数社の会社を倒産させていながら自分は大富豪でありえた「業績」を考えれば、同盟国としての誠実な友情や忠誠心よりも知恵の力を総動員して国家運営をしていく必要を感じます。

①中国とはほどよく「冷たい友好」を
 これから中国は経済破綻が表に出てくる状況なので、中国は甘言をもって接近してくるはずです。中国の状況を好転させるには日本の民間企業の技術と資本が必要です。また、それに成功すれば中国共産党の手柄にして国内の不満を縮小して共産党の延命に寄与させることができます。けれど、これはトランプ大統領の歓心を得る事にはならないかもしれません。また、国際法を無視する中国が国際的な発言力を増していけば、ただでさえ混乱している国際社会が一層複雑怪奇になっていくだけです。「尖閣諸島に攻め込むのは得策ではない」と、中国共産党が考える程度の静かな援助を再開して「冷たい友好」を維持する理性が肝要です。

②米国からの独立への道
 米国の軍事費を減少させても世界の信望を失わないという、トランプ大統領の「米国ファースト」を実現させる手段としては日本が北大西洋条約機構に加入するという方法があります。日本にとっての日米安保条約は有事保険です。平時の日本防衛(国籍不明機へのスクランブル発進や領海内の警備行動)は自衛隊と海上保安庁が行っているので日本にとっての有事保険が北大西洋条約機構に代わっても日本の防衛力は減退しません。翻って、米国にとっての日米安全保障条約は米国が世界の警察の役割を果たす上での手段でした。米軍は日本の援助をうけて米国の威信と防衛のために自由に日本の基地を使用していました。勿論、有事には日本を防衛することになっています。けれど、米国に戦いを挑む国は1941年の日本位でしょうから、有事戦闘義務は平時に「日本に攻め込む奴らには俺たちが相手をする」と威嚇していれば果たせます。つまり米国にとっての日米安保条約の実体は資金援助も受けられる基地用地の借り上げ条約なのです。
 この条約に文句を言っている米国人は、ただ、条約の実体を知らないだけだと思いますがこの際、北大西洋条約機構に加盟して米国から独立する第一歩を踏み出せればと思います。平時の日本防衛の任務を持たない在日米軍を減らして予算を欧州駐留米軍が使えるようにすれば同盟国全体の利益になります。ただし、在日米軍基地と日本の予算を使ってホルムズ海峡までを行動範囲にしていた米国第7艦隊と世界の空を自由に飛行していた米国空軍は面白くないかもしれません。結局は、日米安全保障条約は継続かもしれませんが横田空域の返還を勝ち取れば日本経済に有益です。
 いずれにしても「中国から干渉されず」、「米国の戦争に巻き込まれない」、目先の実利を求めるトランプ大統領の誕生で北大西洋条約機構へ手を差し伸べることが可能になったんではないでしょうか。
 最後に絶対にしてはならないのは中国との熱い友好です。日中友好が時間をおいて日中ロ印同盟を生みだし、欧米の同盟と対峙してしまったら世界は人種による対立の世界となります。かつての植民地支配の恨みを蘇らせる世界になってしまいます。日英同盟を失った日本は国際社会の中で漂流してナチスドイツと同盟してしまいました。温故知新を心に刻みトランプ大統領に何を言われても、何をされてもそれによって経済危機に陥っても、知恵と勇気と忍耐力を総動員して理性を保ち続けなくてはなりません。また、これから欧州がどうなるかは解りませんが欧州にも「理性を保つ国が残る」と私は信じています。

長谷川潮

上:2006年式メルセデス・ベンツE350 ワゴン アバンギャルド
下左:2008年式メルセデス・ベンツAMG S65ロング
下右:1990年式メルセデス・ベンツ 560SEC

営業時間/10:00~19:00 定休日/月曜日
ドイツ車中心に愛車家垂涎の名車セレクト
査定に生きる輸入車セールスの豊かな経験


輸入車人気の時代の流れ予測
車の特性を説明し選択に助言

 輸入車販売最大手ヤナセでトップセールスマンとして活躍した元営業マンが経営する中古輸入車会社が横浜市にある。『EU・CAR'S』。代表の松添清さんがその伝説の人物。ヤナセで営業一筋に30年、退職するまでの総販売台数は1407台にのぼり、その記録はいまだに破られていないという凄腕だ。その実績の中で培った選択眼でセレクトしたドイツ車を中心に高品質の輸入車が販売リストに並ぶ。
「当社独自のネットワークを駆使し、全国の会員制オートオークション、正規輸入車ディーラー様などを飛び回って、人気の高い高品質の車を仕入れています。特にドイツ車には惚れ込んでいます。非常に頑丈な作りをしていて、安全性がとても高いのです」
松添さんは市販車をベースにしたツーリングカーで争われるドイツ独自のレースDTMが行われていたころ、レース系のブランド、メルセデスAMGの工場でエンジンテストなどを見学し、性能の高さを目の当たりにした経験も持つ。また、ドイツの衝突安全基準は世界最高峰で、約半分が速度無制限の有名な高速道路アウトバーンを走ることを想定して造られ、ボディの剛性やサスペンション、ブレーキなどの足回りも高レベルな設計がされているという。
 松添さんが独立して会社を立ち上げたのは2009年、53歳のとき。「磯子ショールーム」も開設し、順調に業績を伸ばしている。
「国産車から輸入車に乗り換えるのは勇気の要ること。その判断に役立つよう安全性などの特性、魅力を詳しく説明しています。これからもお客様憧れの高品質の車をセレクトしていきたいと思っています」

EU・CAR'S
TEL:045-625-6988 FAX:045-512-5686 Eメール:modenaf1r107r129@nifty.com
ホームページ http://www.eucars.jp/

①石の鳥居 ②扁額 ③極楽門 ④チャクラ ⑤西重門
⑥回廊 ⑦東重門 ⑧猫の門の猫 ⑨五重塔と金堂
⑩金堂ととまり木 ⑪ポンポン石 ⑫引導石
⑬布袋堂 ⑭絵馬 ⑮阿弥陀堂 ⑯万灯院 ⑰仁王門
⑱南大門 ⑲南鐘堂 ⑳番匠堂 ㉑亀井堂 ㉒太鼓楼
㉓亀の池 ㉔石舞台と六時堂 ㉕北鐘堂 ㉖大黒堂
㉗元三大師堂
株式会社 GNR
代表取締役 千田明氏
「株式会社ミライト」で通信工事の施工管理に従事。東営業所所長、EGW工事部長、取締役などの役職を歴任。退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。
電気通信工事のプロの飽くなき探求心
東海道五十七次の歴史を辿る旅・四天王寺 [特別編]

 大阪府大阪市で電気通信設備工事業を手掛ける『株式会社GNR』の代表千田明さんは、歴史への造詣が深く、中でも以前の勤務先していた大阪市中央区北浜に、東海道五十七次の起点とされる高麗橋があったことから、その道程をエンジニアらしい探究心で詳細に辿っている。すでに大阪から下って五十四次の伏見宿までを他所で紹介しているが、今回は以前たどった天王寺七坂の7番目、逢坂(おうさか)を登り切ったところに建つ四天王寺についてご紹介する。
「四天王寺は、聖徳太子が建立した七大寺の一つとされ、山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くぜかんのんぼさつ)です。宗派は真言宗、天台宗に属していた時期もありましたが、元来既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に『和宗』の総本山として独立しています。
『日本書紀』によれば、物部守屋(もののべのもりや)と曽我馬子(そがのうまこ)との戦いで、蘇我氏についた聖徳太子が戦況不利となった時、仏法守護の神である四天王の像を彫り、この戦争に勝利することができたら、四天王を安置する寺院をお造りし、この世の全ての人々を救済すると祈願したところ、物部守屋は流れ矢に当たり、物部軍は総崩れとなりました。戦いの後、すぐに着工できませんでしたが、さしあたり森ノ宮公園付近の物部氏の邸宅を四天王寺としました。6年後の推古元年(593年)に難波(なにわ)の荒陵(あらはか)の池が埋められ造営されました。伽藍は、小学校の教科書にも出てくる四天王寺様式といわれ、南から南大門・中門・五重塔・金堂・講堂が一直線に建立されています。
 四天王寺が創建されたのは、中国が隋により統一された時期であり、また朝鮮半島も百済・新羅が不安定な情勢にありました。そのため、対外的にも難波に着く船からも遠望でき、交通の要所であった上本町台地に国の威信をかけて建立されたものと思われます。四天王寺は何度も落雷・戦火に会いそのたびに再建されましたが、現在の堂塔は戦前、室戸台風と大阪空襲で壊滅的な打撃を受けた後に建立された鉄筋コンクリート製の堂塔です。法隆寺のように1400年の歴史があるものではありませんが、基壇は昔の位置のままであり、外観は建物を火災から守るといわれる鴟尾(しび)のある瓦屋根、柱はエンタシスで、往時の美しさが再現されているように思われます。五重塔全体の3分の1の高さがある相輪(そうりん)や水煙(すいえん)も黄金色に輝いています。
 四天王寺は日本で初めての官寺であり、聖徳太子の遺徳を偲び感慨無量です。当時の日本人の思想は、天孫降臨思想の神を祀らねばならない立場でありながら、国内統一のため最先端の仏教を取り入れなければならず、苦難の道を強いられたと思います。この時より日本人の宗教観が現在のようになったように思もわれます。しかし、四天王寺は敬田院(高等教育・人材育成の場)、施薬院(薬草を作り病人に与える。現在の愛染堂付近)、療病院(病気治療の場)、悲田院(孤児・高齢者などの救済施設。現在悲田院町の地名が残っている)が作られ、仏教の慈悲の精神に基づく一大福祉センターでもありました。それは行基・光明皇后など各時代の慈悲ある人々に受け継がれました。その精神は明治維新の 教育水準の高さにも引き継がれ、近代化が他国より早く進んだ一因と思われます。
それでは四天王寺のご案内したいと思います。境内に入るには南大門ではなく、現在は西の大門(松下幸之助氏が寄進した極楽門)が主に使われています。国道25号線の正面に石の鳥居①があります(お寺なのになぜと思われますが、元々はインドで結界を示すものらしい)。鳥居に掲げられた扁額(へんがく)②は、弘法大師または小野道風の筆になると言われ、聖徳太子の四天王寺縁起の一部から『釈迦如来、転法輪処、当極楽土、東門中心(この地は釈迦如来が現れ説教された中心地)』と書かれています。扁額の下部には縁が無く、全ての衆生(しゅじょう=生きとし生けるもの)を、塵取りのように洩れなく救うという意味を込めて、箕(み)のようになっています。現在の額はレプリカですが、宝物殿には古い額が展示されており、実物の大きさを感じることができます。鳥居は、厳島神社の木造(楠)の門、吉野の金峯山の銅(かね)の門とともに、日本三鳥居の一つである石の鳥居で、重要文化財になっています。
 石の鳥居をくぐり、まっすぐ極楽門③に向かいます。極楽門にはチヤラク④という車輪のような物が左右4個あります。この車輪は転法輪といい、回すことにより御釈迦様に仏法を教えて下さいという意味が込められているそうです。正面の南大門ではなく西側の極楽門が重視されている理由は、官寺である四天王寺が、律令制がくずれ荘園制に移行する中で、天台仏教を取り入れ、末法思想による浄土信仰、西方浄土を望む思想により、瀬戸内海を一望でき、西方に沈む夕日を眺められる極楽門が一番大事な門とされてからだと思われます。
 西重門⑤をくぐり境内に入る時に、右手を見ると伽藍を囲むように回廊⑥があり、その素晴らしさに目を見張ります。回廊づたいに東側へ廻ると東重門⑦に出ます。東重門からは太子殿、八角形の奥殿と猫の門を見ることができます。猫の門に彫られた猫⑧は左甚五郎の作で、大晦日と元旦には日光東照宮の猫と鳴き合ったそうです。また、経堂の経文を鼠から守る役目なのに、夜な夜なミナミの歓楽地に遊びに行くので、以前は網を掛けられていたそうです。戦後再建された門の猫は、元気がないのか、まだ子どもなのか網はありません。
 東重門の足元に1400年前の排水溝の遺構を見ることができます。そのまま先の講堂は、現在工事中で見学できないため、ここで西を眺めると左手に五重塔、右手に金堂⑨を望むことができます。五重の塔は北側に入口があり、帝釈天・四天王を安置しています。最上階には仏舎利(お釈迦様の遺骨や遺灰を分けられたもの)が安置されています。金堂は南向きにお参りできるようになっており、聖徳太子の本地仏である救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)が祀られ、四方を四天王が守っています。金堂の東側をじっくり見ると緑色の止まり木⑩があります。これは啄木鳥(きつつき)になってお堂を荒らす物部守屋を追い払うために、鷹になった聖徳太子が止まったそうです。金堂の西側、西重門付近には龍(たつ)の井戸があります。元々荒陵(あらはか)の池には青龍が住むと言われ、竜宮に繋がると言われていました。荒陵の池を埋め立てて四天王寺を建立しているため、青龍の出入り口として井戸を作ったのでしょうか。覗くと青龍が見えるそうです。もっとも、それは天井の青龍の絵が写っているからだそうです。
 次に西重門から出て石の鳥居付近に戻り、俗信とも思われる堂塔をご案内します。石鳥居の左右にはポンポン石⑪があり、穴の前でポンポンと叩いて耳を当てると、先祖の声が聞こえるそうです。一度試してみてはどうでしょうか。鳥居の南側に引導石⑫があります。昔はここに棺を置いて、北鐘堂の鐘を三度鳴らすと聖徳太子が現れ、彼岸へ導いていただけたそうです。引導石の先には、乳のおんばさんや乳布袋といわれる布袋堂(ほていどう)⑬があり、乳が出ない人には乳を授け、出過ぎの人には乳上げをするそうです。かなった人は、乳を出したユニークなおばさんの絵馬⑭を奉納しています。次に大師堂、阿弥陀堂⑮をお参りしながら、万灯院(かみこ堂)⑯にまいります。万灯院の本尊は、十一面観音菩薩です。前面三臂は慈悲を、側面左右三臂は怒りと悲しみに、背面一臂は笑いの相をしています。此岸の人々を彼岸の世界に導くための相をしています。しかし、そばの五百羅漢の一人、紙衣(かみこ)さんの方が有名になりました。紙の衣を着て難行苦行し、人々に利益を与えようと請願を立てたそうで、お堂前の台を木槌で3回叩いて、体の悪い部分2回叩くと治るといわれ、毎年10月10日に紙衣仏の衣の着せ替え法要が行われ、紙の衣を当ててもらい3年続けると不浄の世話を受けずに往生できるそうです。今も昔も下の世話は誰にもかけたくない参拝者がお参りにこられます。
 万灯院を過ぎると左に仁王門⑰、右に南大門⑱があります。昭和の仏師の手になる仁王像を仰ぎ見ることができ、五重塔と金堂をまた違った角度からくっきりと仰ぎ見ることができます。さらに進むと南鐘堂⑲があり、阿弥陀如来を安置しています。四天王寺には南鐘堂と太鼓楼、北鐘堂があり、年の暮れには除夜の鐘が一斉に鳴り響きます。一年の煩悩の消滅と新年を祝う鐘が一斉に鳴り響くそうです。さらに進むと不浄の者を入れない虎の門のある聖霊院があります。太子殿、奥殿があり、いずれも聖徳太子像を安置しています。経堂、絵堂と守屋の祠があります。
 さらに北に進むと番匠堂⑳があり、曲尺(かねじゃく)を持った太子像が祀られています。大工や左官など建築関係の方のお参りが絶えないようです。その先には亀井堂㉑と不動堂があります。亀井堂は先祖供養をした経木を流すところで、亀の形をした水盤に竜宮から流れるといわれる霊水,亀井の水が絶え間なく流れており、水盤に経木を沈めて浮かび上がると霊が浮かばれたと皆が安心するようです。また、お堂には、聖徳太子が井戸に浮かぶ姿を楊の枝で描かれた楊枝の御影(秘仏)が安置されています。また不動堂には、太子が亀井の井戸に浮かんだ不動明王に感激し、石に刻んだとされる像が安置されています。亀井堂を左に進むと太鼓楼㉒、右手に亀の池㉓、石舞台、六時堂㉔を見渡すことができ、さらに進むと北鐘堂㉕があります。
 北鐘堂は正式名は黄鐘楼(おおしきろう)といわれ、雅楽などの基本で、祇園精舎の鐘の音といわれる黄鐘調の鐘です。四月二十二日の聖徳太子の命日、聖霊会(しょうりょうえ)に石舞台で舞われる、中国の呉から伝わったとされる天王寺舞楽の音の調子を合わしていたと言われています。石舞台では年三回、秦河勝(はたのかわかつ)の子孫である伶人(れいじん)によって天王寺舞楽が舞われ、国の重要無形民俗文化財となっています。石舞台の北側にある六時堂は、一日六回に分けて浄土礼賛の行が行われ、正式には六時礼賛堂といいます。薬師如来が本尊で、縁側には重かる地蔵や病気平癒の撫仏「賓頭盧さん」もあり、ユニークな一面があります。また亀の池は、江戸時代は蓮池として有名だったそうですが、現在は無数の亀が泳いだり日向ぼっこをしています。のんびりとした時の流れに心が和んだところで、まだまだご紹介したいところがたくさんありますが、三面大黒天(右に毘沙門天、左に弁財天の顔を持つ子孫繁栄・商売繁盛の神)の大黒堂㉖、入試合格祈願とおみくじの創始者で有名な元三大師堂㉗を見どころとしてあげて、今回はこれで筆を終わらせていただきます。内容の不備や説明不足、不十分な点につきましては、お許し願えればと思います」。

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