ブームの真相 2017


イギリス生活情報誌 
月刊
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代表取締役・税理士
廣田龍介 氏
福島県出身。製菓会社、税理士事務所勤務を経て、1985年、税理士登録。税理士法人タクトコンサルティングに入社し、不動産を使った相続税対策の資産税に携わる。2011年1月、『エクスプレス・タックス株式会社』代表取締役就任。ケーススタディ方式で易しく解説する講演に定評。

右:「新・相続税は『自宅対策』から始める!」
KADOKAWA/角川マガジンズ刊 1,100円+税

少子高齢化は相続を複雑にしています。分散した相続財産は、少子化で集まり、相続人が少ないと基礎控除が少なく、相続分が大きくなり税率が上がって相続税が増えます。高齢化で相続対策が思うように進まないのが現状です。早めの対策で切り抜けましょう。
土地や現金にかかる相続税を減らす方法
選択肢のメリットを比較し最適解を追求


建替えか住替えかの難問解く
第三の道で相続税額を最少に


 相続税が2015年1月から増税され、基礎控除の金額が改正前より大幅に縮小された。相続対策のスペシャリスト、『エクスプレス・タックス』の代表廣田龍介税理士は「高齢化が加速する時代にあっては、相続の正しい知識に基づく生前対策の重要性が益々大きくなっています」と強調し、的確なアドバイスで最適解を見出した生前対策の一例として、東京都世田谷区に住む72歳のAさんのケースを紹介する。
 Aさんは10年前、両親からの相続で取得した住宅に夫人と住んでいる。建物は築40年、土地は165㎡。2015年、庭で転んで足の骨を折り、階段の上り下りが大変になって、建て替えるか、売却してもっと便利なところに住み替えるか悩んでいた。相続人は夫人と長男、長女の3人。現状の相続税評価額は、自宅の土地・建物で約8千万円。他に金融資産が約2億円。自宅を夫人が相続すると特例を使って約2千万円の評価で金融資産と併せて2億2千万円に対する相続税は配偶者控除前で総額約3200万円だ。とりあえず納税や財産分けに問題はありませんでしたが、もう一歩踏み込んで、自宅を活用する対策を考えました」
 1つは、自宅敷地の有効活用で賃貸併用のマンション建築する方法と2つ目は自宅を売却して資産の組換えだ。
 1つ目のマンション建築費の見積額は約2億円。金融資産を全部使うことになるが、生まれ育ったこの場所と老後の生活資金の収入源は確保できる。この対策による相続税評価額は土地・建物合計で約1億3千万円。相続税額は約1千百万円。
 2つ目の自宅の組換えでは、自宅を約1億円で売却して便利の良い駅近くの高層マンションを2戸。子供達2人に1戸ずつ残せる。自宅売却で仲介手数料等の譲渡経費と譲渡税を支払って、手取額は約8千8百万円。1戸約1億円を2戸購入しても資金は残る。1戸は貸家として運用すると、相続税評価額は約1億3千万円とマンション建築プランと変わりがなかった。
 Aさんは悩んだ末に、利便性の高いマンションへの住み替えを選択した。マンションの賃貸経営の不安から、売却や賃貸の安心、安全な資産を子どもたちに残したかったからだ。

エクスプレスタックス 株式会社 廣田龍介税理士事務所
TEL:03-3595-8221 FAX:03-3595-8222


長谷川潮
1963年生まれ。法政大学卒。大学でマルクス主義を学んでいた時、ノーメンクラツーラ「ソビエトの赤い貴族」や中国の文化大革命の告発本を読んで、世の中には、言っていることとやっていることが違う人が多いと知る。卒業後、家業の会社経営に参加して現在に至る。
日本文明を理解しよう

 なぜ、日本は他国に理解されないのか。
 それは、日本的思考が、「キュービズムの思考」であるからだと思います。
 西洋画壇に浮世絵が紹介された時、「見えるもの」ではなく、「心に写るもの」を表現していることに驚いて、印象派を生み出す原動力になりました。そして絵画の天才ピカソは、日本人絵師の視点を解明して「キュービズム」を確立したのだと思います。つまり、ピカソの絵を見てどうしても美しいとは思えないという人が少なくないように二元論的思考方法をとる外国人には、日本人の思想が「読めない」ことが多い為に、「日本異質論」が消えないのです。
 それではなぜ、日本人がキュービズムの思考をするようになったのかといえば、国家の根本原理が「人 皆 心有り(心の自由)」だったからです。これは推古12年(西暦604年)聖徳太子によって、発布された「憲法17条」の「10条」の中の一文であります。時の摂政 聖徳太子は、「憲法17条」で誰もが憧れる国家の理想像を明示したことで、没後1400年 信仰に近い尊崇を集め続けています。明治から昭和まで日本の最高額の紙幣の肖像が聖徳太子であったということは、日本の精神的国父として人々が敬愛し続けてきていることの表れであると思います。
 聖徳太子は14歳の時に、仏教伝来の時から対立していた「仏教派」蘇我氏と「仏教排斥派」物部氏の戦を経験していました。つまり、蘇我氏の「仏教を信じたい心」と物部氏の「伝統を守り 神道を奉じたい心」。その「心」と「心」が対立を生み、終には戦となったことを間近に見ていたのです。だからこそ「心の相違」「意見の相違」によって、戦(悲劇)が繰り返されることがないようにとの願いで「憲法17条」を発布したのだと私は考えています。そして太子は蘇我氏方でしたが、彼には物部氏の「心」も解っていたと思います。そのために争いを生み出す「心の自由」を生かしながら、理想の平和国家への道を描き出したのだと思います。
「憲法17条」では私心を捨てて公に尽くす。勤勉であれ。勧善懲悪。贈収賄の禁止、など「神道の精神」と「仏教の倫理」と「儒教の道徳」を融合して異なる意見の人達が国家としてまとまっていくための方法論が記されています。この中で「1条 和の精神」と「10条 人皆心あり。他人の意見の尊重」「17条 合議の徹底」とが1400年の時の中で融合して、日本人の思考方法をつくりだしました。それは「人は皆それぞれの立場から いろいろな意見 思いをもっている。その意見の相違を認め合って、話し合いによって意見を集約して、少しは不満が残っても 誰も排除することなく 皆で敵対することなく生きて行こうという、」となります。これが発展して「自分の意見はあるけれど、集団の中で 自分の意見が認められるかを無意識のうちに考えて(空気を読んで)集団と自分にとってよりよい意見を発言する」という日本人の言動基準になりました。つまり、日本人は1400年間、相手方の視点にたって、ものを考え続けていたので、その思考が「キュービズム」になっているのです。
 世界の3大宗教の文明圏では、唯一絶対神を信じて従うことで、中華(儒教)文明圏では中華皇帝の仁徳に従う事で国家、文明圏の統一と平和を図ってきました。その為に自分達の「神」「皇帝」を信じて従う人達だけが、善であり他者を「敵」悪と認識して、迫害、抹殺の対象とすることも多々ありました。現在のISもこの心理で行動しています。世界は敵と味方に分かれているのです。ですから「西洋文明」では論理の組み立てで意見を正当化して、「中華文明」では大きな声で相手を打ち負かして、自己増殖しようとします。これに対して日本では長い間、外交交渉の目的が国がそれぞれに「心の自由」をもっている前提で相手国との「和」を育むことすなわち決裂をさけることに置かれていたので、世界一の外交下手な国家であったのです。

長谷川潮

「蜂針療法」「DRTダブルハンドリコイルテクニック」

古田稔 院長
東京都出身。業界歴29年。「DRTダブルハンドリコイルテクニック」認定アドバンスインストラクター。

営業時間/8:30より受付 9:00~20:00(完全予約制) 
定休日/無休
知識と経験に裏打ちされた蜂針療法で実績
背骨調整法など先進的なテクニックも活用


症状に向き合う多角的な視点
改善実感の感謝の言葉相次ぐ


 ミツバチに刺されて、腫れやかゆみに泣く。あの症状は、刺された時、皮膚に入った毒による刺激と蜂針液に対するアレルギーが原因だ。その蜂針液を逆手にとって、治療に生かす「蜂針療法」で実績を重ねている治療院が町田市にある。『整体町田施術院』。古田稔院長の29年の経験で培った達意の施術を求めて体に不調を抱える人たちが訪れる。
 一匹のミツバチには0・1㎎ほどの針液があり、その成分として抗生物質的成分、抗ヒスタミン剤的成分、鎮痛剤的成分を中心に約50種類が確認されているという。ハチを意味するラテン語を冠したアピセラピー、「蜂針療法」は古代エジプト時代から伝わり、血行促進、炎症治癒、疼痛緩和、神経活性化、自律神経調整、自然治癒力の増強などの効果が期待できるとして代替医療の一つに挙げられる。
「初めて蜂針療法を受けたとき、これはすごいと、自分の体で効果を納得しました」。長年、腰痛に苦しんだ古田院長が「蜂針療法」に力を入れるきっかけだった。施術は、ピンセットでミツバチの腹部から蜂針を取り出し、必要部位に刺すだけだが、症状や体質などに合わせて刺す本数や間隔を判断し、蜂針液の量を調節する。院長は、ミツバチを自ら育て、アレルギー反応など異常反応が出た時に備えて著名な医学博士が示した応急処置法も学び、施術経験を重ねた。その知識と経験に裏打ちされた技術が信頼を支える。
 古田院長は、「蜂針療法」に止まらず、手技療法カイロプラクティツクの一種で、両手で背骨を揺らして頸椎のズレを解消し、体の機能を回復させる背骨調整法「DRTダブルハンドリコイルテクニック」や中々緩まない深部筋肉の拘縮までも瞬間的に弛緩させる「筋肉カイロプラクティック」、特殊用具を利用して骨盤の歪みを調整する「ハンマー整体」など様々な先進手法に通じ、対応する症状は幅広い。特に「DRTダブルハンドリコイルテクニック」は、背骨、骨盤、顎関節、頭蓋骨などのバランスを心地よい刺激で調整する画期的なテクニックだ。
 同施術院には身体の様々な痛み、自動車事故の後遺症、O脚やX脚、 スポーツによる体の不調、過度の疲労などの症状を抱えた人たちが数多く訪れる。埼玉県から1時間かけて通っている男性は、病院や他の治療院では改善しなかった激しい腰痛が「蜂針療法」や「DRTダブルハンドリコイルテクニック」で快方に向かったといい、症状改善を実感した人たちからの感謝の言葉が後を絶たない。

整体町田施術院
TEL:042-723-5280 FAX:042-851-8303 Eメール:seitai.38hacchi@gmail.com
ホームページ http://seitai38hacchi.boo.jp/

①口縄坂 ②織田作之助の文学碑 ③藤原家隆の墓
④愛染坂 ⑤大江神社 ⑥勝鬘院愛染堂
⑦多宝塔 ⑧清水坂  ⑨玉出の滝
⑩増井の清水 ⑪天神坂 ⑫真田幸村公の銅像
⑬逢坂 ⑭閻魔堂  ⑮逢坂より四天王寺を臨む

株式会社 GNR
代表取締役 千田明氏
「株式会社ミライト」で通信工事の施工管理に従事。東営業所所長、EGW工事部長、取締役などの役職を歴任。退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。
電気通信工事のプロの飽くなき探求心
東海道五十七次の歴史を辿る旅・七坂を訪ねて②

 大阪府大阪市で電気通信設備工事業を手掛ける『株式会社GNR』の代表千田明さんは、歴史への造詣が深く、中でも以前の勤務先していた大阪市中央区北浜に、東海道五十七次の起点とされる高麗橋があったことから、その道程をエンジニアらしい探究心で詳細に辿っている。すでに大阪から下って五十四次の伏見宿までを他所で紹介しているが、今回は『株式会社GNR』が2016年5月に創立5周年を迎え、事務所を大阪市内に移転登記したことから、事務所から始めて、歴史を辿りながら大阪の町についてご紹介する特別編の後編をお届けする。
 「天王寺七坂を北から辿り、松屋町筋から学園坂を南へ行くと、三番目の口縄坂(くちなわざか)①に出ます。口縄とは、形が朽ちた縄に似ているところから、大阪の古い言葉で蛇のことを言います。案内板によれば、『道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから、この名が付けられた』とありますが、秀吉による大阪城築城の際の縄打口(測量起点)によるとも伝えられています。
 登り切った所に織田作之助の文学碑②があり、小説『木の都』の一節が刻まれています。その昔、坂の途中に女学校があり、登ってくる女子学生に淡い恋心を抱き、遠くから見つめていた主人公の少年時代の情景が感じられます。
 また、近くに鎌倉時代の歌人藤原家隆(ふじわらのいえたか)の墓③と顕彰碑があります。家隆は小倉百人一首にも出ている歌人で、新古今和歌集の選定者です。出家し、浄土教の教えである『日想観(じっそうかん=夕陽の彼方に西国浄土があるとする)』を修するためにこの地に移り住み、住居として『夕陽庵』(せきようあん)を設けたことが夕陽丘の地名の由来と言われています。
 次の坂は愛染坂④です。松屋町筋から登ると大江神社⑤があり、聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その外護として造営された七つの神社のひとつです。登り切ると勝鬘院愛染堂(しょうまんいんあいぜんどう)⑥に至ります。6月30日〜7月2日の愛染まつりが有名です。大阪の祭りは、愛染祭りに始まり天神祭、そして住吉祭りで終わります。昔は北や今里新地の芸者さんでしたが、最近は選ばれた愛染娘が宝恵籠(ほえかご)に乗り、『愛染さんじゃ〝ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ〟、べっぴんさんじゃ〝ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ〟、商売繁盛〝ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ〟と掛け声をかけながら、天王寺駅付近から愛染堂までお参りします。
 ところで『勝鬘(しょうまん)』をどこかで聞いたことがありませんか。聖徳太子が、叔母の推古天皇に講義したのが勝鬘経です。聖徳太子は四天王寺を開かれた時、敬田院、施薬院、療病院、悲田院を作られ、施薬院(薬草を作り病人に与える)が現在の愛染堂です。本堂に愛染明王をお祀りしており、主に良縁成就・夫婦和合の本尊として親しまれています。また、川口松太郎の『愛染かつら』の舞台でもあり、1939年から1976年頃まで、映画やTVで放映されていました。主題歌『旅の夜風』の『花も嵐も踏み越えて、行くは男の生きる道、泣いてくれるな、ほろほろどりよ』の歌詞が自然と湧き出てくるのも年齢を感じます。また、多宝塔⑦は信長に焼き討ちになりましたが、秀吉により再建された大阪市内最古の建造物です。
 次は清水坂(きよみずさか)⑧で大阪唯一、滝のある清水寺の坂で、京都の清水寺より千手観音を勧請し、京の音羽の滝と同様、玉出の滝⑨があります。四天王寺から水が来ているようで、地下鉄谷町線の工事で枯渇しそうになった時、サイホンの原理で水の道を作ったそうです。また、付近には増井の清水⑩があります。大阪は島や埋立地が多く、井戸が海水で使えないため水売りがいました。しかし、この地域は唯一清水の出る所で、大名等が競って井戸を買った所です。
 次は天神坂⑪。菅原道真公を祀る安居天神(やすいてんじん)の北側にある坂なのでこの名前が付きました。真田幸村終焉の地でもあり、境内には幸村公の銅像⑫があります。坂を登ると伶人町(れいにんちょう)があります。四天王寺の雅楽を演じる人の集団が住んでいたと思われます。
 最後は逢坂⑬です。現在は国道25号線になっています。聖徳太子と物部守屋(もののべのもりや)が、仏法について論じた『合邦が辻』があることで有名です。現在は閻魔堂(えんまどう)⑭があります。昔は急坂で、細い道だったと思いますが、現在は拡張されて国道となり、応時の面影はまったくありませんが、東の方を見ると四天王寺⑮の西門が正面に、右手に一心寺(骨仏で有名)が見えます。ここから四天王寺をご案内したいと思いますが、またの機会に紹介するとして、今回はこれで筆を終わらせていただきます」。

株式会社 GNR
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