ビジネスヒットチャート 2016


イギリス生活情報誌 
月刊
ミスター・パートナー
〒160-0022
東京都新宿区新宿
2-15-2岩本和裁ビル5F
TEL.03-3352-8107
FAX.03-3352-8605
左:株式会社 K15建築設計事務所
代表取締役 上村允郎氏
鹿児島県・屋久島出身。高校までを屋久島で過ごし、大学進学のために大阪に移住。卒業後、大阪の建築事務所に就職、転職を経て大規模修繕工事の仕事に出会う。その分野での経験を積み、独立して2012年に『K15建築設計事務所』を設立。マンション管理基礎セミナーなどで講演も行う。
下中:『合資会社ゼンクリエイト』 代表 根津昌彦 氏
既存マンション建替えに
至るまでの様々な難題

『株式会社K15建築設計事務所』代表取締役の上村允郎さんと『合資会社ゼンクリエイト』代表の根津昌彦さんとは、幾つかの物件で建替えを行うか、修繕(耐震診断と耐震補強を含む場合と含まない場合)を行うかのプロジェクトを現在もタイアップで進めている。
 現在進行中の大阪府内の1966年竣工、築50年(旧耐震)、RC造4階建、5棟、96戸の階段室タイプのEV無し団地を建替えるに当たり直面した様々な難題を今回紹介する。
 建替え後のマンション戸数は、倍強の202戸数が計画されている。修繕か建替えかの長期修繕計画を作成し、居住者が最終的に受け取れる金額を詳細に算出しより具体的に示し、何度かの住民説明会後、建替えを総会で承認する予定である。
 我々のプロジェクトの進め方は、デベロッパー(事業主)を先に決めるのではなく、現戸数に対しどれくらいの戸数が上積み出来るか予め基本計画をし、事業計画が成り立つかも想定する。この企画なら事業性が高くデベロッパーに意欲が有ると判断した場合、選ばれた数社のデベロッパーに対しコンペを行い、各社は、我々の基本計画を基に独自の計画案や事業計画を提案し、区分所有者に対しプレゼンを行う。事業計画とは、建築基準法に沿った建築計画(戸数、階数、面積、条例等)、工事費、設計費、販売費用、土地買取費用、利益等を算出し、区分所有者に対し幾らの金額を返戻できるかである。また、高齢者向けのローン返済計画や工事期間中の住居斡旋等も提案される。
(建設費+設計費+販売費用+デベロッパー利益+α)|総戸数販売費用+α=区分所有者への返戻金(土地売買代金に相当)
 従って返戻金の額は、場所(駅近で敷地が広い)、法的規制、近隣環境等によりデベロッパーの興味度が異なり、事業性が高ければ返戻金もおのずと高くなる。
 区分所有者は、この金額が多ければ多いに越した事はないが、しかし、ここで一つ目の問題が表出する。建替えマンションに戻るか戻らないかにより、気持ちの問題が大きく異なるのだ。戻らない人は、返戻金を元に他に住居を探す事によりその後の負担が少なくなる。戻る人は、部屋の大きさにより差額負担(現在所有している住戸面積を基本に多いか少ないか)が発生する。よほどの事が無い限り負担金が0円で戻る事はない。
 二つ目の問題は、現マンションの返済を完済している人は大きな恩恵を受けますが、最近にローンを組んで買った人は額にもよりますが恩恵を受けない可能性も有る。
 三つ目は、戻る人は負担金を極力抑え尚且つ条件のいい場所を確保したいと考える。この事はデベロッパーとは相反する考えになる。デベロッパーは同じ面積なら新たに購入する人に売る方が収益が上がるし早く完売できる。1社に絞られたデベロッパーとの住民説明会では当初のプレゼン時の提案が少しずつ変更になったり、戻る住民の部屋が条件の悪い場所に追いやられたりと問題が発生する。
 そのような問題を間に入り調整していく役目が我々のプロジェクトである。
 最後に建替えマンションの場合、区分所有者とデベロッパーだけで事業を進める事は特に戻る人の満足度に疑問を感じる。間に入る調整役のコンサルタントが今後益々必要不可欠だと痛感する所以である。

創造と技術のちいさなふしぎな会社
株式会社
K15建築設計事務所
TEL:06-6809-4303 FAX:06-6809-4304
ホームページ http://www.kei-ichigo.com/

打谷石材 株式会社
代表取締役会長 打谷久義 氏
1940年、奈良県生まれ。中央大学法学部を中退し、仏門に入門。1965年、 『打谷石材店』に入店、打谷家の養嗣子に。75年、五代目社長に就任。87年から6年、中山通幽尊師研究会副会長。88年、全国福禄寿会設立、会長に就く。94年、全国石製品協同組合により石匠位に認定。
左上:庵治石による最高傑作の歌碑・左端の常明石燈籠は、現総理安倍首相の奉納による(阿倍文殊院境内)
右上:五百基建立予定の常明燈(阿倍文殊院境内)
左下:京奈和自動車道本格工事着工の陳情時(官邸にて)打谷さんは、左端。
右下:風水・墓相の研究に没頭しかけた若き頃、スフィンクスの左横に立つ現会長。
深い識見で説くお墓作り、祀り方の王道
多様な分野の研究をベースに講演4千2百回超


心の栄養塾の名で講座継続
先祖供養の心の大切さ説く


 長年培ってきた「正しいお墓の建て方・祀り方」をベースの、『打谷石材』では、あくまで和型を基軸にして開発された特許墓を含む『明り墓』『千年の祈り』『開楽(ヒラク)』それに現代墓石『絆』という、供養心の高まる、功徳積みに打って付けの付加価値の増したお墓づくりに没頭している。それは、いつもお客様やご先祖様によりご満足いただきたいからである。
 石産業界の最高権威、石匠位でもある打谷さんの学識はこれに止まらない。墓相学、建墓建塔学、建墓造塔学、先祖学、風水学にまで及ぶ。こうした知見をベースにした講演は4000回を優に超え、テーマは地域おこしや教育、経営分野など108項目にのぼる。結構大きい会場でも地声が響き渡り、おまけにユーモアあふれる語り口に聴衆は引き込まれる。講演依頼は76歳にして年50回のペースに落としているが、「全国縦断横断講演の旅師」の異名を持つ。
『打谷石材』の創業は、はっきりしているのが江戸時代は、文政2年、1819年に遡る。以来198年に渡り墓碑、墓塔作りで業界をリードしてきた老舗中の老舗。打谷さんは学生時代、共同通信でアルバイトをしていた頃、新幹線ができ、東京オリンピックを経験した。同時に以前から家庭教師をしていた関係で知り合っていた打谷家の一人娘節子さんと結婚。会長は養嗣子として東京を引き払い、同社を継承する歩みを始めた。その時は心に迷いは、あったが、実家の縁ある名僧の一喝で腹を括った。丁稚奉公から叩き上げ、初心に帰り、第一歩から石工としての修業を積み、1975年に五代目社長に就任、30年にわたり会社を牽引した後、2005年に六代目に禅譲、会長として高い視座から会社と業界の発展に尽くしてきた。
 社長時代、打谷さんは墓相研究の先駆者で、全国を行脚しながら無縁慰霊塔を建立した中山通幽尊師(1862~1936年)の思想を学び、お墓に関する造詣を深めた。福田海の大和養老道場として、尊師の教えを受け継ぎ、20巻のお経の読誦と御火の礼拝に一日が始まり、勝福田に明け暮れる毎日である。とりわけ「墓があって家があり人がある。即ち墓は根である」と説いた尊師の言葉に共鳴、それを機に自身の考え、識見を形成し、全国各地を講演や講義でわかりやすく解いて回ってきた。また自社の打谷石材ギャラリーでは、体は飽食メタボ気味で栄養過多、反対に心は栄養失調気味で貧相な人が増える傾向にありで、世間に魁て、「心の栄養塾」の名で展示説明塾も開いてきた。

技能検定で瑞宝単光章受章
古来よりの伝統伝える決意


「石碑の形に墓相はなく、供養する形に墓相が生まれるのです。お墓参りによって供養の行き届いたお墓を吉墓相といい、お墓参りのないお墓を悪墓相と呼びます。お墓を持つことの最上の意義は、お墓参りがしっかりとなされ、その大切さが子に継承されていくことです。お墓参りを通して先祖を供養し、先祖への感謝の想いを代々継承していくことで、子孫共々健康と幸福を享受できるのです」
 打谷さんは、墓作りの職人、石匠の育成にも力を注いできた。1988年には正しいお墓の建て方、祀り方を広めるために全国福禄寿会を設立、会長に就き、現地出張指導で、お墓の新設、改良、修復の道筋を示してきた。1994年には、経済産業省の公認団体・全国石製品協同組合が認定する最高権威、石匠位に認定され、99年には全国石匠位会副会長に就任、現在会長、石工業の発展と業界の社会的評価の向上に努めてきた。奈良県で石材の検定試験制度が施行されて以来、30年以上にわたって技能検定委員として技能労働者の育成に尽力したことなどが評価され、2014年の春の叙勲で瑞宝単光章(技能検定功労)を受章した。
 祖先を供養する心の大切さを説く打谷さんの考えを見える化したサービスがある。特別注文による家系図絵巻の作成だ。縦45㎝、横約2mの巻物状の絵巻で、時代をイメージできる世界の出来事を記した年表と合わせ、語り継がれた先祖のエピソードを文章にまとめ、先祖の生きた時代を想像することができるようにビジュアル化したものだ。全系統の戸籍を遡って作成する家系図や家系譜も可能である。
 今継続して、有り難い仕事をさせていただいているのは、境内参道に24時間消えずの明かりを灯す安倍文殊院での特別奉納による石灯籠の建立である。献燈籠いただく信者様のお陰で建立を継続させていただけるのである。また当山には、安倍仲麻呂公の「天の原 ふりさけ見れば 春日になる 三笠の山に いでし月かも」の歌碑が、庵治石の最高級品で製作され、金閣浮御堂の正面に凜   として建てられている。歌碑として白眉で最高傑作といえるだろう。
「これからも先人の教えをよく学び、時代の声を聞き、将来に向かうかすかな足音を聞く。人間は古来より、文化の一つとして先祖供養を大切にしてきました。その伝統をしっかり伝えていきたいと思っています」

打谷石材 株式会社
TEL:0744-22-2802 FAX:0744-25-6785 Eメール:botobohi@boseki-uchitani.com
ホームページ http://www.boseki-uchitani.com/

「なにわの塔プロジェクト」
右上:代表 一尾晋示 氏
右下:「豊中の家」

営業時間/9:00〜18:00 
定休日/日曜日・祝日・第2、4土曜日
地震国日本においての
住環境に警笛を


「防災」や「耐震」に興味を持つ事は、
今住んでいる家を分析することから


 地震大国日本、今や日本のどの地域にいても地震とは縁が切れない状況です。1995年の阪神・淡路大震災では、約5500人もの命が奪われましたが、約9割が木造住宅の倒壊等による圧死でした。また、2011年には東日本大震災が発生し、巨大な津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下などによって北海道南岸から東北を経て東京湾を含む関東南部に至るインフラが寸断されています。震災による死者・行方不明者は、18455人、建物の全壊・半壊は合わせて40万戸を超えています。2016年4月、九州の熊本、大分を中心に熊本大震災が起きました。5月までに確認された死者49人のうち、37人は家屋の倒壊、9人は土砂災害による死亡でした。住宅の被害は全壊が7996棟、半壊が17866棟、一部損壊が73035棟となっています。
 建物における「耐震」とは、地震に対して主要な構造体そのものの強度や靭性(粘り強さ)を向上させる事で破壊や損傷を防ぐことを指します。二次災害である津波や土砂災害にて建物が破壊される場合を除き、建物の倒壊による死者数が多いということです。耐震の基準は大震災が起こるたびに見直されていますが、1981年6月以前の旧耐震基準での建物がやはり地震には弱いことがわかってきています。また、建設時の施工不良、老朽化や白蟻の被害によって建物の構造体の耐久性が著しく低下しているものもたくさんあります。2000年6月からの現行の耐震基準は阪神大震災を踏まえて柱の接合方法に関する規定が強化されています。今回の熊本大震災においても建設の時期によって建物の倒壊が顕著に表れています。そこで旧耐震基準での建物においては、まず信頼のできる専門家に耐震診断を受け、不良個所の是正や耐震補強をして建物の安全性を確保して頂きたいと思います。地域によっては、各自治体の耐震に対して補助金制度があり活用して頂きたいと思います。決して耐震補強などを施せば命が守れるかというと、そうではありませんが、倒壊は防ぐことができます。一人ひとりが日ごろから防災意識を持って大震災に対して備えることが大切だと思います。
 災害は、いつやってくるかわかりません。住んでいる地域の災害状況や避難場所の確認など今一度大震災における「防災」や「耐震」に興味を持ってもらい個々の生命、財産を守る準備をこの機会に再考して頂ければ倖いです。

一尾建築環境設計 株式会社
TEL:06-6441-0255 FAX:06-6441-0256 Eメール:ichio@ichio-sekkei.com
ホームページ http://ichio-sekkei.com/

左上:坐摩神社 右上:難波宮跡
左中:生國魂神社 右中:真言坂
左下:真言坂より生國魂神社を臨む 右下:源聖寺坂

株式会社 GNR
代表取締役 千田明 氏
「株式会社ミライト」で通信工事の施工管理に従事。東営業所所長、EGW工事部長、取締役などの役職を歴任。退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。
電気通信工事のプロの飽くなき探求心
東海道五十七次の歴史を辿る旅・七坂を訪ねて①[特別編]

 大阪府大阪市で電気通信設備工事業を手掛ける『株式会社GNR』の代表千田明さんは、歴史への造詣が深く、中でも以前、勤務していた大阪市中央区北浜に、東海道五十七次の起点とされる高麗橋があったことから、エンジニアらしい探究心でその道程を詳細に辿っている。すでに大阪から下って五十四次の伏見宿までを他所で紹介しているが、今回は『株式会社GNR』が2016年5月に創立5周年を迎え、事務所を大阪市内に移転登記したことから、事務所から始めて、歴史を辿りながら大阪の町についてご紹介する。
 「事務所の移転先は、大阪市中央区石町(こくまち)で、この地名は、応神天皇の母である神功皇后(じんぐうこうごう)が、三韓征伐より帰還したときに腰掛けたとされる巨石が、事務所近くの坐摩神社行宮(いかすりじんじゃあんぐう)①に祀られており、そこから石町の名がついたようです。三韓征伐の際、神功皇后は応神天皇を身ごもっていましたが、出産を遅らせたという言い伝えから、安産のお守りとして石を削って持ち帰る人が多く、現在はステンレスの枠で保護されています。坐摩神社には、五神が祀られ、元々難波の宮②の宮中を守っていましたが、豊臣秀吉が大阪城築城のおりに、生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)③と共に移転させられました。現在は御堂筋の南御堂の西側にあり、皇太子ご夫妻も安産祈願に来られた由緒ある神社です。また御伽草子『酒呑童子(しゅてんどうじ)』の大江山の鬼退治で有名な渡辺綱(わたなべのつな)の子孫が脈々と宮司家を引き継いでいます。ちなみに渡邊綱は、嵯峨源氏の子孫で、全国の渡辺氏の祖です。
 石町のすぐ南側には釣鐘町があります。1634年(寛永11年)三代将軍家光が大坂城へ来たとき、大坂町中の地子銀(じしぎん)(今でいう固定資産税)の永久免除を約束しました。その恩恵に感謝して釣鐘をつくり町中に時を知らせたのが町名の由来です。近松門左衛門の『曽根崎心中』にも登場する釣鐘は今も現存し、現在は住友銀行が引き継ぎ、朝・昼・夕刻になるとすずしい鐘の音が聞こえ心が和らぎます。
 この辺りは、大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地(うえまちだいち)の北の外れに位置し、西に向かうと、人形の問屋で有名な松屋町筋まで200m程の距離にあります。奈良時代は海岸線であったと思われますが、徐々に島と平野がつながり、徳川時代には新田開発などで、ほぼ現在の形になったようです。逆に、緩やかな坂を東に向かうと、大坂城があり、昔は大和川が度々氾濫し水害にあったようです。豊臣時代の地震と江戸時代に大阪湾に向かって水路をまっすぐに変えたことにより堺の水深が浅くなり、貿易港として機能しなくなったと思われます。逆に大阪平野が開けましたが、太古には海でした。森ノ宮遺跡の貝塚からは、縄文時代の地層から海水性のアサリ、弥生時代の地層から淡水性のシジミが出土しており、海から湖、湖から平野へと変化していった様子がうかがえます。しかし、低地であることに変わりがなく、現在は素晴らしい下水道が完備されているとはいえ、自然にはまだまだ勝てず、淀川などが決壊すれば水没してしまう地でもあります。
 大阪は、この上町台地を中心に南に広がり、飛鳥時代には国の威信をかけて、四天王寺、難波の宮が建てられました。四天王寺は、当時14歳の聖徳太子、厩戸皇子(うまやどのおうじ)が物部守屋(もののべのもりや)と戦った際、仏法の守護神である四天王像を彫り、頭に巻いて戦勝できれば四天王を安置する堂塔を建立しますと祈願し、不利であった戦況を一転して勝利したお礼に建立したと言われます。当時大陸で覇権を誇った隋にも対等であるという気運の基で、当時は海辺の港であった難波津(なにわつ)から西方を一望できる位置に建立したと思われます。
 大阪はかつて『大坂』と呼ばれていました。その由来は、大きな坂があったためという説がありますが定かではありません。たしかに大阪の町には多くの坂があり、上町台地を中心に東西に多く見受けられます。中でも昔から有名なのは天王寺七坂、縁結びの坂(相合坂)と三下り半の坂(西坂)と相反する坂がある高津宮(こうづぐう)三坂など20箇所ほどの坂がありますが、まず天王寺七坂を紹介したいと思います。
 石町より東に300m程行くと熊野街道の起点があります。熊野街道を南下し、南大江小学校の太閤下水を左に見ながら、約1㎞程進むと、大阪夏の陣前に急に埋め立てられた大坂城の空堀の遺構に建つ空堀商店街に出ます。東に約1㎞程進むと大河ドラマ『真田丸』でおなじみの真田丸の跡(現明星中学校・高等学校)がありますが、今回は寄り道をせずに南へ進むと、約500mで仁徳天皇を祀る高津宮(こうづぐう)に出ます。左に見ながらさらに南下して、千日前通を渡ると、天王寺七坂の一番北に位置する真言坂(しんごんざか)④⑤があります。生國魂神社の神宮寺として移転させられた法案寺(現在は三津寺筋島の内にある)、別当南坊、医王院、観青院など、生國魂十坊といわれる真言宗のお寺があったため、真言坂と言われました。明治維新の神仏分離による廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で移転・破壊されました。坂を上ると生國魂神社の北の入り口ですが、東へまわり正面よりお参りしましょう。生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)をお祀りしています。国土の神霊とされ、現在でも天皇家で大切に祈られている神々です。
 生國魂神社を出て南に100m下ると源聖寺坂(げんしょうじざか)⑥に出ます。織田作之助の小説『夫婦善哉(めおとぜんざい)』にも登場し、松屋町筋側の登り口に源聖寺があるためにこの名前がついたようです。
 残念ながらここで紙数が尽きたようです。この大阪の坂を巡るお話のつづきはまたの機会に譲ることにして筆を置きます」。

株式会社GNR
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