ブームの真相 2018


イギリス生活情報誌 
月刊
ミスター・パートナー
〒160-0022
東京都新宿区新宿
2-15-2岩本和裁ビル5F
TEL.03-3352-8107
FAX.03-3352-8605
左:ホクロ施術 3㎜程度 1回 2,000円(税別)
右:3回施術後

受付時間/10:00~最終受付20:30 定休日/不定休
アクセス/東急東横線日吉駅より徒歩約10分
現役看護師の施術でコンプレックス脱却

 見つけてしまうとどうしても気になるホクロや濃いシミ。なんとか消したいとお悩みの方にオススメなのが、神奈川県横浜市の『Nurse Mam』だ。肌への負担が少ないレーザー治療を行うため、痛みもほとんどなく、施術直後からメイクもできるのが高ポイント。現役の看護師が行う安心の施術に、大満足すること間違いなし。
(ライター/大嶋ひかり)

Nurse Mam
TEL: 045-565-2639 Eメール: info@nursemam.jp
ホームページ http://www.nursemam.jp/

左:『拭くだけボディー洗浄』(無香料)
400ml(全身2回分)1,500円(税込・送料無料)
右:『爽快シャワー』(石鹸の香り)
400ml(全身2回分) 1,500円(税込・送料無料)
保存期間5年、防災グッズとしても必須。

営業時間/ 9:00〜18:00 定休日/土・日曜日・祝日
水無しお風呂! 女性目線で生まれた防災グッズ

 「株式会社FRASCO」が発表した『拭くだけボディー洗浄』『爽快シャワー』は、被災地の女性の一言から生まれた、拭くだけで洗浄ができる水のいらない全身シャンプー。一本で頭から身体、メイク落としまで可能となり、ヒアルロン酸配合で肌にも優しい。避難所生活の衛生面が不安な方や、一人でお風呂が入るのが厳しい方など幅広いところで活用できる注目のアイテムだ。
(ライター/田上智美)

株式会社 FRASCO
TEL:080-6965-2297 Eメール:corilla@shop.rakuten.co.jp
ホームページ http://www.rakuten.co.jp/corilla/

上:三十三間堂(正面)
2段目左:法住寺
3段目左:耳塚
4段目:三十三間堂(南側) 、三十三間堂(正面)
5段目:太閤塀、南大門、東塀
上:鉄板張、通し矢はずれ、三十三間堂(裏面通し矢)
下左:太閤塀
下右:代表取締役 千田明氏
「株式会社ミライト」で通信工事の施工管理に従事。東営業所所長、EGW工事部長、取締役などの役職を歴任。退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。
【国宝】蓮華王院(三十三間堂)を訪ねて
京都編①

 前回、大阪の橋を紹介して終わりました。まだまだ紹介したいと思いますが、大川を除いていろいろな地名は残っていますが、ほとんど堀川は埋め立てられたり、高速道路が上空を走っており、橋の持つ空間をと思うのに何か紹介するのが寂しくなります。気分転換のため、JRの宣伝ではないですが「そうだ京都へ行こう」と思い、三十三間堂を訪ねました。平家物語に登場する後白河上皇の信仰を一心に集めた蓮華王院(十一面観世音の別名)というよりも三十三間堂と言ったほうが皆様が知っておられると思います。
【国宝】蓮華王院は、末法(お釈迦様が私の法は説いてから2000年経つと仏法は効き目がありませんと説かれた)に近い平安時代末期の1164年に右大臣藤原為光の私邸を寺にした法住寺に方違で御幸された後白河天皇が気に入られ、御所を作られた法住寺殿の中に蓮華王院という寺院を設けたのが始まりです。その名のとおり、柱間が三十三間あるお堂で堂内には、【国宝】中尊(湛慶が四年半の歳月をかけ、82歳の時完成)と左右10段50列1000体の【重要文化財】十一面千手千眼観音像(十一面観音様に左右40本の手(25の功徳×40=1000手)と手のひらの眼と33の化身となり、無限の衆生を洩れなく救くってくれる)と観音様と衆生をお守りする【国宝】風神・雷神像と二十八部衆像(馴染みの深い名前に変換すると四天王・吉祥天・鬼子母神・阿修羅・仁王像)を平清盛公にお願いして安置されたそうです。
 伝承によると、後白河法皇はいつも偏頭痛に悩まされていましたが、ある時、夢の中で法皇が過去蓮華坊というお坊様であり、前世で修行を積まれた功徳により上皇になられましたが、墓中にある頭骸骨に柳の根が入り込み、風が吹くたびに偏頭痛に悩まされたそうです。頭蓋骨を掘り出して観音様に埋め込まれてから治ったそうで、現在でも創建当時から柳のお加持は頭痛封じの秘法とされ正月中旬に行われています。清盛公が亡くなられた後、1183年に木曽義仲が御所を襲撃し、三十三間堂付近の法住寺の御所が消失してしまいました。法皇は長く院政を行いましたが、武家社会の台頭に伴う、平氏・源氏の義仲・義経・頼朝など心の休まる処がなく、最後は信仰に没頭されたのではないかと思います。遺命により三十三間堂を拝することができる法住寺陵に埋葬されています。(東大門の東側にありますが、明治の神仏分離により、法住寺より分離されて宮内庁の管轄となり、法住寺・養源院「淀君が父浅井長政の供養のため建立。その後、徳川秀忠夫人、江の願により伏見城の遺構を用いて再建。徳川家の菩提所となる。鳥居元忠らの血天井、俵屋宗達の象・獅子・麒麟の杉戸絵で有名」に挟まれ一間程の間口からしか垣間見られません)。ところが、1249年姉小路室町の出火により、洛中が大火となり、飛び火により消失してしまいましたが、前面の風神・雷神像・二十八部衆を含め、千手観音124体が救出されました。1266年、後嵯峨上皇により再建され、鎌倉時代の湛慶を始めとする仏師の意気込みが感じられます。
 何度か三十三間堂を訪ねていまが、千体の観音像の中に自分に似た像があるそうです。人間がまだまだできておりませんので、探すことができないのです。いつ見ても素晴らしいと思います。また、地震の多い日本において、版築という工法(砂と粘土の層を何層も重ね振動を吸収する)を用い、何度か修復しながらも800年の歳月を耐えてきたことに古人の知恵に関心する次第です。
 余り人は行かれませんが、南側に【重要文化財】太閤塀(豊臣家が方広寺に大仏を作られた時に三十三間堂をも取り入れ寺域とした、5層の格式ある塀)と【重要文化財】南大門が今も現存しております。また、西側に廻れば、お正月の柳のお加持の日に女性の弓始めが毎年ニュースで取り上げておりますが、江戸時代には一人で13000本以上の弓を射て8100程通した武士もおり、手元が狂って通し矢が、柱に矢が当たっても傷つかない様にと柱に鉄板が張られているのも、また外れた矢が梁に残っているのを見落とさないようにしたいと思います。
 近くには国立博物館や方広寺(豊臣家が徳川家康に難癖を付けられた鐘がある)豊国神社・耳塚(朝鮮の役の時、相手の首級が持ち帰ることができないため、塩漬けにして持ち帰った耳の供養をしている)がありますが、またの機会に紹介するとして今回は筆を置きます。次回をお楽しみに。

株式会社 GNR
TEL:06-6910-0600 FAX:06-6910-0601
ホームページ http://www.gnr-a.co.jp/


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