日本が誇るビジネス大賞 2019


ミスター・パートナー
〒160-0022
東京都新宿区新宿
2-15-2岩本和裁ビル5F
TEL.03-3352-8107
FAX.03-3352-8605
 
上:『ミネゲン』牛豚用・鶏用20kgビニール袋入り
中:『かため太郎Ⓡ』 300mlエアゾール缶
寸法Φ62㎜×190㎜
有用な技術の位置づけ「活用促進技術」、国交省NETIS登録番号 KT-120036-VE
大箱 24本入り/小箱 6本入り。1本から販売可。消費期限6ヵ月。

代表取締役
佐藤正徳 さん
1917年に祖父が創業した尾花屋商店に端を発した『オバナヤ・セメンテックス株式会社』に大学卒業後の1981年に入社。専務取締役を経て2016年、4代目代表取締役社長に就任。コンクリート構造物の劣化対策に関する学術論文あり。
家畜が喜ぶ天然ミネラル飼料
百年企業が誇るロングセラー

ニッチな市場視野に開発
スプレー式補修材も好評


 愛知県名古屋市の『オバナヤ・セメンテックス株式会社』は、大正年間に米穀商「尾花屋商店」からスタートし、今では開発した商品が畜・水産、建築・土木、環境分野を中心に約200品目にまで拡大した「100年企業」。数々の商品の中で販売開始から60年たった今でも売れ続けているのが天然ミネラル飼料『ミネゲン』。四代目社長佐藤正徳さんが同社のブランド戦略の特長と強調するニッチな市場に狙いを定めた商品の象徴だ。
 『ミネゲン』は、貝類を中心とした海中生物が堆積し、腐植・化石化した貝化石由来の腐植溶性カルシウムやコロイド珪酸を主成分に20数種のミネラルを配合した飼料で牛豚用と鶏用がある。
「『ミネゲン』は、たくさんの優れたミネラルを含有し、人工ミネラルよりも嗜好性が高く吸収されやすいため、ミネラル不足の牛や豚が一度食べると、自らまた要求して必要なだけ食べるようになります。母豚へのカルシウム強化、子豚へのミネラル供給に適した飼料で、食べ過ぎや副作用の心配もありません。また、鶏の成育に欠くことのできない必須成分をたくさん含んでいて、鶏卵の鮮度を表す指標であるハウユニットや卵殻質の向上に有効です。こうした特性が畜産農家から長く支持を得ているゆえんだと思っています」
 同社の長い歴史の中で商材の主役になってきたのが炭酸カルシウムを多く含む堆積岩である石灰石の粉末「タンカル」。石灰石の採掘会社と長期にわたる契約をして安定的に原石を確保し、アスファルト道路舗装向けから建築、土木、窯業、畜産へと用途を拡大してきた。現在は、「タンカル」を原料とした商品を畜産飼料や建材向けに提供するタンカル・ミネラル事業、飼料添加物や畜産機材を提供するクリーン・アグリ事業、建築・土木構造物の補修、補強材料を提供するセメンテックス事業を3本柱に業容を拡大した。
 セメンテックス事業の商品で好評なのが、コンクリート構造物やレンガ構造物、無機系素材の脆弱な表層を一吹きで補修できるスプレー式の一液型エポキシ樹脂系浸透性固化材「かため太郎」。国土交通省の新技術情報提供システムNETISに登録され、活用効果評価済み技術を示すVEが登録番号に付与された。
「品揃え競争では、資本力や生産能力、調達力で優位な大企業に勝つことは難しい。中小企業のブランド戦略として重要なのは、他社がやらない狭い領域で、顧客が抱えるニーズを深く掘り下げ、事業活動の効率化に寄与する安い手段を提供することだと思っています。安い、狭い、深いをキーワードに専門性に特化した製品戦略を今後も考えていきたいと思っています」
(ライター/斎藤紘)

オバナヤ・セメンテックス 株式会社 メンテナンス事業部 東京支店
TEL/03-3663-7641 Eメール/ info_tokyo@o-cc.com
ホームページ https://www.o-cc.com/

代表取締役
千田明 さん
「株式会社ミライト」退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。

上:東寺五重塔(九条大宮交差点より)、.電車で訪ねた場合の京のシンボル、JR京都駅前の京都タワー(ろうそくと燭台を形どっている)
中:南大門
下:九条大宮方面より南大門を見る。金堂。東寺を訪ねるといつもポーズを取ってくれるサギ。

上:八嶋社(ヤシマ)(地主神、大己貴神(オオナムチ)(大国主命)を祀る)より五重塔を見る。
中:小子房(1336年光厳上皇が半年政務をとり足利尊氏は食堂で居住したとされる)勅使門。
灌頂院東門(弘法大師800年遠忌に徳川家光公が再建)。
下:御影堂(大師堂)補修中。
弘法大師のお言葉。
上:庭園より五重塔を見る(5回も火災に会いそのたびに再建されましたが現在のものは徳川家光公が建立され現在に至る)。
2段目:灌頂院北門、東門より灌頂院を見る。
3段目:毘沙門堂・大師堂御門、本坊御門。
下:大日堂、鐘楼。
上:庭園の池より五重塔を見る。
講堂(弘法大師の発想に伴う立体曼荼羅像21体が安置されています)。
金堂(豊臣秀頼公が再建され、薬師三尊を安置している)を講堂側より見る。
立体曼荼羅。薬師三尊。
中:五重の塔(心柱を大日如来に見立て四方に宝生・阿弥陀・阿悶・不空成就如来を安置しています)
五重塔(徳川家光公再建)を下部より見上げる。
中右:観智院(東宝記を補完していた)。
宝蔵と五重塔。東寺庭園。
下左:東寺概略図。
1200年も愛され続けた東寺
空海の功績は今も輝き続ける

京都を訪ねて 第6話

 今回は、大阪から国道一号線を真っすぐ進むと、突き当りの国道171号線と合流した地点に出ます。右側を望むと、京都に来たなと感じる京のシンボルでもある東寺の五重塔が見えます。東寺は、桓武天皇が四神相応の思想に基づき遷都した、平安京を護るために羅城門の東西に東寺と西寺として建立された二寺院の一つです。当時は、奈良仏教の干渉を無くすために東西二寺を除き域内寺院を建立することが禁止されていました。現在の西寺は、衰退し公園となり、羅城門も跡の碑しか残っていません。
 東寺、正式には八幡山教王護国寺は、真言密教の八世である天才・空海に下賜された寺院です。空海は、虚空蔵菩求聞持法の修行をした結果でしょうか、遣唐使として唐に渡ります。そして、真言密教(仏の真実のことばは人間活動では表現できない秘密の教えを明らかにする)という奥旨を密教の国師である青龍寺の恵果和尚(七世)より伝えられました。密教のすべての教えを教わった空海は、「遍照金剛」の名を授けられ、「早く日本に帰り密教を広めよ」という恵果和尚の遺言を受けて帰国します。
「時至り、人叶うときは道、無窮に被らしむ」の言葉どおり、帰国し真言密教を広めていた空海ですが当時、留学生は20年間唐に滞在しなければならないところ、2年で帰国したため、入京を許されませんでした。3年後、嵯峨天皇に招かれ神護寺で国家鎮護の祈祷をし、嵯峨天皇が空海の諸芸・詩文・密教の見識に関心を持たれ、そこで初めて在京をゆるされました。その後、灌頂の儀式を神護寺で行い、最澄[天台宗の宗祖、理趣経(男女の交わりの光悦も観音様の悟りの心境であると言うような事が書かれており、誤って用いられる可能性がある)の解説書を人を経由して借りに来るばかりなので、経に書いていることより実践しなければ解らないと諭され、袂を分かされました]も教えを受けています。
 嵯峨天皇より、東寺を下賜され、当時は南都六宗のように色んな宗派を学ぶのが基本でしたが、弘法大師は真言密教根本道場とすることを天皇にお願いし許されました。そのことが1200年もの間、国家・権力者・庶民に愛される寺院として存続し、これからも継続されていくと思われます。
 それでは、南大門より案内していきたいと思います。南大門の両側には、いつもサギが門前の両側におり、写真を撮ろうとするとポーズをしてくれます。南大門を入ると、正面に金堂・講堂・食堂と真直ぐ配置され右に五重塔、左に灌頂院(かんじょういん)、院より北へ本坊・毘沙門堂・大師堂・大日堂と配置されています。南大門の右手には、地主神、大国主命をお祀りしており、左手には八幡宮があり、足利尊氏が東寺を本陣としていたおり、神殿から鏑矢が新田勢に向かって飛び勝利を収めたそうです。次に、灌頂院(かんじょういん)は、普段は解放されておらず、格式高い五層の壁に囲まれ、鎮護国家・玉体安穏を祈る真言密教の奥義を師から弟子へ伝える灌頂が行われる場所を左手に光厳天皇が滞在した少子房・勅使門を横手に見ながら毘沙門堂・大師堂にお参りし、日々の悪徳を流し食堂の観音菩薩にお参りして、拝観可能な室町時代(1491年)の重文である講堂より、弘法大師空海が密教の教えを立体曼荼羅で表現された仏像21体が厳かに祀られており、思わず手を合わせ沈黙に陥ります。普通の曼荼羅では、理解が難しいと立体の曼荼羅で表現され、大日如来を中心に阿弥陀・阿閦(あしゅく)・宝生・不空成就如来を中心に金剛界(悟りの時間)の如来5体(重文)と右手の金剛波羅蜜多菩薩を中心に5体(国宝)の菩薩像と左手不動明王(大日如来の化身)を中心に5体(国宝)の明王像と周囲に仏教を守護する四天王と帝釈天・梵天像6体(国宝)が配置されております。
 重厚な仏像一体一体に感銘を受けながら講堂を後にし、二層に見える国宝の金堂に入ると、今度は施無印(衆生を安心させる印)を結んだ七仏薬師如来(光背に七仏)と日光・月光菩薩(いずれも重文)が大きな空間の中に現れ、講堂の立体曼荼羅と違った畏敬の念を抱きます。金堂は、1603年に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再興されました。国宝の五重塔は、1644年に四度の焼亡を超え、徳川家光により再興され現代に至ります。高さ55mと当時の日本で一番の五重塔であり、心柱の基部に弘法大師が唐より持ち帰った8粒の仏舎利が納められており、また、心柱は大日如来に見立て、阿弥陀・阿閦・宝生・不空成就如来が東西南北に安置され四方の入口より拝することができます。
 厳粛な気持ちになったところで東寺の庭園を散策し、庭園池より見える宝蔵・五重塔を眺め、心を清くして拝観を終わり、北大門を出でて観智院を訪れ虚空蔵菩薩と客殿にある宮本武蔵の鷲の図を拝観しながら、東宝記(空海が嵯峨天皇と薬子の変の折、話あった事など東寺の記録がなされている)などの国宝級の書物が作成・保管されていたことに感心しながら観智院を後にし、もう少し仏教に関する部分を書き留めたいと思いましたが、紙面が許されないのでここで筆を置きたいと思います。

株式会社 GNR
TEL/06-6910-0600
ホームページ http://www.gnr-a.co.jp/

取締役会長
山田勝雄 さん
高校卒業後、寺社建築を主に扱う株式会社大佛に入社。1977年に退職し独立、アスカ工業株式会社』設立。寺社、城郭、文化財などの瓦屋根工事で実績を重ねる。一般社団法人全日本瓦工事業連盟理事、理事長歴任。2014年、旭日小綬章受章。

上:浅草寺風雷神門(雷門)
下:旧富岡製糸場西置繭所/世界遺産・重要文化財(国宝)

上:大本山増上寺/安国殿、恐山菩薩寺地蔵堂・本堂、白石城
2段目:旧弘道館(重要文化財)、大本山建長寺西来庵/禅堂・侍者寮・山門
3段目:旧登米高等尋常小学校(重要文化財)、臨江閣別館(重要文化財)、総本山善通寺/聖天堂
4段目:会津若松城(鶴ヶ城)
城郭・文化財・社寺・瓦工事請負
特製瓦・製作・施工
(一社)全日本瓦工事業連盟 No.13010036
端正な完成美を追求した技術
寺社城郭の瓦屋根工事で実績

耐久性に優れた工法考案
職人の士気高め躍進牽引


 端正な瓦屋根は日本の原風景であり、建築物の格式、風格を強く印象づける。妥協を許さぬ瓦職人たちの緻密な努力があって初めて成り立つ完成美だ。そうした瓦屋根工事を寺社、城郭、文化財にしぼって請け負い、国内屈指の実績を残してきたのが東京・森下の『アスカ工業株式会社』。その推進力は、独自の技術力で差別化を図り、職人を心から思いやる創業者で現取締役会長山田勝雄さんの経営哲学だ。
 直近の施工例がその実力の一端を示す。東京・浅草の浅草寺雷門の屋根瓦の解体、耐震工法による復旧工事、世界遺産で国宝に登録されている群馬県富岡市の旧富岡製糸場西置繭所の屋根瓦の解体・復旧工事、神奈川県小田原市の小田原城天守閣の耐震補強工事、同県鎌倉市の建長寺西来庵、侍者寮、山門の新築に伴う瓦工事、静岡県静岡市の駿府城坤櫓の瓦工事、茨城県水戸市の国指定重要文化財旧弘道館の瓦工事、東京都港区の大本山芝増上寺、福島県会津若松市の会津若松城などの瓦工事。文化価値が高く、人目に触れる機会の多い建築物で寸分の乱れも許されない現場ばかりだ。
 同社にこうした工事の依頼が来るのは、技術力への高い評価からだ。その原点でもある1977年の創業当時、山田さんが大阪万博で見たベルギー館の屋根に使われていた屋根材をヒントに、日本の雨にも絶えられる水切りなどを考えてアスカ式平板瓦の実用新案登録を取り、設計事務所を訪問し、設計指定をとり、実績を積んできた。現在も住宅の瓦屋根材は、各メーカーの平板瓦が主流を占めている。また、改良本瓦・飛鳥瓦の出会いであった。飛鳥瓦は、平瓦と丸瓦を一体化した独自の形状で、防災機能を持ち、本葺瓦に比べ驚異的な軽量化を実現、建物への負担を大幅に軽減した。工事期間も短く、低価格で施工することができる。
 この飛鳥瓦を使用し、瓦の裏に引掛桟用のツメを付け、瓦桟木に一枚一枚引掛けていく引掛桟工法は、より地震に強い工法として開発されたのがアスカ式工法。タテ桟木ロック式とヨコ桟木を組み合わせ、地震などの揺れによる瓦のタテズレやヨコズレをなくし、台風などの強風で瓦がめくれることを防止した固定方式で、優れた耐久性、経済性を発揮する。
「人と同じことをやって、同じものを売っていたのでは、 誰も見向きもしてくれません。他社との差別化を図り、自社を知ってもらうためには、飛鳥瓦は実に強力な武器になったのです。それからあちこちからお声がけいただくようになり、仕事を増やしていきました」
 山田さんは独立前、平安神宮や二条城、四天王寺などの社寺仏閣建築を多く手がける瓦工事店で働き、経験を重ね、知識を蓄積した。創業後、それを生かし、飛鳥瓦の販売と並行して寺社の瓦屋根工事を増やしていった。
「寺社建築というのは、非常に狭い分野です。案件数からして少ないですし、扱う設計事務所や建設会社も限られています。少数の業者で寡占状態にある中に割り込んでいくのは、簡単ではありませんでした。寺社建築のうち、文化財級のものは実績十分の会社が請け負うのが常です。しかし、もう少しランクを下げていくと、あまり経験のない設計事務所が手がけるケースもあるのです。そうした場合、設計する側もあまりノウハウがありません。そこで、前職での経験を活かし設計上のアドバイスを行い、瓦の納まり、施工図・箕の甲等の寸法の資料を提供する事で仕事を頂いた事もありますが、いつも功を奏した訳ではありません。ただ、利益以前にきっちりと仕事をしてきた真摯な姿勢が周囲からの評価につながり、閉じられた扉を開いたと思っています」
 もう一つ、山田さんが会社を成長させることができたのは、瓦職人たちのモチベーションを高める給与体系の確立だ。
「前職時代、職人さんの待遇について割り切れない思いを抱いていました。当時の職人は、1日いくらの給金が一般的で、これをひと月分まとめたものが月給。つまり日給月給というものです。しかしこの形だと結婚して家族が増えれば、その分生活が苦しくなってしまいます。職人の世界は、ケガと弁当は手前持ちというのが当たり前でした。そんな就労環境では、安心して働き続けることなどできません。今では考えられませんが、 当時はそれが当たり前だったのです。会社が仕事を回していけるのは、腕のいい職人さんがあればこそ。 私は、いかに職人さんの生活を安定させるかを考えてみました。そして自分が考える理想の形を実現するため、独立を決意したのです。会社設立とともに、職人さんの地位向上を目指して、当時、社会的信用を得られる基準とされた勤続10年、妻子ありを基礎に月給を決め、会社に利益が出た時には賞与という形で還元する仕組みも作りました。こうした努力が職人さんの士気を高めたと思っています」
 山田さんは、瓦工事の技術の向上や技術者の社会的地位の確立を図る一般社団法人全日本瓦工事業連盟の理事長を4期8年務め、2014年の秋の叙勲で旭日小綬章(専門工事業振興に寄与)を受章した。また、屋根事業に使われる無人飛行機ドローンの正しい使い方の普及を図る目的で2018年に発足した一般社団法人日本屋根ドローン協会の顧問を務めている。
 刻々と移り変わる社会の中で、独自の経営感覚で道を切り拓いてきた山田さん。若い職人たちにかける期待は大きい。
「若い人には、自分の考え、物差しは持ってほしいと思います。その物差しは、経験とともに尺度が変わっていくでしょう。それが成長するということです。もう一つは、表面的なことばかりを追いかけないことです。目に見える部分というのは、ほんの一部に過ぎません。たとえ見た目はパッとしなくても、一歩一歩着実に歩みを進める人はより遠くまで行けるものです。どんな経験でも無駄になるということはありません。すべての経験を自分の糧として、自らの力にしていただきたいと思っています」(ライター/斎藤紘)

アスカ工業 株式会社
TEL/03-3846-6081 FAX/03-3846-6082
ホームページ http://www.asuka-kougyo.co.jp/

副院長 兼 心臓血管外科主任部長
中尾達也 さん
広島大学医学部卒。2014年『新東京病院』副院長兼心臓血管外科主任部長。三学会構成心臓血管外科専門医。三学会構成心臓血管外科専門医認定機構修練指導医。日本冠疾患学会評議員。腹部、胸部ステントグラフト実施医。

上:公開手術。(左がDr.中尾)
左中:シドニー、Royal Prince Alfred病院時代の親友で国立マレーシア心臓病院センター心臓外科医のVenu先生(中央)とは今も連絡を取り合っている。
左下: 宮城県警での表彰状授与式。
上:昔、昭和天皇と平成天皇が宮島を訪れたときに眺望した同じ場所から。左から対岸のフェリー乗り場、宮島の鳥居、右に千畳閣、五重の塔が見え絶景である。
私がみてきた坂の上の雲その先に
医療の現場で30年目の節目で考えること

 2018年、『新東京病院』は50周年を迎え、私もここ松戸の新東京病院の地に来て10年になりました。10年といえばひと昔です。現在新東京病院心臓血管外科主任部長、副院長として年間350例近くの開心術、400例近くの心臓胸部大血管手術を行う一方で胸部真性、あるいは急性、慢性解離性大動脈瘤などあらゆる形態の動脈瘤に対して開始したオープンステントグラフト手術は、良好な成績とともに本邦でもトップクラスの症例数になっています。この国産ステントグラフトの海外とくに保険償還が決まった台湾での普及に、海外プロクターとして台湾まで足を運んだり、希望があれば台湾の先生方に新東京病院に来ていただき、技術指導や講演に積極的に努めております。
 さて、私は医者になって現在30年経ちました。平成天皇の在位期間と同じです。広島の修道高校という男子校出身で広島大学医学部卒業です。私は漁師町である江波という土地で生まれ育ちました。宮島の管弦祭では江波の二十歳の若い衆が呉の阿賀の漁師と一緒に管弦船を3隻の船で引っ張ります(私も親子3代で江波の伝馬船を漕いだ)。被爆経験のある両親が江波で牡蠣や海苔の養殖を家業としていたので、小学生の頃の私は海苔の天日干しを畑でよく手伝っていました。私は小学生4年生の頃、自転車で蝉取りに行く途中車にはねられ頭と足を骨折して4ヶ月入院していました。この時臨死体験を経験しそれ以降は何かに導かれるように医者にしていただきました。1987年に、広島大学旧第1外科に入局致しました。私が入局したとき、先々代の教授がちょうど着任されました。4~5年間に及ぶそれまでの教授不在の時期からようやく脱却し、新たに心臓血管外科を再スタートさせる時代で、人も設備もなにもかも足りないときでした。当時旧第1外科教室は、心臓血管外科、一般消化器外科、小児外科の3つのチームを持っており、入局したものは全員旧第1外科関連病院で、上記3つの外科全てを修練したうえで、最終的にどの分野に進むかを決定するという形になっておりました。私も医者になってすぐに小児外科を金沢の病院で、その後、広島の呉にある病院で救急医療医を1年間、宮島の前にある病院で3年間消化器外科、心臓外科を研修した後に、私は、心臓血管外科医を目指すと決めました。その時から、当時の日本で自分の置かれている状況では臨床経験が十分には出来ないと思い、海外での一流施設での研修を目指しどんな形であれ留学することに決めました。30歳から35歳までアメリカのニューヨーク(写真上)、オーストラリアのシドニー(写真下)の病院で心臓外科医の修行をして幸運にも再び宮島の前にある同じ病院に戻ることになりました。当時お世話になった海外の恩師や、同じつらい境遇でトレーニングをしていたいろいろな国の友人の先生とは今も会えば昔に戻るつながりです(写真2)。そしてそれから10年経った後に「御縁あって」新東京病院にやってきました。
 御縁とは縁の敬称です。さらに縁とは縁起から、縁起は因縁生起(いんねんしょうき)から来ています。物事には全て原因があり、それに縁が作用して生(物事・結果)が起こるというものです。私は宮島と非常に御縁があり今でも私の家は宮島の鳥居から覗く対岸にあります。もうひとつ私はオーストラリア時代に、シドニー沖で感染性心内膜炎に罹患した気仙沼の遠洋漁業の漁師さんの心臓手術をして日本に一緒に連れて帰ったことや、東日本大震災時に石巻や気仙沼の医療事故に鑑定医としてかかわったという被災地との御縁があります(写真上)。また自分自身が被爆2世であり福島原発放射能漏れに関係した問題との御縁も感じています。来年開催される1ヶ月という短期間のオリンピックのために浮かれる日本からは、東日本大震災で被爆された人たち、先祖代々引き継がれた土地を追われた方々からの声はなかなか聞こえてきません。前を向いて一歩一歩進んでいく震災被害者の姿も今はテレビで報道されません。でも良識ある日本人のみならず世界の人々が「福島原発事故後はどうなっているの?」と思っているのではないでしょうか。そのことを同時代に生きる日本人皆が想い、忘れてはいけない大事なテーマだと思います。医師として自分の技術がいかせる方法で、なにかのきっかけで人と人とがつながるご縁の中でこれからも被災地と結びついて微力ながら出来ることをしていこうと考えています。
 司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」に出てくる主人公の陸軍大将秋山好古は退役した後に故郷松山に帰り中学校の校長になりました。このような人が子供たちの教育の世界に身をおくということはなんと素晴らしいことだろうと思います。私がシドニーにいるとき小学校の体育のボートの授業に元オリンピック選手が教えにきたりしているのを目の辺りにして国が子供たちの教育に真摯に向き合っているのを肌で感じました。私は昨年1月に孫を持ち私がみてきた坂の上の坂に対して、その先にどういった形で対峙していこうかと思い、あと30年医者を続け必死に今まで30年かけて上ってきた医者の坂道を30年かけてゆっくり頑張って下っていこうと思いました。その過程で孫世代が生きる未来(私たちが残した福島原発などの負の問題を残したままで)について真摯に考え孫たち世代に新しい人生のイメージを抱かせる教育的効果を広めていけたらと思います。坂の上の坂は見方によっては上り坂であり、時に下り坂でもあります。坂から飛びおりるのではなくしっかり足を踏み込み前に進もうと思います。
 毎年正月に宮島の対岸にある私の家に帰るのですが、今年はフランスのモンサン=ミッシェルと姉妹都市関係を結んだ宮島での初詣に足をのばしました。
 多くの参拝客がにぎわう土産物通りを避け裏道の町家通りを歩いているうちに天皇陛下御展望の地、平松茶屋の看板が目に入り坂を上って5分すると、今までに見たこともない素晴らしい景色が飛び込んできました。対岸正面に私の家、左下に真っ赤な鳥居、右下に千畳閣、五重塔が全て見渡せる絶景です(写真上)。昭和22年に昭和天皇が、昭和24年に平成天皇(当時皇太子)が同じこの土を踏み、同じ光景をみつめていたことを考えると、昭和の次にきた平成という時代の30年が終わる今だからこそ、次の時代への虹の架け橋をみる想いでした。私はあと30年後に平成天皇と同じ年齢になったとき、またこの地を訪れ何を想うか今から楽しみです。来るものは拒まず、去るものは追わずをある意味自分の信念としてきた私にとって、一時期か永遠かは問わず私と御縁を持っていただいた患者さんをはじめ全ての人に感謝! 感謝! です。次の日を私は忘れません。
 広島原爆投下日時の1945年8月6日8時15分と、東日本大震災発生日時の2011年3月11日14時46分を!

医療法人社団 誠馨会 新東京病院
TEL/047-711-8700

理事長 兼 園長
山本良一 さん
関西学院大社会学部社会福祉・社会学コース卒。大阪市中央児童相談所で児童福祉司として活躍。1976年、「社会福祉法人弘法会」理事長、「大東わかば保育園」園長。大東市児童福祉審議会委員、花園大学非常勤講師などを歴任。
「幼保連携型認定こども園大東わかば保育園」屋外遊技場で遊ぶ園児たち。

著書「子どもたちの輝く未来のために 子どもの力を伸ばす積極的保育のすすめ」現代書林刊 1,200円+税
著書「よい保育の場を求めて~大切なことはみんな保育園で学ぶ~」出版文化社刊 1,429円+税
著書「大切なことはみんな保育園で学ぶ~よい保育の場を求めて Part Ⅱ~」(DVD付)フォーラム・A刊 1,852円+税
保育理論の背景に人生哲学
心の強さ追求した思索の旅

子どもの自発性を尊重
保育現場の課題を指摘


「合同あそび」
 幼保連携型認定こども園『大東わかば保育園』に通う1歳児から5歳児までの約100人の子どもたち全員が主役となって運動会で披露する恒例の演目だ。子どもたちと先生が協力しながら7ヶ月間かけて準備し、全体の主軸となるストーリーを決め、それに沿ってクラスごとに遊びを考え、子どもたちがそれぞれに役柄を演じる。子どもの発想力や運動力、思いやる心を育む楽しい取り組みだ。
 もう一つ、『大東わかば保育園』の保育方針の独自性を示すのが「自由遊びの時間」だ。年齢ごとにクラス分けした保育とは別に、午前8時半~9時半、午後4時前~4時半の2回、1歳児から5歳児までが一緒に遊ぶ。昼食後も1、2歳児、3~5歳児の順に園庭に出て思い思いに遊び回る。1、2歳児が給食後に園庭に出て遊ぶ保育園は公立、民間ともほとんどないという。
 こうした保育の進め方を根本で支えるのは、1976年の開園以来43年の長きにわたり園長を務める山本良一さんが確立した「積極的保育」という独自の保育理論。その理念は「現実的な諸問題にとらわれずに、子どもの力を信じて伸ばしていくことを第一に考えて、保育に取り組む」というものだ。
「核家族化、少子化、働く母親の増加、テレビゲームの普及、遊び場の不足など子どもを取り巻く環境は大きく変わり、子どもだけで自由に遊ぶことが少なくなってしまったうえに、子どもが巻き込まれる事故や事件もあり、子どもだけで家の外で遊ばせることに社会全体が消極的になっています。こうした傾向は子どもの成長にいいはずはありません。こうした状況の中で、子どもたちを輝かせるにはどうすべきかを考えて到達したのが積極的保育です。子どもたちの自発性を尊重し、気持ちの赴くままに遊び、みんなで一緒に考える場と機会を与えることで、友達との接し方を学んだり、危険を察知して避ける力を身に付けたりしながら、自分を伸ばすことに意欲的な子どもが育っていくという考え方で、その実践を通して、普段の何気ない遊びが学びに進化し、子どもたちが大きく成長していくのがわかります」
 山本さんの「積極的保育」の考え方を支えるのは、保育園経営者としての経験に止まらない。学生時代から絶えることなく続く自己啓発のための学びがバックグラウンドにある。その学びによって福祉や教育に対する信念の軸が形成されてきた。
 山本さんは若くして福祉の道を志し、大学で学ぶ中で日本の社会福祉理論の構築に貢献した岡村重夫氏の福祉理論に感銘、卒業後、大阪市中央児童相談所で児童福祉司として苦境にある児童の援助活動に力を注いだ。この中で「もっと長期にわたり子どもと関わりたい」という気持ちが膨らみ、1976年、『大東わかば保育園』を開設。保育園運営に当たって、保育のあるべき姿を追求し続け、教育家和田重正氏の著書「葦かびの萌えいずるごとく|若き日の自己発見」の中の「本心を生きる」「生きるとは選択である」「奇蹟的な問題解決力」などの言葉に触発され、自己啓発に拍車がかかる。
 多岐にわたる読書歴の中で、生き方について大きな影響を受けたのが、心身統一法で注目された思想家中村天風氏(1876年~1968年)の「人生成功の哲学」。中村天風氏は、公益財団法人天風会によれば、華族に生まれながら、日露戦時下、軍事探偵として満州で活躍、死病を治すため欧米、インドを放浪、コロンビア大学で医学を学び、帰国後、銀行の頭取などを務めながら、一切の地位をなげうち、辻説法に転じた。その波乱の半生から得た「人生成功の哲学」は各界の名士を含め多くの人々を魅了、没後も講演録「成功の実現」が広く読まれ続けている。この講演録の中の「観念要素の更改」「積極観念の養成」などの言葉の意味を考えたことが「積極的保育」に収れんしていく。
 山本さんは、「よい保育の場を求めて 大切なことはみんな保育園で学ぶ」など、これまで「積極的保育」の実際の姿を紹介する3冊の著書を出版してきた。加えて、2019年春、幻冬舎から4冊目の著書を刊行した。この執筆に臨む山本さんの背中を押したのが、中村天風氏の最後の直弟子の一人で、プロ野球の名将といわれた広岡達朗氏が2017年に85歳で刊行した著書「広岡イズム」だ。
「幻冬舎から出版に関するお手紙を頂く直前にたまたま『広岡イズム』を読んでいました。広岡さんが野球人人生を通じて会得した思想と体験を伝えるために書き記した遺言ともいえる書で、『指導には信念を込めろ』などと力説されています。『天命を生きるのか、宿命で終わるのか』とも問いかけていますが、『絶対に逃れられない天命的なものばかりが人生に襲いかかるのではない。多くの人が苦しみ悩むいわゆる運命は宿命。宿命というのは人間の力で打ち拓いていくことができるもの』という天風語録を知っていましたので、よく理解することができました。広岡さんのこの著書に勇気づけられて保育をめぐる体験を書き進めました」
 新著書は、『大東わかば保育園』の卒園式における山本さんの挨拶を紹介したプロローグ、2008年に保育園の建て替えで苦労した経験、43年間の保育現場での経験を通じて見てきた政治、行政、マスコミの実情などで構成されている。
 今、保育を巡っては待機児童問題に関心が向けられているが、不審者対策、感染症対策、ケガ、虐待問題、地域子育て支援、地域貢献、情報公開、職員の待遇改善、マニュアルや記録化など多くの課題が保育現場に押し寄せていると山本さんは指摘する。これが「積極的保育」の理念の中にある「現実的な諸問題」だ。
「こうした状況の中で『積極的保育』を進めるためには、 園長に強い心がなければなりません。その支えになったのが天風先生の公演録『成功の実現』にある『およそ人生の一切の事件は、ほとんどそのすべてが自己の心の力で解決される』という言葉です。咋今、問題が起きると、専門家に相談するようにとか、一人で悩まない、がんばらないなどと言われたりする風潮があります。それは一面真理ではあるけれども、充分ではないと思っています」
 著書では、心の強さを追求することの大切さが浮き彫りになる。
(ライター/斎藤紘)

社会福祉法人 弘法会 認定こども園 大東わかば保育園
TEL/072-878-4121

院長
中村勝利 さん
会社勤めを経て整体専門学校で学び、独立して『響総合整体』開設。日本リフレクソロジー協会認定RAJAプロフェッショナルリフレクソロジスト。全国ツボ療法師協会認定総合ツボ療法師。総合整体療術師。一般社団法人日本治療協会正会員。

総合施術でどんな身体の悩みにも対応!
部分調整 5,000円 全身調整 6,000円 複数調整・より深い調整 7,000円 1回の施術でもこれだけ違います。

左:歪みの調整、施術前後。1回の施術。
右:腰の痛みで長い間、体が伸ばせなかった方の1回の施術。
左:O脚矯正施術例
右:美容整体、バスト、ヒップアップ、ウエストのクビレ。1回の施術。
自己治癒力を高める独自整体
脳の反射機能利用し異常検査

高次元エネルギー活用
細胞レベルまでも調整


『響総合整体』の院長中村勝利さんは、中国伝統医学の経穴(ツボ)にアプローチする東洋整体の修得から始まり、刀根久士氏が考案した「TMC超気功療法」を学び、後に豊田竜大氏が考案した「イネイト活性療法」を学ぶなど身体の不調改善に有効な施術技法を追求してきた気鋭の療術師だ。筋肉や骨格だけでなく、脳や内臓も含めた体全体を調整する総合整体を標榜、その中核となる技法が「豊田式イネイト活性療法」と「TMC超気功療法」をメインに効果的な手技を併用する独自の『KN療法』。自身の名前の頭文字から命名したこの療法で重視するのが脳のメカニズムだ。
「脳は、身体全体を統括しています。身体の異常な部位に触れると、その状態の情報を信号として脳に伝えることができます。脳はそれを理解し、治すために必要な信号である治癒力を発動させるのです。当院の施術は、一時的な対症療法ではなく、長年の経験と脳に起きる生理現象である脳反射によって不調状態の根本原因を見つけ出し、自己治癒力を高めると共に身体本来の状態へ整え、健康な身体を保つことを目的としています。施術に妥協はしません。脳の調整、全身細胞レベルまで調整する高度な施術です。例えば、肩こりと言っても原因は一人ひとり違います。骨格や筋肉の問題だけでなく、内臓や脳からの不調を知らせる為のサインとして出ている事もあります。そこがどの様なトラブルなのか、なぜそうなったのかなど、根本的な原因まで検査、施術することで、改善率が短期間で劇的に上がり、何処へ行っても改善しなかった多くの方たちも改善され、好評を頂いています」
『KN療法』の重要な構成要素である「豊田式イネイト活性療法」は、脳のメカニズムに着目した療法という。
「この療法は、身体のすべての異常を検出できて、その異常すべてを施術し、改善させることのできる手技治療法で、脳の反射機能を利用して行う豊田式スキャニング検査から始まります。人間の体は、異常な部位に触れられると、そこは危険だという信号を脳に送り、脳は一瞬キュッと萎縮して、逆に全身の筋肉が一瞬だけ弛緩します。この弛緩現象をとらえて、正常、異常を適格に判断します。この検査で全身を調べると、異常な部分を統括するポイントが検出できます。施術では、統括ポイントに数秒〜数十秒軽く手で触れるだけですべての異常部位を同時に施術でき、自己治癒力が活発に動き出し、不調が改善していきます。この施術法を一点操法といいます」
 もう一つの「TMC超気功療法」は、一般的な中国気功とは異なり、特殊で気功を超越した療法という。
「この療法は、対症療法ではなく、血管、粘膜、エネルギーの流れなど細胞レベルまで施術が可能で、脳からの神経エネルギーの伝達力の正常化、イネイト・インテリジェンス(先天性知能)による機能障害や機能低下の回復、自然治癒力の向上が期待できます。身体に負担をかけず、安全で効果も持続します」
 この2つの療法を中心に効果的な手技を併用する『KN療法』は、中村さんが持つ特別の能力が大きな役割を持つ。
「異常個所を見極める検査では、脳に質問して反射反応で原因を特定していくのですが、言葉で相手に質問をするのではなく、相手の脳と自分の脳をリンクさせて頭の中で質問をイメージすることによって身体が反応するという検査法になります。施術では、私自身の高次元エネルギーを用います。人の体に触れるだけで筋肉が緩み、歪みが整って不調部が改善されるものです。高次元エネルギーと超気功を組み合わせたことで、何処へ行っても改善されなかった症状も改善される唯一無二の施術です」
 『KN療法』で改善できる不調は、肩こりや腰痛、頭痛、膝痛、ギックリ腰、めまい、うつ症状、内臓の不調、身体の歪み、ヘルニア、股関節痛、坐骨神経痛、五十肩、顎関節症、子宮筋腫、パーキンソン病、便秘など多様だ。
 中村さんは、『KN療法』をベースに「子宝・妊産婦整体」も実施、体や骨盤の歪みを整え、上部頚椎や頭部、脳幹などを調整してホルモンバランスや自律神経、脳脊髄液などの流れを安定させることによって子が授かりやすい体に導く。妊娠中の体の疲れもリスクのない施術で改善し、生理不順や低体温などの婦人科系の悩みにも応えている。また「美容整体」にも力を入れ、股関節や骨盤、姿勢、顔の骨格の矯正などによって、ヒップアップやバストアップ、O脚矯正、フェイスリフトアップなどの要望に応えている。
 中村さんが療術の世界に入ったのは、20代前半の時に仕事で腰を痛め、ヘルニアやギックリ腰に苦しんでいたことがきっかけ。治療や整体などに通う中で整体に興味を持ったという。さらに30代半ばに病気で父親を亡くした時、自分には何も手助けができなかったことを悔やみ、以後、健康に関する仕事がしたいと思いを募らせ、東洋整体の専門学校で学び、整体師として独立した。全身の臓器や器官が手や足、顔などの体の末端に映し出されていると考え、痛みのない独特な指使いで優しく刺激するリフレクソロジーやツボ療法も学んで施術技法を広げてきた。
「施術していただいたあとは、視界が開けて、世の中が明るく見えます。脳梗塞で左半身が麻痺してしまった母が診ていただいた時も、そんなに長時間の治療ではなかったのに、曲がっていた体がまっすぐ伸びてとても楽になり、母は涙を浮かべてよろこんでいました」
 岐阜県下呂市から来院している50代の女性の感謝の言葉が中村さんの施術の質を象徴的に示す。
「身体の不調、心の悩みなど人間は心も身体も一つの生命体です。本来人間が持っている自己治癒力を活性化させ、一人でも多くの方の健康と幸せのお手伝いができればと思っております」
(ライター/斎藤紘)

響総合整体
TEL/048-525-3856 Eメール/info@aroma-tmc.com
営業時間/10:00〜20:00 定休日/火曜日
ホームページ https://www.hibiki-ss.com/

整術院長
アストラ―ル禮子 さん
幼少時に自身の不思議な力を自覚。指圧・按摩・マッサージなどの資格を取得し独自の施術方法を確立。医院の開業に至る。東洋医学博士、米国国際学士院大学博士号を持つ他、紺綬褒章、社会文化功労賞の受章暦がある。

上:2018年12月3日に『神道最高位』を授与されました。
2019年2月6日、ヨハネ・パウロⅡ世より勲章を授与。

アストラ―ル禮子(REIKO)先生
マッサージ師(指圧・按摩・マッサージ)国家資格。自然医学食養士。東洋医学博士。I.A.Eユニバーシティ(米国・国際学士院大学)博士号。米国財団法人リンカーン記念平和財団ワールド・ピース・グランド・プライズ。国際文化推進協議会終身特別名誉会員。2009年、紺綬褒章受章。2014年、社会文化功労賞受賞(国際文化推進協議会)。

「金色有功章」「銀色有功章」「紺綬褒章」
右上:「神奈川県日赤紺綬有功会 新春のつどい」にて
施術に光る神から授かった力
原因不明の不調にも救いの手

自然に手から出る極光
遠隔施術を行うことも


「押すのでも、揉むのでもない。パウダーでもつけているのかと思うようなすべすべする絹のような感じで、身体に軽く手を触れているだけ。不思議に思いながら10分程度の治療が終わりました。少々期待はずれと思いながら治療院を後にしましたところ、胸の中心がスースーする感覚がどんどん広がって、何かが浄化された感じがしました」
 肩と背中に激しい痛みを抱え、横浜市鶴見区の『アストラールREIKO治療院』の院長アストラール禮子さんの施術を受けた女性の術後の感想だ。女性はその時の不思議な感覚だけでなく、アストラール禮子さんが語りかけてくれた言葉が忘れられない。
「人には、情けが必要です。心をつくしなさい。我を張ってはだめ。あなたはあなたらしくあればいいの。人の心は水の流れのよう。あなたはそれを汲んであげなさい。一杯の水にすべてが含まれているから。あなたはそれができる。そう信じています」
 アストラール禮子さんは、東京医療福祉専門学校で治療法を学び、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を持ちながら、自らを心霊治療家、心霊カウンセラーという。
「治療とはいいましても、私は患者さんの身体に軽く手を触れるだけで、特殊な療術を施すわけではありません。そこが一般的なマッサージなどと違う点で、私は患部を強く押したり、もんだりはしません。治療中、自然に手からオーラ、極光が出まして、それが相手の身体を温かくし、血の流れを良くするのです。その間、約10分から15分。私が生まれ持って神から授かった不思議な力で、殆どあらゆる症状を軽減できます」
 東京・浅草生まれのアストラール禮子さんが、この不思議な力に気づいたのは3歳ぐらいのときという。
「夜中に人影を見て怯えていたと母から聞きました。家の中に誰かがいると私は泣くのですが、家族には見えなかったようです。他人を見ると、普通の人には見えない何かが見えたのですが、幼い頃はそれが何かわからず、とても怖い思いをしました。また、子どもの頃から身体の悪い方を見ると、自然に患部に手が伸び、そして私が触れると痛みが消えるという、不思議なことが起こっていたのです。そのうちに、両親が経営していた店に来られるお客様から、ついでに治してと声をかけられるようになりました。喘息に苦しんでいたお子さんの身体に私が触ると、喘息の発作を起こさなくなるといったことが続き、ご近所では評判になっていたようです」
 この不思議な力を生かす道として治療家の道に進んだ。
「不思議な力で癒しを行う方は、私以外にもおられますし、中には宗教家になられる方もいらっしゃいます。しかし、私は宗教に馴染めなかったため、治療家の道を選んだのです。指圧や按摩、マッサージやカイロプラクティックの技術、自然食の勉強も重ね、国家資格も取得してきました。様々な病気に苦しむ人々を救いたいと考えたのです」
『アストラールREIKO治療院』を訪れるのは、身体に痛みを抱えている人たちに止まらない。現代医学では解決できないと医師が匙を投げたような不調を抱えた人が不思議な力を求めて多く訪れる。
「来院される方が訴える身体の苦しみは様々ですが、私が神から授かった力が特に生きるのは、近代医学では回復が見込めないケースですね。私は、現代医療を否定しているわけでもなければ、拒絶するつもりもありません。神から授かった力を生かして治癒のお手伝いしたいだけです。時には入院中の方に対し、遠隔施術を行うこともあります。私の力は光であり、光は地球上のどこにでも届きます。実際に、イギリス在住の方の施術をさせていただいたこともありますし、電話越しにお話を伺うだけでもイメージが浮かびますから、遠く離れていたとしても、お力になれます」
 難病といわれる心臓病を患い、近代医学ではどうにもならなかった小学6年生が施術で順調に体調が快復したケースを鮮明に覚えているという。原因不明の病がCT検査で奇跡的に好転していると判断された人や血液透析の必要がなくなり、普通の日常生活を送ることができるようになった人。元気を回復した人たちからの感謝の声に接するのがなにより嬉しいという。
 アストラール禮子さんは、「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、区別なく救う」という赤十字の精神に共鳴。日本赤十字社の活動に様々な角度から協力し、その功績で銀色有功章や金色有功章、2016年には神奈川県日赤紺綬有功会で紺綬褒章を受章した。また、国際文化推進協議会の社会文化功労賞も受賞、国際文化推進協議会終身特別名誉会員の称号も持つ。
「私と患者さんとの出会いは縁です。縁あって出会ったすべての方を苦しみから救ってさしあげられるよう、今後も力の限り尽くしていきたいと思います」
 アストラール禮子さんの優しい眼差しと不思議な力が希望の灯を灯す。
(ライター/斎藤紘)

アストラールREIKO治療院
TEL/045-573-7999
受付時間/火・金・土曜日 午前8:00〜9:30
施術/10:00〜13:00(要予約)
相談/ 13:00〜14:00(要予約) 定休日/月・水・木・日曜日・祝日
アクセス/JR鶴見駅西口バス乗車口10番より「北寺尾」バス停下車、または車で約10分

代表取締役社長
橘秀樹 さん
1973年生まれ。獨協大学経済学部卒業。元衆議院議員(外務大臣・通産大臣・農水大臣。総務庁長官)秘書、一部上場企業会長・社長専属運転手。
絶対に失敗できない「上司の運転手選び」と
「役員秘書」に確かな人材をサポート

運転手・秘書歴10年
高い満足度の信頼と実績


 すべてのお客様に満足できる役員運転手と役員秘書を派遣している『株式会社トランスアクト』。そのスペシャリスト養成には、議員秘書歴10年、役員運転手歴10年の代表取締役社長橘秀樹さんが〝本気で教育〟している。
 ドライバーの教育カリキュラムでは、まずは高級店のような気持ちのいい接客能力を徹底的に教育し、利用されるお客様や業務中に関わるすべての人に対して失礼のないよう、また気持ちよく過ごせるように取り組んでいる。さらにプロの中でもトップを目指す運転技術の習得。発進・停止・旋回など車内の快適性を実現しつつ、迅速に目的地までお連れする技術を研磨する。そして、カーナビより頼りになる正確な地理把握だ。目的地探しの時間を省き、安心して目的地に到着するように地理を学ぶ。このように養成する中で、100%近い満足度を実現している。質の高いサービスを提供するためにも、橘さん自身も現役で運転手を続行し、現場から学び続けている。
 また、橘さんが国会議員の下で10年間、秘書として経験を積んだことの経験を活かし、現場に必要とされる技量を持った秘書をマッチングさせて依頼会社の利益に貢献している。紹介する秘書は、すべて秘書としての必須スキルであるビジネスマナー講座から始まり、経営学講座、さまざまな状況に応じた書類・文章作成法講座、第一印象の好感度UP講座、クレーム対応講座など全九項目の習得講座を研修受講したエキスパートばかりで即戦力となっている。書類の作成や経営の相談のようなことができる秘書を必要とする役員もいれば、明るく元気な秘書を必要としている役員もいるようにマッチングが重要になってくる。そこで橘さんの長年の経験が物を言うのだ。万が一の場合にも即対応し、新たな運転手や秘書を派遣することを明示しているが、これこそ使命感と自信の現れだ。(ライター/吉尾訓明)

株式会社 トランスアクト
TEL/03-3433-8200 Eメール/ info@transact.co.jp
ホームページ https://transact.co.jp/

数々の講演で、長年の現場経験から組織論・人災育成論で課題を解決に導く。

スタートアップ研修
5S活動の基本から他社事例を見ながらレベル設定。プロジェクト運営手順から活動計画書を作成。7時間程度。最後に経営者と面談。1時間程度。「教育訓練ツール」

「チャレンジ5S 組織活性化マニュアル」10,800円(税込)
5S活動のノウハウを1冊に集約。事例豊富で実践型のマニュアル。
「チャレンジ5S組織活性化マニュアル」10,800円(税込)
5S活動のノウハウを1冊に集約。事例豊富で実践型のマニュアル。
「活力読本シリーズ1 5S読本-5Sは組織の仕組みづくり-」
800円(税込) 現代書林刊
「最強の組織をつくる『5S』のススメ」
1,400円(税別) 現代書林刊

代表取締役
戸敷進一 さん
日大文理学部社会学科中退。測量学校卒。建設会社の現場監督、幹部社員、役員を経て、2000年経営コンサルタントとして独立。建設系企業を中心に活動していたが、その実力が認められ組織活性化コンサルタントとして活動。
整理・整頓・清掃・清潔・躾促す
5S活動が組織活性化に有効

400社超の経営を改善
組織運営の壁破る説得


「『5S活動』をやっていると、業務からだけでは見えていなかった個人の資質が現れてきました。とにかく組織にとって必要と思われる人間が何人も出てくるのです」
 整理、整頓、清掃、清潔、躾の『5S活動』で組織を活性化させる独自のツールを開発した『株式会社経営改善支援センター』の代表取締役戸敷進一さんの指導を受け、経営改善に成功した建材会社の会長の感想だ。戸敷さんは、このツールで全国400社超の中小企業の経営を改善に導いた実績で声価を高め、講演やセミナー、コンサルティングの依頼が後を絶たない。
『5S活動』は、「不要なものを捨てる整理という活動で共有される価値観」を共有し、「整頓、清掃という点検保守活動の継続を生み出す仕組み」や「顧客や従業員が評価する清潔な職場環境」、「共通の目標に向かって全員が行動するよう躾けられた状態」を構築することを目指し、ハイレベルのベンチマークの設定を行い、推進活動計画書に沿って全社一丸となって活動することを促すものだ。
『5S活動』は、組織では一般的な上意下達の指揮命令系統によらず、社員から選ばれた推進メンバーを中心に取り組むスキーム。この中で戸敷さんが目指すのは、部署間の意識格差、世代間の意識格差、職位による意識格差という組織運営には立ちはだかる3つの壁の解消だ。
「3つの壁を取り払うために多くの経営者が考える事が社員の意識改革です。会社の理念や計画を組織に落とし込もうとしますが、組織側に受け入れる準備が出来ていないとそれらは浸透しないどころか社員達が混乱して悪循環に陥る可能性もあります。そのためには意識改革を行う一歩手前で組織を整える必要があります。組織の中にある誤解を一度解いて、プロセスを共有し、社員たちに目に見える変化を実感させる必要があります。その手段、ツールが『5S活動』なのです」
 その成否のカギと戸敷さんが重視するのが「説得」だ。
「『5S活動』では、説得するということが必須の要素となります。なぜならば、組織の中には反対者が必ず存在するからです。さまざまなやり方を獲得するまで時間をかけ、練りこんできたのです。それを変えろと言われても、 はいそうですかとたやすく変われるものではありません。そのときに改善リーダーたちは上司や反対者を説得しなければなりません。業務に関しては、上司に当たる人々に対して教育訓練や会議などを通して説得するということを行う必要が出てきます。 実は、この説得するという行為が人を育てるのです」
 建材会社会長の感想は、『5S活動』の人材育成効果を裏付ける。
(ライター/斎藤紘)

株式会社 経営改善支援センター
TEL/092-283-5470
ホームページ http://sien.co.jp/


〒160-0022 東京都新宿区新宿2-15-2 岩本和裁ビル5F TEL.03-3352-8107 FAX.03-3352-8605