ヒットの予感 2015

イギリス生活情報誌 
月刊
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山生工業 代表
円城一路氏
18歳のとき、給水装置工事や排水設備工事の仕事に就く。仕事に誇りをもち、30歳で独立。『山生工業』を設立。厳しい職人の世界で、人と人との縁を大切にした誠実な仕事で多くのお客様から信頼を寄せられている。

高い技術力と経験で
結ぶお客様との縁

 秋田県で給水装置工事や排水設備工事を手掛ける『山生工業』。代表の円城一路氏は、18歳の頃からこの道一筋の人物だ。「お客様との縁を大切に、皆々さまとのご縁を大切に」を掲げ、真摯に仕事に励んでいる。
 働き始めた当時から独立への想いは強かったという円城氏。30歳を過ぎたころに独立、『山生工業』を立ち上げた。厳しいイメージが強い職人の世界だが、あまり苦労は感じなかったという。
「大変だと思えば大変だと感じますし、そう捉えなければ苦にはならないもの。そうした心構えでいましたから、私は今まで仕事に対して大変だと思ったり苦労を感じたりしたことはないんです」
 しかし、東日本大震災を機に業界全体の人員が減少。いまだに尾を引く人員不足は業界の大きな悩みの種だ。だからこそ、円城氏はお客様との関係を大切にしている。
 仕事を始めて20年以上経った今でもまだ自分は中間地点に立っていると語る円城氏。自分の特色を出すにはまだ20年ほどの経験を積む必要があるという。そのような仕事へのひたむきさが多くの人への信頼に繋がっているのだろう。
「利益になるかどうかは別として、人との出会いが仕事をする上での刺激になったり勉強になることが多いですね。いろいろな巡り合わせで今の私があると感じますし、もちろんこれからも同様です」
 良い仕事をすれば評判は広がる、それが信頼関係へと繋がっていく。だからこそ自分にできる仕事を精一杯にこなすことが重要なのだと円城氏は語ってくれた。その自身の背景にあるのは豊富な経験と確かな技術力だ。
「お世話になってる皆様や数年後の自分や会社のためにもひと回りもふた回りも成長していきたいですね。まずは目先のことをこなしながら地盤を固めていきたいです」
 円城氏の強い意志は、確かな未来を見据えている。
(ライター/馬場紀衣)

山生工業
TEL:018-834-9208 FAX:018-853-7863

有限会社 大金産業 代表取締役
池田丈治氏
福島県出身。幼少期に家族で上京し、東京で育つ。様々な仕事を経験した後、父親が1988年に創業した『有限会社大金産業』に入社。経営状況の打開に自前の金属加工工場を立ち上げる。2013年9月、代表取締役に就任。同族経営の問題点の改善やメーカーとの開発協力にも尽力。

金属加工工場で会社の窮状打開
洞察力と決断が際立つ経営姿勢

 大学で日本語学を学び海外で日本語教師になることを夢見た文系青年から心機一転、父親が経営する会社の苦境を打開するため自前の金属加工工場を立ち上げ、成功した経営者がいる。『有限会社大金産業』の池田丈治社長。独学で機械を扱うノウハウも修得して理系の感覚を身に着け、出発時、ベンチレース(小型旋盤)2台による加工技術を今では約16種にまで広げ、多様な需要に応えている。
「様々な仕事を経験した後に父の会社に入社したのですが、経営状況が芳しくない時があり、休日にアルバイトをしながら、無休で働く生活を数年間続けました。そんな中、父が病気で倒れ、これからは自分がしっかりしなければと事業の進め方を考えるようになったのです。それまでは商社のようなスタンスだったのですが、限界があると判断し、自社で製造工場を構えることを決心しました」
 工場が軌道に乗り出すと、新たな機械を導入するために工場を移転し、徐々に内製化を進める中で経営状況は好転、切削加工からワイヤーカット、放電加工、各種研磨、熱処理、表面処理、板金加工、プレス加工、バネ加工、歯車加工まで対応できる工場に成長した。それを技術力で支えた従業員の働く環境の改善にも力を入れた。
「父の頃は従業員の出入りが激しかったですが、私が後を継いでから就業規則を定めたり、従業員が安定した生活を送れるよう福利厚生を整えたりと、組織づくりにも力を入れてきました。年配の従業員の将来のために退職金をきちんと出せるように努力しています」
 経営基盤は安定したが、社長はさらに先に目を向けている。
「今後は、リスクマネージメントの観点から第二、第三の工場を立ち上げて業務を分散していきたいと考えています。方向性を見定め、攻めの姿勢で挑戦しながら前進していきたいと思っています」
(ライター/斎藤紘)

有限会社 大金産業
TEL:03-5735-0561 FAX:03-5735-0562 Eメール:a68233764@yahoo.co.jp
ホームページ http://www.daikinsangyo.com/

株式会社 エイワ 代表取締役
和田智氏
兵庫県出身。小学校3年生の時から新聞配達をし、19歳で建設業界に入り、様々な現場で経験を積む。心意気を買ってくれた工務店の社長から仕事を獲得。その後、独立して2009年に尼崎市で『株式会社エイワ』を設立し、成長させたが、2億円の借金を抱え、2011年に上京。実績を積み重ねて前進し続ける。

局面切り拓いた鋭い勝負勘
型枠工事で確かな地歩築く

 全力投球で仕事に取り組み、的を外さぬ勝負勘で確かな地歩を築く。『株式会社エイワ』の和田智社長の足跡は絵に描いたようなジャパンドリームの体現だ。建築現場での下積みから出発し、型枠工事・型枠解体事業の会社を興し、今や大手ゼネコンから厚い信頼を得るまで成長させた推進力は絶対あきらめない負けじ魂と確かな技術力だ。
 型枠工事は、鉄筋コンクリートの建物の建設現場でコンクリートを流し込む枠を構築する工事。関東では円筒状パイプを使うのが一般的だが、同社は断面形状が角型をした6㎝角の鋼管、60角パイプで組み立てる。工事の信頼性が生まれた社長の決断の一つだ。
「型枠の精度を高めるためには水平、垂直に組み立てなければなりません。60角パイプだとパイプと木材の接地面積が広くなり、型枠の強度も高くなり、安定感と精度を上げることが可能になるのです」
 19歳で建設業界に入り、下積みに耐え、「このままで終わってたまるか」と独立した社長、1年で頭角を現す。
「大きかったのは、従業員が300人くらいの工務店の社長に気に入ってもらい、約6年間、様々な仕事をさせていただいたこと。そのこともあり、独立後数年で従業員は100人を数えるまでになりました」
順風満帆の船出だったが、その後、景気悪化の波をもろにかぶる。
「2011年に2億円の借金を抱えてしまったのです。税理士の先生に3ヵ月の命と余命宣告されるほど。このまま黙って潰れるのも人生、やるのも人生と最後の賭けに打って出て、関西から上京しました」
 高速道路やマンション、物流センターなどの仕事をこなすうち、上京時1人だった従業員が現在7人の外国人も含め70人以上に。借金も完済した。大手ゼネコンから7件の案件を受け、前進し続けている。
「みんながチームワークを大事に頑張ってくれているおかげです」
(ライター/斎藤紘)

株式会社 エイワ
TEL:04-6281-9170 FAX:04-6281-9171
ホームページ http://www.kkeiwa.jp/

有限会社 京島開発 代表取締役
京島良忠氏
山梨県出身。小さいころから林業に従事する親の仕事を見て育つ。学業修了後、林業を嫌い別の仕事に就き、いくつかの職業を経験した後、運送会社に就職。8年ほど経ったころ、父親が体調を崩し、それを機に家業を継承。良質な山梨県産材の安定的な供給を目指す「やまなし木材ネットワーク」の構成メンバー。

林業の再生に先進的改革を断行
機械化進め異例の勤務体制採用

 衰退傾向が続く林業が国の新成長戦略で成長産業と位置づけられたのは2009年。だが林業従事者は減り続け、現在は約5万人。1980年の3分の1だ。安価な輸入外材との競争、需要低迷などに加え3Kといわれる労働環境も要因と指摘される。山梨県富士川町の『有限会社京島開発』の京島良忠社長は、こうした厳しい状況下、先進的な改革で林業の再生に真っ向から取り組んでいる経営者の一人だ。
「間伐作業の現場に山梨県では初めてと思いますが、スイングヤーダやザウルスロボ、ハーベスタ、フォワーダ、木材グラップルなど高性能の林業機械を導入しました。現場をいくつも抱えているため、状況に応じて機械を投入し、コスト高だった頃の林業よりはるかに低コストになり、しかも多くの仕事をこなせるようになりました。事業の主体が造林事業から林産事業へと変化していく中、機械化により生産性の向上とコスト削減を実現できました」
 機械化による作業効率の向上は、作業環境の改善ももたらしたが、京島社長は作業員についても林業では異例の勤務体制をとっている。
「林業は天候に左右されますので、定期的な休みを設けず悪天候の日だけ休むところが多いのですが、当社では週休2日制を採用し、木曜と日曜を休みにしています。3日働いて1日休めば、後の2日も集中して仕事に取り組むことができ、何よりも緊張感が持続するので安全につながると思ったのです」
休憩についても午前と午後に1回ずつと昼休憩を就労規則に明記。気の緩みを防ぐため休憩時間は定めず、現場班長に委ねる徹底ぶりだ。
 家業の林業から距離を置き、様々な仕事を経験後、父親が体調を崩したのを機に家業を継ぐ決心をした京島社長。両親と3人だった会社は改革努力が実り、新たに6人の従業員が加わり、ヒノキ、スギ、カラマツ、アカマツを中心に年間約7、000㎥の生産量を維持している。
(ライター/斎藤紘)

有限会社 京島開発
TEL:0556-22-8246 FAX:0556-22-8246 
Eメール:kyoujimakaihatu@kvd.biglobe.ne.jp

株式会社 不二新製作所 代表取締役
乙間英司氏
大阪府出身。学業修了後、海外の大手IT企業で液晶ディスプレイ開発のエンジニアとして勤める。父親が1969年に創業した『不ニ新製作所』の経営不振を機に2007年に帰国し、同社を引き継ぐ。その後、株式会社に改組し、社長に就任。3年で黒字回復を達成した。中小企業の技術をめぐる会議のパネリストとしても活躍。

深穴加工技術の高度化により
少数精鋭で800社に対応

 金属や非金属、樹脂素材に穴を開ける「深穴加工」で先陣を切る大阪市の『株式会社不二新製作所』は、経営刷新によるV字回復を絵に描いたような会社だ。少数精鋭の技能集団が最新の加工装置やIT技術を駆使して半導体・液晶、医療、工作機械、建設機械、航空機、自動車などの部品を仕上げる高度の技術が評価され、取引先は800社を超える。
 同社は、1969年に乙間英司社長の父親が起こした歴史ある会社だが、近年は経営不振に陥っていた。2007年、海外の大手IT企業でエンジニアをしていた乙間氏が呼び戻され、立て直しを担うことになった。
「創業から続く技術をブラッシュアップしました。今では、当時の次元をはるかに超える加工を実現しています。当社が得意とするガンドリル加工、BTA加工で用いる機械装置は、メーカーさんと共同開発したものを導入しました。また、IT企業での経験を生かして全ての製造装置をコンピュータによって自動化し、最新設備とデータベースを用いて様々な加工ニーズに対応できるようになったのです。
 もともとガンドリルマシンは銃身に、BTAマシンは砲身に穴をあける軍事用機械でした。それを工業用に転用したのが弊社の装置です。2010年以降は、更なる工程の効率化と高度化を図り、人材育成ならびに周辺装置の更新(CNC複合旋盤、マシニングセンター、専用工具研磨機等)も積極的に行い、社内生産効率を大幅にアップさせました。これにより材料手配から仕上げ加工までの一貫生産をより高品質、短納期で提供できる仕組みを確立しました」
 こうした改革に加え、社員の若返りなどの取り組みが功を奏し、3年目で黒字回復を達成、さらに高みを目指す。「社員のモチベーションを維持し、深穴加工の技術で日本一になれるよう邁進していきたい」。社長の決意は、未来に穴を開けるガンドリルマシンのようだ。
(ライター/斎藤紘)

株式会社 不二新製作所
TEL:06-6794-5880 FAX:06-6794-5881 Eメール:info@fujishin.jp
ホームページ http://fujishin.jp/

有限会社 橋元林業 代表取締役
橋元和博氏
鹿児島県姶良郡湧水町出身。林業を営む父親の背中を見て育つ。工業高校卒業後、父親が修行を勧め、大手電機メーカーの工場に就職、約 5年間勤務した後、家業の『橋元林業』に入る。現在は、現場の第一線で働く傍ら、林業の先端技術の普及のため、講師として全国各地を回っている。

先進技術で林業を効率化
ノウハウの普及にも注力

 鹿児島県垂水市にある鹿児島大学農学部の演習林で2014年2月、先進的林業機械を活用した作業システムの検討会が開催された。講師は『有限会社橋元林業』の橋元和博社長。伐倒、集材、林内走行が可能で、しかも車体が真ん中で折れ曲がるアーティクレート方式のハーベスタ付き8輪駆動林内作業車を使い、実際の作業をデモストレーション、参加した林業関係者から驚きの声が上がった。
 足場の悪い斜面で、一本一本形が異なる立木を伐採する林業は、作業の安全確保と効率化、コスト抑制が大きな課題だ。橋元社長は、長年この課題に取り組み、いち早く最先端機械を導入、全国各地で開かれる研修会に講師として足を運び、技術の普及に寄与してきた。
「先達が築き上げてきた日本独自の林業技術を伝承していくことは、我々の責務だと思っています。同時に、伝統の技をただ伝えるだけではなく、その上で何か新しいことに挑戦することも大切だと思っています。そうしなければ、いずれ林業は衰退してしまうでしょう」
 林業は、祖父の代からの家業。先代の78歳の父親は今も現役で山に入る。従業員4人を抱え、スギ、ヒノキを中心に年間4500㎥の素材を生産している。作業の工夫は機械の導入に止まらない。
「切土、盛土を抑え排水を考慮しながらバックホーで低コスト作業路を開設したり、伐採した木の枝条を敷いて流水や機械走行による作業路の荒廃を抑えたりしているほか、チェーンソーによる先行伐採、スイングヤーダやスキッダによる全木集材、プロセッサによる造材、フォワーダによる運材など、最善の道をさぐりながら作業しています」
 こうした努力によって作業の効率化、低コスト化が図られ、収益や生産性の向上で成果を上げている。「今後も、魅力ある職場環境を築き、林業の未来を切り拓いていきたいと思っています」
(ライター/斎藤紘)

有限会社 橋元林業
TEL:0995-74-4798 FAX:0995-74-4798 Eメール:forest-h@movie.ocn.ne.jp

有限会社 杉元板金 代表取締役
杉元雅章氏
福岡県出身。学業修了後、理髪店を営んでいた伯父のもとで修業を積む。同じく修業中の理容師と結婚、4人の子どもに恵まれる。父親の指示で『杉元板金』に入社、夫婦励まし合いながら会社を支え、父親が60歳で他界した後、代表取締役に。大の野球好きで1989年に野球チームを結成。

安全と信用を重視し会社を牽引
高い技術の大型板金で業績伸張

 行橋市の『有限会社杉元板金』は、板金の中でも高度な技術を要する大型板金を得意とする会社。父親を継いで会社を牽引する杉元雅章社長は、従業員を大事にする経営姿勢と恩義を決して忘れぬ義理堅い人柄で大手企業を含め多くの取引先から厚い信頼を得てきた経営者だ。
「当社の板金は自動車や建物の板金ではなく、タンクなどの大型板金です。大きなものだと3・5mの鉄板を曲げたり切ったりしていまして、使っている機械も一般の方はまず見たことがないものだと思います。セメント工場や発電所などに行って取り付けまで行っています」
 この他に熱絶縁工事やアスベスト徹去工事、足場工事などを手掛けているが、多様な業務を支える従業員は息子2人を含め10数人。
「最高な人ばかりが集まってくれていて、私は『人材』でなく『人財』だと思っています。北は北海道から南は沖縄まで現場に飛んでもらっていますが、その頑張りに本当に感謝しています」
 社長が仕事を手掛ける上で最も重視しているのが安全と信用。
「当社では安全性を重視していまして、これまで一度たりとも事故を起こしたことはありません。また、仕事の依頼をいただいた際は、前向きな姿勢で臨むように心がけ、フットワークを軽くして、すぐに行動で応えるようにしています。そうした姿勢が伝わっているのか、お陰様で仕事が途切れることはありません」
 順調に業績を伸ばしている同社だが、バブル経済崩壊後は経営の危機に陥った。それを乗り越える力になったのは本業とは無関係な、スーパーの段ボールやゴミの片づけの仕事。本業が持ち直した後も約束を守り、23年間にわたって続けたという。大手の取引先を紹介してくれた年上の営業部長、大塚孝さんへの感謝の心を片時も忘れず、息子の勧めで作ったユニフォームを着て仕事にいそしむ社長の背中は頼もしい。
(ライター/斎藤紘)

有限会社 杉元板金
TEL:090-5087-8362 FAX:0930-25-1862

伊沢薬局
伊沢一郎氏
栃木県出身。星薬科大学卒業、同年に薬剤国家試験に合格。祖父の代からの薬店経営に携わり、1970年に伊沢薬局を起業。73年、石橋町議会議員選挙で初当選、以後8期30年間在職。この間、副議長、議長を歴任。86年、『有限会社小山調剤センター』を起業、代表取締役に就任。一般社団法人栃木県薬剤師会副会長を今期まで勤めた。

豊富な経験と実績で
要職を歴任し地域に貢献

 石橋町議会議員を8期勤め、議長、副議長を歴任。「有限会社小山調剤センター」の伊沢一郎社長は、「住んでよかった」と思われる街にしたいとの一心で取り組んできた活動はそれだけに留まらない。町商工会会長、県商工会連合会副会長、県保健委員会連合会副会長を歴任、2014年6月の総会まで一般社団法人栃木県薬剤師会副会長を28年、県学校薬剤師会会長を10年間勤め引退した。日本薬剤師会雑誌9月号で伊沢一郎氏は、2014年度日本薬剤師会賞受賞決まると報道され、年齢・経歴等が紹介された。同氏は、引退後も下野市国際交流協会会長として、40周年記念事業の企画立案を成功させる為に役員会を開催し市執行部と協調し事業計画を策定している。
 下野市が姉妹都市交流を行っているのは、ドイツ国ヘッセン州のディーツヘルツタール市。旧石橋町と旧シュタインブリュッケン市(石の橋を意味)が、同じ名前を持つ縁で独協医科大学学長石橋長英先生の仲人で発足したものだ。以来39年間、相互に訪問し、ホームステイや文化交流を通して両町の友好を深めてきた。34歳で初当選以来幾度となく訪問を続け、また、ドイツからの訪問者を受け入れてきた伊沢社長は、訪問団の団長も幾度も務めている。今日では、中学生の訪問団を3年間隔で相互訪問を行い、隣接3町が合併して誕生した下野市も交流を継続している。
 抜群の行動力は、自治医科大学松龍会(系統解剖用献体者の会)会長の役職にも表れている。死後、自身の体を「医学生の教育の為には、善意の献体が必要である」という献体の必要性を聞いて直ぐ献体を決断。その背景には、星薬科大学在学中の調剤実習中に病理解剖を見学した経験が、人生観を変えるほどの出来事だったという。松龍会結成当時の代表と共に県内各地を訪問し献体の必要性を訴え続けた。結果、会員が団結し組織を拡大し自治医科大学に相応しい今日を迎えた。会員の心を自覚した勉強が、結果を出し、自治医科大学の卒業生の医師国家試験の合格率は、2014年も2年続きで日本一に輝いた。
(ライター/斎藤紘)

伊沢薬局
TEL:0285-53-1231


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